礼拝ではなく霊拝

Dr.Luke的日々のココロ

礼拝ではなく霊拝

サマリヤの女に対して主はいわれた:

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。-ヨハネ4:23-24

この訳はいかにも宗教としてのキリスト教のものである。Vincentは次のようにコメントする:

Spirit (πνεῦμα) is the highest, deepest, noblest part of our humanity, the point of contact between God and man (Rom 1:9); while soul (ψυχή) is the principle of individuality, the seat of personal impressions, having a side in contact with the material element of humanity as well as with the spiritual element, and being thus the mediating element between the spirit and the body.

The phrase in spirit and in truth describes the two essential characteristics of true worship: in spirit, as distinguished from place or form or other sensual limitations (John 4:21); in truth, as distinguished from the false conceptions resulting from imperfect knowledge (John 4:22).

True worship includes a spiritual sense of the object worshipped, and a spiritual communion with it; the manifestation of the moral consciousness in feelings, motions of the will, “moods of elevation, excitements,” etc. It includes also a truthful conception of the object. In Jesus the Father is seen (John 14:9) and known (Luke 10:22).

Thus the truthful conception is gained. He is the Truth (John 14:6). Likewise through Him we come to the Father, and spiritually commune with Him. No man can come in any other way (John 14:6). To worship in truth is not merely to worship in sincerity, but with a worship corresponding to the nature of its object.

人の構成は体・魂・霊。体は物理的サブスタンスを五感を通して実体化あるいは主観的経験とする。電磁波である光は目により、音波である音は耳によりといった具合である。魂は精神活動、わたしの意識の中核であり、体を通してインプットされた世界の像(電気信号)を主観的に経験する。

対して霊はもっとも深い部分であり、主との結合にもたらされたわれわれは、霊が再度生み出された者である。それはエロヒムの霊の分与であり、同じDNAを共有している。この霊こそが霊のサブスタンスであるYahawehエロヒムを実体化する。これがシックスセンスとしてのフェイス(Heb 11:1)。この霊によってこそ、Yahawehエロヒムを知ることができる。これが永遠の命である(John 17:3)。

「まこと」と訳された言語は”aletheisa”、それは究極の実存の実体・実質である。Yahawehエロヒムこそがあらゆる存在の究極であり、このI-AMなる存在が物質化されたお方こそがジーザス。この方のみが父に至る道、門、ポータル。そこでVincentはこう結論する:

To worship in truth is not merely to worship in sincerity, but with a worship corresponding to the nature of its object.

私たちはI-AMなる存在のうちに生み出され、その存在は私たちのうちにいます。その本質に従ってワーシップするのである。それは霊のサブスタンスそのものであり、よって霊拝である。しかも、主は言われる:であると。この今とは時空間の中におけるそれではない。永遠の領域、永遠のNOWであり、そこにこそ究極の存在者I-AMがおられる。私はこの「ありてある」方を、とお呼びしたい。かくしてフェイスとは在の実体化である!

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