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「福音派はタルムードユダヤ人に騙されている」と再建主義者

旧約聖書はすべてイエスにあって成就している。これが彼のドグマ。

旧約聖書にまだ成就されていない預言が存在するという教えは、イエスの否定です。

イエスは「わたしは律法と預言者(つまり旧約聖書)を成就するために来た」といい、十字架上で「成就した」と宣言しました。

エゼキエル書の神殿は、イエスの復活によって成就しました。

ダニエルの70週の「荒らす忌むべき者」は、ティトゥスによる紀元70年の神殿破壊とイスラエル滅亡、さらに81年のティトゥスの死において成就しています。

この「旧約聖書未成就説」の解釈は、ディスペンセーション主義と言って、今福音派において流行っている18世紀に生まれ、19世紀にイギリスとアメリカに広まった新しい神学による解釈ですが、これを作ったマニエル・ラクンザはイエズス会のユダヤ人司祭です。

もちろん、イエズス会はNWO。イルミナティの母体です。

AD70年に旧約のシステムは裁かれ、携挙も(一度目の)再臨もあった。ゆえに現在は千年期であり、黙示録19章まではAD70年に成就している。が、その千年期も十字軍において終わり、黙示録20章の封じられていたサタンが解き放たれている時代であるとも。

  1. 旧約聖書はすべてイエスにおいて成就していること。
  2. AD70年に旧約が終わり、携挙・再臨があり、モーセ律法は超民族化され、現在はそれによる統治がなされるべき千年期またはその終わりの時代であること。

これが再建主義者富井健氏のドグマである。すべてはこのふたつの公理を擁護し、またこれらから演繹される命題群の体系が再建主義であると言える。

しかしながら、この体系が成立し得る大前提は黙示録がAD70年以前に書かれている必要があるのだ。これについてはすでに富井氏本人の論証に沿って論駁している(☞666の正体は?)。仮にAD60年代に書かれていたとしても、AD70年までの数年間に黙示録1章から19章までが成就しなくてはならない。はたしてそのような証言はあるのだろうか(☞再建主義者の「AD70年携挙&再臨説」を論駁する)? この教父たちの証言は聖書外の論証であるが、聖書内の証拠から見てもAD90年代成立の方が蓋然性がはるかに高い(☞黙示録の成立時期はAD70前か後か?)。

かくして富井氏に言わせれば、プレ・ミレ説に立つ現代のほとんどのクリスチャンはサタンによって騙されていることになる。彼とそのシンパのみが真理を知り、正統な信仰の証を建てているわけだ。現代の終末的事象はすべてイルミナティなどの陰謀によるものであり、それと彼は戦いつつ、NWOの成立を阻止するのだ。常に臨戦態勢モードである。対する私はすでにイエスが勝利しているので、その勝利の中で安息するモードである(Heb 4:9-10)。

私はそもそも福音派でもないし、プロテスタントでもない。現在ニッポンキ業界において使われている標語「わたしたちはエホバの証人、モルモン教、統一教会とは関係ありません」は、もともと私が83年の東大五月祭のシンポジウムにおいて配った招待状に書いたものだ。これが全国版となっている。さらにご丁寧に「わたしたちは正統なプロテスタントの教会です」をつけているのだ。これは極私的にはアウトだ(☞プロテスタントの誤り)。

現在の私のスタンスは上の標語に加えて「ニッポンキリスト教とも関係ありません」となる。もちろん個々のクリスチャンとの交わりには開いているが、教団や組織など、キ業界のシステムとは一切関係ないことは明言しておく。

かつてはディスペンセイション主義にどっぷり浸かり、主の再臨で世界が終わるとしたらむなしいとして、仕事も家庭も放棄した富井氏。ディスペンセイション主義で人生を壊されたとするわけだが、それは恨む対象を間違っている。氏自身のマインドがその実を生み出したのだ(☞プライベート・リアリティはマインドが作る)。

すでに60歳を超え、これまでの人生の基となった再建主義を捨てられないことは理解できる。彼とのディスカッションはすでに懐かしさの彼方にあるが、その後も彼の主張からいろいろと学ばせてもらっている。同調する部分も多々ある。しかしながら、彼は自分に敵対する者が裁かれ、滅びるとよく主張しているが、これからがどのような実を結ぶのかが問われる本番である。

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