フェイス, 科学

世界はバイブレーションである

天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくてもその響き(qav)は全地に/その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。-詩編19:1-5

この”qav”とは「弦」であり、「振動」であり、すなわち「バイブレーション」である。世界に満ちているバイブレーションである。現代物理の最前線では宇宙は10次元+1次元(時間)であるとする。今、我々が五感で経験している世界は3次元+1次元であるから、残りの次元はどうなっているのか?この超弦理論では小さく丸まっているとする。これをカラビ・ヤウ空間と呼ぶ。

この種々の波長(振動数)をもつバイブレーションの和として波束というものができる。これは波であり、粒子のようなものである。光子も電子も、人が観測していない時には波として振る舞い、観測すると粒子としてふるまうと言う性質をもっている。つまり観測は波動を粒子として固定化するのだ。

芸術においても画家がある場面である瞬間に感じた感動あるいは”自然の震え”を、一度画家の脳内において咀嚼・解釈し、その結果をカンバスの上に絵具で表現する作業が絵画であると考えている。つまり自然との相互作用で心に生じたバイブレーションをキャンバスに固定化するわけだ。コローは「目でも心でも解釈する」と言っている。この過程を少し数学的に表現すると、次のようになるかと思われる:

すなわちある自然の場面で画家の内面に広がる感動関数をg(t)としよう。これは画家の個性によってそれぞれである。そして自然界から時間の関数として入力される刺激をx(t)とすると、画家の内面で起きる反応としての出力は

と書ける。この関数g(t)はインパルスに対する反応であり、インパルス応答あるいはもっと一般的にグリーン関数と言う。カントの純粋経験とも言えるかも知れない。で、この積分を数学的にも「畳み込み積分(Convolution)」と言う。つまり現在の反応y(t)は過去τ時点から現在までの反応の畳み込みなのだ!

かくして絵画とはリアリティそのものではなく、画家の伝達関数によっていわば歪みが入った上で表現されたものとなる。実はこの畳み込みはある意味で人生の方程式と言えるわけで、仏教的には「因果応報」の、聖書的には「撒いたものを刈り取る」方程式である。

芸術の場合、この表現y(t)をさらに、鑑賞者が脳内に入力する。そして鑑賞者のグリーン関数によって修飾された形で彼の内面に反応y'(t)が生じる(微分の意味ではない)。すなわち少なくとも二回の畳み込みが行われているわけだ。よってそれはリアリティそのものでももちろんなく、画家の経験そのものでもなく、かなりワイドなスペクトルをもった波紋であるが、鑑賞者の中にとにかくその波紋が生じる。

このように私たちの芸術経験は、波動の共有とも言えるわけだが、もっと一般的に現実そのものが波動であるとするサイトを発見した。題して「現代物理と仏教を考えるページ」。作者は早稲田の理工学部を出たバリバリの物理学者。マックスウェルの方程式の解そのものが、たたみ込み積分なわけで、要するに波動こそが実存の究極であると主張する。

ちなみにわれわれが感覚する「色」は元々ないものだ。あるものは種々の波長の電磁波のバイブレーションのみ。そのバイブレーションが目と大脳の視覚野において「色」として感知される。まさに「色即是空」。こういった大脳が作り出すモノをクオリアと呼ぶ。そしてこのクオリアがどうやって生み出されるのかは現代脳科学の最大の難問である。

例えば、これは感動したが、ニュートンの運動方程式

$$F=m\frac{dv}{dt}$$

を波動性から導いている(→こちら)。要するに<力=質量×加速度>だ。古典物理学ではこれは天下り的に与えられる。私も何故だと、高校以来考えてきたが、誰も解説してくれなかったし、自分でも分からなかった。ところがこの方は次のように解き明かしてくれた:ハイゼンベルグの不確定性原理により、位置と運動量には $$\Delta x\cdot \Delta p=h$$

hはプランク定数)の関係があり、エネルギーと時間についても、

$$\Delta E\cdot \Delta t = h$$

すると

$$\Delta x\cdot \Delta p=\Delta E\cdot \Delta t$$ $$ \frac{\Delta p}{\Delta t}=\frac{\Delta E}{\Delta x}$$

極限を取ると、

$$\frac{dp}{dt}=\frac{dE}{dx}$$

ここで

$$dp=m\cdot dv, dE=F\cdot dx$$

だから、ニュートンの運動方程式が出る。つまり物質の波動性から、その不確定性を極限ゼロにした理想の形としてニュートンの運動方程式が出るのだ!

かくのごとく、いわゆる粒子の物理学は波動の物理学に吸収される形となり、世界は波動モデルとして認識される。また波動の伝播と受信が私たちの生である。そしてこのサイトの作者は華厳経現代物理学の究極の姿の一致を予想して、例えば、ここでも何度も紹介しているデリバティブのブラックショールズ方程式の華厳構造を指摘する。

現代物理学と仏教の共通性はあの大槻教授も指摘しているところ。

科学の本質は『般若心経』にあり!大槻義彦教授は気づいてしまった・・・

サイエンスでは、この記事の朝永教授の指摘通り、いかにして(HOW)には答えることができるが、なぜ(WHY)には答えがないのだ。

科学と信仰(by Dr.Luke)

このメタを繰り返すと無限後退性という無間地獄に至る。それは発狂である。創造主なる存在は究極のメタ言語(ロゴス)であり、この方を受け入れる時、無間地獄から解かれるのだ。

フェイスによって、わたしたちは、この世界が神の言葉(レーマ)によってフレーム化され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。-ヘブル11:3

レーマとはバイブレーションそのものである。観測が量子の波動を固定化するように、フェイスはこのバイブレーションを固定化(実体化)する。

そしてこの方から発出してサイエンスに戻る時、安心して自然法則と対峙することができ、創造の神秘を観賞できる。まことに-

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。-ローマ1:20

とあるとおりである。

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