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可視的エクレシアの機能的分担は四役である

ニッポンキリスト教は聖書翻訳自体が恣意的かつ誤訳が多いことはすでに指摘している。訳者のオツムのマトリックスにより脚色あるいは歪曲されているのだ。そしてその読み方も実に不正確。

そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。-エペソ4:11

これは新共同訳。ポイメンを「牧師」としていない点はカトリックの影響であろうが、なぜかディダスカロスを「教師」としている。この「師」を付けた時点で聖書の啓示から外れることはこちらを参照してほしい1)いわゆる人間が組織したキリスト教の体系の中に組み込まれると「師」がつけられる。預言者は預言師とは言わない。まだ、キリスト教に組み込まれていないから。伝道者はすでに組み込まれているので伝道師とも言う。牧者はすでにもろ牧師だ。「師」がある以上、非「師」があるわけで、これがそもそも分裂の種である。啓示録では「ニコライ派」と言われ、イエスが憎みかつ戦うとまで言われる存在である(☞エクレシアの歴史について)。

この聖句に基づいて聖霊派辺りではよく、「五役の回復」とかやっている。が、よく読むべし。「ある人」は何回出ているか。そう、四回である。つまり牧と教は重なっている務めである。つまり四役が正解。

これはYHWHエロヒムの住まい幕屋の構造を見ればわかる。幕屋はキリストを表現すると共に、われわれYHWHエロヒムの住まいであるエクレシアの予型でもある(☞至聖所について)。

これらは、やがて来るものの影にすぎず、それはキリストの体(soma)である。-コロサイ2:17(原文)

キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。-エペソ2:22

幕屋の北と南には20枚の立て板が結合されていた。一枚の板の底部には二つの突起があり、二個の銀の台座にハマる形で立てられた。銀は「贖い」を意味し、二つは「証人」を意味する。われわれは確実な贖いの土台の上に立っている。

そしてこの板は四本の見える横棒で固定された。が、四本では究極的に結合されないことは明らかであろう。そう、見えないもう一本の横棒が立て板の中を貫通していたのだ。これが20枚の板をひとつに結合した。これらが何を表すかは明らかであろう。四本の横木はエペソ書の四役。見えない貫通した一本は、もちろん聖霊だ。

平和のきずなで結ばれて、聖霊による一つを守り続けるように努めなさい。-エペソ4:3

われわれがひとつになれるのは不可視的な霊の結合によるのだ。

このエクレシアはキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-エペソ1:23

その方とはキリストである(岩波訳注)。つまり<エクレシア=キリストの充満>である。これがエクレシアの霊的定義。ここを「満ちておられるところ(場)」とするから、ナントカ教団、カントカ同盟とかになり、聖霊様の油注ぎ~とやるはめになる。ある場があって、そこに満ちるのではない。充満そのものである!つまりエクレシアとはキリストである。

可視的な定義は-

コリントにある神のエクレシアへ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人・・・-1コリント1:2a

「聖霊様~」と呼ぶのではない。主イエス・キリストの名を呼ぶのである。

主の名を呼び求める者はだれでも救われる。-ローマ10:13

イエス、イエシュアとは「YHWHがわが救い」の意味。YHWHとは父・子・聖霊にいます最高位のエロヒムである。つまりイエシュアと呼べば全パースンを呼ぶのだ(☞神の御名@YouTube)。名は実体とひとつ。そこにYHWHエロヒムが在るのだ。YHWHとはI-AM。この方がわれわれのすべてのすべてとなって下さる(☞I-AMのパワー@YouTube)。ゆえにフェイスとはI-AMの実体化である@YouTube。

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References   [ + ]

1. いわゆる人間が組織したキリスト教の体系の中に組み込まれると「師」がつけられる。預言者は預言師とは言わない。まだ、キリスト教に組み込まれていないから。伝道者はすでに組み込まれているので伝道師とも言う。牧者はすでにもろ牧師だ。「師」がある以上、非「師」があるわけで、これがそもそも分裂の種である。啓示録では「ニコライ派」と言われ、イエスが憎みかつ戦うとまで言われる存在である(☞エクレシアの歴史について)。
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