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マインドの要塞が国も個人も滅ぼす-真のメタノイアの必要性-

このビデオで紹介されている消費税減税に関する数値、元々は緊縮派の土居氏が減税は高額所得者に有利になるとして作成したものだが、事実は逆だ。同じデータを見ても、マインドのフィルターを通過するときに解釈は180度逆向きになるの好例。ニンゲンのマインドの働きとは実に不可思議なもの。

ここで稲田氏が減税論者に対して差し向けた「無責任だ」と言う発言は、何も稲田氏オリジナルの言説ではありません。これは、増税派が皆、使う「レトリック」です。

この発言の背後にあるのは、次のような思想です。

(1)財政破綻すると将来、大変なことになる。
(2)消費税率が低ければ、将来財政破綻してしまう。

この二つが正しいと「断定」できる場合においてのみ、減税論者を「無責任だ」ということが正当化されます。

しかし、そんな断定は万に一つもできません。

緊縮財政論者のマインドに構築された、「国債発行は国の借金、すでに一千兆を超え、このままではデフォルトして財政破綻する~」という思想はすでに要塞化している。つまり事実に反するがそれを見ようともせず、あるいは見ても認めず、「緊縮~」と自滅の道を走り続けるのだ(もしかすると、あえて日本を弱体化したい勢力の仕掛けもあるかもしれないが)。

彼らの公理は「国債は借金だから返済する必要がある」という命題1)公理とは数学の理論を展開する場合、先験的に採用する”事実”のこと。例えば、「平行線は永久に交わらない」としてユークリッド幾何学が、「平行線も交わる」としてリーマン幾何学が構築される。そのこと自体は証明の要はない。天下り的に認めるか、認めないかだけ。。数学の場合は公理をどう選ぶのもの自由であるが、経済は実体科学であり、実体を反映していないのであれば、それにもとづいて構築された理論体系は「偽」となる。

国債は見かけは借金であるが、返済の要はないのだ! そもそも紙幣(発行残高は110兆)そのものが日銀のB/Sの貸方に計上される負債(借金)である。また銀行が貸し出しする際には紙幣は不要。つまり、その仕分けは<貸付金/現金>ではなく、<貸付金/預金>と書くだけ(キーボードを打つだけ)。無から有を生み出すのが信用創造である。だれかが借金するからマネーが生まれる。経済主体が全てが借金を返済したらマネーは消失するのだ! この事実を指摘しているのがMMTである。

かくして政府と日銀は統合政府として連結決算を行えば、次のように国債は消えて、マネー化される。

ここにある徴税権とは究極的には国民が生み出し得る価値のことであり、インフラも含めて国富と言える。国富に見合うか、あるいはやや超えるマネーの発行はマイルドなインフレをもたらし、名目GDPを増加させる。つまり需要に対して供給能力が追い付く限りは、緊縮財政論者が言うハイパーインフレなどは起き得ない2)いつもの例だが、幼稚園生に一億提供しても紙飛行機となるだけだが(マネーの価値がない=ハイパーインフレ)、東大生にならそれに見合う価値を生み出す。つねにB/Sの左右のバランスを見る必要があるのだ。

実は私自身もかつては財政破綻論者だった。上記のような信用創造のメカニズムとマネーの本質は理解していたが、政府と日銀が統合できることを知らなかったからだ。これを知った時、私の内の偽りの要塞は砕かれた。そして自由を得た。財政破綻の悪夢から解放されたのだ! まことに-

あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする

とあるとおりだ(もっとも国債の場合は霊的真理ではないが・・・)。

かくして、緊縮財政論者のマインドにより、我が国は30年に及ぶデフレから脱出できないで、貧困化の道を歩んできた。今の若者は結婚して、安定した家庭を持ち、子供ができたらセレブであると。土居氏などの「専門家」たちが偽りを垂れ流し、国民が無批判にそれに同意する時、その偽りが国を支配する。その実はすでに明らかであろう。

原則は霊的なことも、経済的なこともすべて同じだ。マインドの中に構築された要塞がその人の人格や人生を決定する。国のレベルでも集合的マインドのうちに構築された要塞が国柄や国の行く末を決める。かのハラリ氏も、人類は共同幻想を共有する認知革命により生存していると指摘しているが、この共同幻想が致命的な偽りである場合、事は深刻となることは歴史が証明してる。

メタノイアを「悔い改め」と訳することはいつもながら不適切。こういった邦語訳の罠でニッポンキリスト教が構築されることは常に指摘している。「悔い改めよ~」と叫ぶボクシが実はメタノイアしていないのだ。それはマインド・シフト(転換)。語源は”meta+noieo”、文字通り、マインド(nous)をメタ(=トランスファー)することだ。ここで宗教的な倫理や道徳と絡めるとややこしいことになる。単純に言って、すべてのことにおいてYHWHエロヒム視線の価値判断をすることだ

まことに窒息して死に至りつつあるこの国において必要なことは、メタノイアだ。マネーの真実に覚醒すること。これまでの古い価値観、経済モデルから脱却すること。ニッポン社会の合わせ鏡のニッポンキリスト教も同様である。明治以降、大先生たちが構築してきたこの業界の価値観や神学モデルから解かれること。これが宗教の捕囚からの第二のエクソダスである。

主は言われる、それゆえ、見よ、こののち『イスラエルの民をエジプトの地から導き出した主は生きておられる』とは言わないで、『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。わたしが彼らを、その先祖に与えた彼らの地に導きかえすからである。-Jer 16:14-45

それはマトリックスのシフト。

肉(五感の領域の諸事)に仕えることができない者は霊に仕えることはできない(Luke 16:11)。そもそも神の計画と訳される単語は”oikonomia”、英語では”dispensation”、すなわち「分配と管理」、YHWHエロヒムによるエコノミー(経世済民)なのだ(Eph 1:10 etc.)。

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1. 公理とは数学の理論を展開する場合、先験的に採用する”事実”のこと。例えば、「平行線は永久に交わらない」としてユークリッド幾何学が、「平行線も交わる」としてリーマン幾何学が構築される。そのこと自体は証明の要はない。天下り的に認めるか、認めないかだけ。
2. いつもの例だが、幼稚園生に一億提供しても紙飛行機となるだけだが(マネーの価値がない=ハイパーインフレ)、東大生にならそれに見合う価値を生み出す。つねにB/Sの左右のバランスを見る必要があるのだ。
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