iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ

再度ご紹介します。コロナウイルスは世界中ほとんどの国で終息しています。政策や国民の健康状態、被害規模はまちまちですが、共通しているのは2カ月前後で突然死者がばたりと止まる事。要するにそれぞれの国で集団免疫が達成されて終息する。これがこのウイルスの唯一見紛いようのない「ファクト」なんです。抗体がどう、免疫がどうという機能面は実はそんなに明確な答えが現代科学では出ない。新説がしょっちゅう出てきます。今回だってカットオフ値ひとつなかなか決められない。だからそういう病理学的ファクトがないと自粛が解けないというのなら、社会が死滅するまで何もできません。日本は遅くとも5月に終息している。今は7月30日です。死者が出なくなったというファクトで判断できない人は科学のいろはの分っていない迷信家です。医者や専門家にそうした非科学的な人間が多い事に愕きます。
死者は70代以上、過半が院内感染、しかも厳密に新型コロナが死因と言える例がどの位かも全く公になっていない。合計900人。 毎月10万人が亡くなります。この3月から7月およそ50万人亡くなっています。その中で900人、しかもそれももう2ヶ月殆どいない。後は免疫記憶の強化のためにこそ社会を止めない方がいい、これは免疫学の常識です。これはエボラではない。また風邪に治療薬はありません。新型コロナは対処療法は確立しつつあります。これ以上どうしろと?
PCR検査値の読み方を軽く。今、全体の罹患率が0.1%だったとして、PCRの感度(陽性者のうち罹患者の検出率)が90%、特異度(陰性者のうち非罹患者の検出率)が90%だったとすると、ある人が陽性となったとき真に感染している確率はいくらか。人口は10万とする。
この時のマトリックスは次のようになる:
感染+ | 感染- | 計 | |
陽性 | 900 | 9,900 | 10,800 |
陰性 | 100 | 89,100 | 89,200 |
計 | 1,000 | 99,000 | 100,000 |
陽性者10,800人のうちの900人だから900/10800=0.08333…。つまり8.3%だ。これはもちろん罹患率(事前確率)によって変わるが、1%としてもどうなるか、ご自分で計算してください。
と言う次第で、陽性者数に一喜一憂してはなりません、ということ。
追記:現在、死者は1,000人ちょっと。重傷者数も20数名。

みなさま
主を賛美いたします。
さて、前回と今回のメッセでも語りましたが、東京などでPCR陽性者(感染者とは限らない)が増加しております。しかし、中身を見ますと重傷者は微増であり、死者はほぼゼロです。

一説にはコロナの株が変わったことと、安倍氏が中国人を入国禁止するまでもたついている間、結果的に、T細胞を活発化するK型ウィルスが日本国内に入り、G型ウィルス(武漢ウィルス)の抑制ができた、とあります(京大上久保教授)。
しかし、一方でアッセンブリーの集会でクラスターが発生したそうです。
原因は換気不足とのことです。私たちも換気には十分注意しておりますが、参加者で気になる方はマスクの着用をお勧めします。またワークピアの方から空気清浄設備を設けたとの連絡がありましたが、現状ではハロー会議室で行う予定です。
取り急ぎ、ご連絡いたします。GBU✨
追記:もっとも重要な対策は換気との報告

意識がどこから生まれるか? 意識の在り処はどこか? 創世記ではYHWHエロヒムは土のチリから人を作り(体)、息(霊)を吹き込むと、生きる魂となったとある(Gen 2:8)。物質であるブレインと霊が相互作用して魂が生じたと解される。この魂がいわゆる精神であり、知・情・意からなる。それは物質であるブレインと密接に連携して機能する。さらに諸霊の影響を受ける。特にマインドに対してそれらの霊は働きかける。

エクレシアはキリストの充満。キリストは神性があますところなく形を取られた存在。われわれはその方にあって完成されている。うちにモルフォーされるキリスト、それは人手によらないオーガニックな生命現象である。

TODAY’S CELEBRATION July 26, 2020:善悪二元論を超えるスーパーナチュラルなYHWHの義
MSGタイトル:善悪二元論を超えるスーパーナチュラルなYHWH …
- MSGタイトル:善悪二元論を超えるスーパーナチュラルなYHWHの義
- 引用聖句:John 3:18;1Cor 1:30;Rom 1:17;6:5;3:20-22;26;5:17-18 etc.
- 2020年8月2日(日)のセレブ
・場所:ハロー会議室石川町元町
・時間:13:00-15:30(8月より時短とします) - プレイヤーMTG:
ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み) - セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。


令和新選組の大西つねき氏が高齢者の命の選別論を展開した矢先、ALS患者を安楽死させる事件が起きた。なんともなシンクロニシティだ。しかし、同じ病理による事件はすでに相模原の老人ホームでの大量殺人事件がある。
Dr.キリコ事件、老人ホームの大量殺人。福祉の現場は病んでいる。学生時代、福祉施設を見学した時、若いスタッフが車いすの老人の脇に座り、涙を流しつつ、僕たちを睨んで、君たちは親の金で食ってる学生だろ。この人たちを見てみよ、どう感じるんだぁ!と叫んだ。こちらはぽかーん。
管理栄養士の長女が老人ホームで1週間実習をしたとき、かなりダメージを受けたと。回復するのに3か月ほど要したらしい。友達も同様だったようだ。そこに居続ければ病む、福祉の現場は。だから新聞記事をにぎわすスタッフによる事件も起きるわけ。キ業界も同様だが。
中韓ネタや障碍者ネタ、さらには福祉・ボランティア活動ネタはニッポンキ業界の鬼門。彼らの深層にある罪責感を炙り出すのだ。彼らは真に赦された感覚を味わっていない。常に裁きを恐れてるゆえになだめ行動に走る。これが彼らのメシア的活動の源泉なのだ。ニッポンの病理も同じ。
病理と向き合うことは極めてリスクが高い。ニーチェいわく「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」。
要するに病者と関わることは極めてハイリスクだ。人は深層心理において病や老いを直視したくない。しかし彼らはそれを否応なくえぐり出す。これは善人を自認する者にとっては耐え難い。医療や福祉の現場はまさに物理的ウイルスとマインドウイルス(ミーム)の感染リスクが高いのだ。
人類の罪は善と悪を知ったこと。正義と不義は罪の裏表に過ぎない。

コロナの件でもわかるが、マスク真理教にすぐさまMCされるこの国民性。潔癖、清潔、完全癖などの強迫傾向が強い。もちろんこれはメリットでもあるが、これが自縄自縛(M性)を生み出している。
緊縮財政もしかり。今回の洪水被害はなんと民意によってダムを廃止したことが原因。まさに自滅パターン。あるザイセイハターンとかのスローガンに振り回されてコンクリートから人へと、その末路が現在の惨状だ。
ニッポンキリスト教も言わずもがな(クリスチャン・マゾヒズム)。すでに繰り返すまでもないのでここでは省略。ある一定の方向に走り出すとマインドの慣性により方向転換(メタノイア)ができなくなる。こうして行くところまで行くしかなくなる。あの戦争の時も同じだった。
コロナによる経済クラッシュも洪水被害も、ある面で人災なのだ。タコツボの病理に束縛されているこの国は、はたしていつ覚醒するのであろうか。

「”神の御心を示す道徳規準としての律法”は廃止されていない、むしろ、確立されている」と再建主義者
かつてはモーセ律法そのものが廃止されていないと言われていたよう …
かつてはモーセ律法そのものが廃止されていないと言われていたように記憶しているが、私の記憶違いであろうか。ヘブル書やエペソ書に「律法は廃棄された」とある指摘に対して、こう主張されている:
歴史的にプロテスタントキリスト教は「律法は廃棄されていない」と考えてきました。
(ウエストミンスター信条を羅列して)
イエス・キリストは「私は律法を廃棄するために来たのではない」と言われました。
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5・17)
パウロは、「律法は無効になっていない、いやむしろ、確立されている」と言いました。
それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。(ローマ3・31)
パウロは、律法を基準として提示しました。
教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。(1コリント14・34)
聖書では、「救われるための道としての律法」は廃止されたが、「神の御心を示す道徳規準としての律法」は廃止されていない、むしろ、確立されていると教えています。
http://www.millnm.net/cgi-bin/wwwboard.cgi
聖書そのものではなく、ウエストミンスター信条を根拠にする点においてすでに?ではあるが、突っ込みどころ満載である。最後のマーカー部分、「救われるための道としての律法」と「神の御心を示す道徳基準としての律法」とは何を意味するのか? 律法は律法であろう。前にパリサイ人らの「律法」は本来の律法ではなく、この「律法」が廃棄されたとも言っていたように記憶しているが。
極私的には何度も指摘してるが、石に書かれたレビ系祭司制度の「モーセ律法」は廃棄され、心に書かれた律法、すなわちメルキゼデク系祭司制度の「いのちの御霊の法則」にヴァージョン・アップされたのだ。後者に乗るとき、前者は自ずと満たされる。これはすでにMS-DOSとWindowsの関係で解説している。

今回の富井氏の文章を読むと、すでに主張が揺れていることが感じられる。ちょっと前の勢いがない感じだ。もしかすると、薄々ご自分の理解が誤っていることに気が付きだしたのかもしれない。
またさらに続編ではこう述べている:
聖書は総合して理解する必要があり、一箇所もしくは複数箇所である教えが説かれていても、他の箇所でそれと矛盾する箇所があれば、調和させる努力が必要です。
正統派キリスト教は、このような調和の努力の結果、律法は廃棄されていない、と結論しました。
残念ながら、ディスペンセーション主義は「律法と恵み」を対立する概念と捉えておりますので、律法を廃棄され、無効化したものと考えております。
著名なディスペンセーション主義者であるS・スコフィールド博士は、「ディスペンセーションとは一つの期間のことであり、この期間の中で人間は、神が啓示されたその時代特有の御心に対して服従の姿勢を示すかどうかを試される」と述べています。
ディスペンセーションは7つあり、それぞれに独特な統治原理が働いています。ディスペンセーションが変われば、統治原理も変わります。あるディスペンセーションにおいて適用された原理は、他のディスペンセーションでは通用せず、ディスペンセーションが移行すれば、神はまったく違った原理で人間を取り扱います。それぞれはそれぞれにおいて完結しており、けっして相互に交じり合ったり混同することはありません。
日本のディスペンセーション主義者の中で律法と恵みを対立概念として捉えるべきではないと述べる人々がいますが、彼らは厳密な意味でのディスペンセーション主義者ではありません。
聖書には矛盾はないのだが、富井氏のディスペンセイション主義の理解が分かった。「律法と恵み」を二項対立として理解する主義がそれであると、彼は理解していると言うことだ。最後の対立概念として捉えない人々の中に不肖Dr.Lukeも入るのであろうか?
極私的には律法は神の愛の配慮であり、人類をその中に守っていたのだと考えている。が、本体が現れたので、もはや不要。Zoeのいのちを分与(dispence)されて、いのちの御霊の法則により生きるとき、律法の基準、否、それよりも高い基準が満たされるのだ。
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。-Matt 5:20
今、私たちが有している義は、神の義である!
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。-1Cor 1:30
当然、律法学者の義に勝ることは言うまでもない。
一見矛盾に見える聖書の箇所も次元を上げれば問題ないことはすでにいくつかの例で紹介している(☞聖書の矛盾点は高次元から見ると解ける-キリストは4次元立方体)。律法と恵みの関係も次元が異なるのだ。善悪を知る知識の木の道か、永遠のいのちの木の道か。富井氏は一本の線上(面上)で考えているために、ウエストミンスター信条などの人工物を持ち出すことにならざるを得ない。
次元を上げよ!

主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。・・・エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。-Gen 2:5-10
天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。-Rev 22:1-2
信じる者の腹から御霊は川々となって流れ出る。-John 7:38

この記事はいよいよだと言う感じがする。
マネーの本質は債権債務証書。それ自体には何も価値がない。一万円札の原価は30円だ。つまり、その「10,000円」という数字は、その裏に債権と債務の裏書があるから(目には見えないが)、その価値を保つだけ。つまり本質は情報なのだ。ゆえに別に紙幣に記録する必要もない。デジタル媒体で良いのだ。
化石的オツムの持ち主は「マネーは量が限られているから価値がある」と思い込んでいる。それはちょうど「ゴールドやダイヤの量が少ないから、それらに価値が生じる」と考えるのと同じ。これを金属貨幣論と呼び、それを唱えたアダム・スミスを揶揄して「アダムの罪」と呼ぶ。
この債権と債務の関係の連鎖を辿ると、最終的には日銀の債務に行き着く。発行済み紙幣は110兆。日本国の資産は5,6千兆。それはすべて信用創造により膨れた分であり、現ナマはない! 単なる通帳の数字だ。そしてマネーはそもそも日銀の負債、借金である。しかも誰も返済の必要を訴えないであろう。
日銀が紙幣を刷る以外に発行するマネー-ただし紙幣ではなく日銀当座預金だが-は現在約400兆。これは市中銀行から国債を買い上げた代金である。問題はこれが滞留しており、社会に流れ出ていないこと。当たり前だ、これは民間がおろせる預金ではなく、政府が財政出動するときにはじめて民間に流れ出るのだから。金融政策だけを主張し、いわゆるトリクルダウンを唱えたリフレ派の誤りはここにある。

最終的に国債(マネー)を担保するものは何か。国富である。これはインフラも国の徴税権も含むが、最も本質的なのは民力だ。三橋氏の言い方であれば、供給力。つまり新しい価値を生み出す力だ。いつもの例だが、小学生に1億与えても紙飛行機になるだけだろうが(マネーの価値がない=ハイパーインフレ)、東大生に与えれば何らかの新しい価値を生み出す。この左と右のバランスがカギなのだ[1] … Continue reading。
しかも国債を政府から日銀が買い取れば、国債はマネー(日銀の政府当座口座)となる。要するに国債の発行はマネーの発行と等価なのだ。

MMTについては主流派経済学者(彼らは実は複式簿記も知らないらしい)からボロクソに言われてきたが、ここへきて風向きが変わりつつある。
MMT now being discussed in Public Administration academic journals … (and more on the way)https://t.co/YtQXnxmQEj
— Scott Fullwiler (@stf18) July 20, 2020
マネーの本質が分かれば、MMTは単なるファクトを述べているだけと分かるはず。右とか左は関係ないのだ。ちなみに国債発行で財政投資する場合の会計上の処理は次の通り(再掲)。
コロナ禍は確かに大変なものであるが、一方でマネーの本質を理解するための契機を与えてくれたとも言える。緊縮財政を金科玉条としてきた財務省も75兆の新規国債の発行を余儀なくされた。これで金利はまったく動いていない。要するにハイパーインフレやザイセイハターンなどは起こり得ないのだ。
現状は栄養失調で体重が30キロの飢餓状態の患者だ(デフレ)。今必要なのは輸血あるいは輸液あるいは栄養注入である。すなわちマネーの供給。それも金融緩和だけではなく、実体経済を動かす財政出動による。こんな患者に対して肥満(ハイパーインフレ)を心配するアホな医者はいない。あるいは一時は輸血しても、後で抜いて返してもらうとか(コロナ増税)、愚かなこともしないであろう。
繰り返すが、世(コスモス)は人生ゲーム。その盤面においては常に
<政府収支>+<民間収支>+<海外収支>=0
海外がほぼ±ゼロとしたら、政府の黒字(PB黒字化)は民間の赤字(デフレ)だ。民間が潤うためには・・・言うまでもないであろう。これは算数の問題。財務省は算数が分からない、あるいは分かっていて、国民を欺いている。シッタカオヤジの池上なんぞの言うことを真に受けて、子孫に負債を残さないために、自分たちが節約だ~、増税やむなし~、と言って、餓死しつつあるのが現状。経済はある場面を取ればゼロサムゲーム。椅子取りゲームである。
矢沢は「カネは便利がいいが、それだけでハッピーにはなれない」と喝破した。なぜ? マネーは誰かの債務だからだ。自分の債権の裏には債務を負ってる人々がいるからだ。自分の手の中の一万円札がどのようにして自分のところに来たのか、ちょっと考えてみると良い。人々の苦渋の表情が浮かぶかな? が、あるに越したことはない。きよく・まずしく~といったニッポンキリスト教は・・・以下略。
コロナのPCR検査の読み方なども同じだが、リテラシーがあまりにも欠如している。その無知に付け込まれて自滅しつつあるのだ。今、マネーの本質に覚醒できるかどうか。これが未来を決める。
わたしの民は知識がないので滅ぼされる。-Hos 4:6
偽る物のしるしをむなしくし、占う者を狂わせ、賢い者をうしろに退けて、その知識を愚かにする。-Isa 44:25
References[+]
↑1 | 問題は緊縮財政で疲弊し、国力つまり供給力が摩耗することにより、ハイパーインフレが起き得ること。つまり緊縮財政論者の自己予言成就となるのだ。現に、今の若者の貧困化はかなり深刻である(→若者に貧困を強いる国、日本──貧困世代と求人詐欺)。彼らはハケンやUber Eatsに身を売ることによってかろうじて食つなぐ。それは技術や知識などの資産の継承を不可能にする。 |
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TODAY’S CELEBRATION July 19, 2020:ジーザスの深層意識を共有する
MSGタイトル:ジーザスの深層意識を共有する 引用聖句:1Co …
- MSGタイトル:ジーザスの深層意識を共有する
- 引用聖句:1Cor 2:9-16;Ps 36:9 etc.
- 2020年7月26日(日)のセレブ
・場所:ハロー会議室石川町元町
・時間:13.00-17.00 - プレイヤーMTG:
ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み)セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。


いつもの再建主義の富井氏によると、黙示録の冒頭の「すぐにでも起きること」(Rev 1:1)について、このように解しているようだ―
「すぐに起こる」というところから私が言おうとしたのは、「黙示録のすべての記事が紀元70年に起こる」ということではありません。いくらなんでも「千年王国」まで1年のうちに起こるなんて言うつもりはさらさらありません。
そもそも彼らの言う千年期とは-
千年王国は、キリストが「天地の一切の権威を受け」(マタイ28・19-21)てから、始まりました。黙示録20章の千年王国はキリスト以後の歴史をあらわしています。
つまり、AD70年までには黙示録の19章までが成就し、現在は20章に入っているわけだ。その20章4-5節にはこうある-
また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
現在、その生き返った人々はどこにいるのであろうか?
また富井氏はこうも言う-
直接の読者は、紀元1世紀の小アジアの7つの教会のクリスチャンたちである。
ヨハネは彼らに「警告」を与えた。
2000年後の人々にではない。
紀元1世紀の人々に警告した。
もし紀元1世紀にその警告が適用される事件が起こらなかったら、ヨハネ黙示録は「偽預言」であり、ヨハネは「偽預言者」である。
それゆえ、黙示録の大患難は紀元1世紀に過ぎ去ったのである。
つまり、この七つの教会を当時の断面的教会とのみ見ているわけだ。私はこれを十字架以降の二千年にわたる時系列の中で展開する教会の有様の病理と診断と処方であると見ている。
現経綸がすでAD70年にイエスが一度目の「再臨」をしており、千年期に入り、その後二度目の「再臨」があるのか、それともエクレシアの時代を経て、再臨があって千年期に入るのか。そもそも再臨とはThe Second Comingであり、定冠詞があるのだ! 言語の専門家である富井氏に対しては釈迦に説法であろうが。
結局、彼らのシェーマは教会時代を削除して、千年期を前倒ししている。このことによる二回の「再臨」といったつじつまを合わせることになるわけだ。
そもそも黙示録の成立時期はいつか。AD70年前ならばポスト・ミレの勝ち、定説どおりAD90年代であればプレ・ミレの勝ち。そして、彼らが言う通り、AD65年辺りとしても、たかだか5年程度で黙示録の19章までが成就することになる。その5年間においてそのような証言は教父たちの間に見られていないことはすでに指摘したとおりである。
いくらなんでも5年間で黙示録19章まで成就したとは・・・・・。
追記:再建主義の中でもフルプレテリストとパーシャルプレテリストに分かれている。前者は黙示録の新天新地まで成就しているとする立場、後者は千年期までとする立場。富井氏は前者については次のように異端宣告をしている。
1.
フルプレテリズムは、大宣教命令はすでに紀元70年以前に成就し、現代に住むわれわれにとって意味はないと考えるので、ある意味においてディスペンセーション主義と似ている。
なぜならば、時代区分によって聖書を無効化するからである。
大宣教命令が成就し、やることがなくなったクリスチャンにとって重要なのは、天国に行くことだけだと結論せざるを得なくなる。
「今は律法の時代ではないから、クリスチャンを縛る倫理規定はない」と唱えるジョン・ダービーと類似している。
2.
フルプレテリズムは、「黙示録のすべては成就した。それゆえ、サタンが滅ぼされて刑罰の中に入り、活動できなくなる永遠の世界は到来しない」と唱える。
サタンが永遠に暴れ回わり、神とサタンの戦いが永遠に続くと。
これは、実質「虚無主義」である。
善の最終勝利を唱えないので、アナキズムでもある。
地上における悪との戦いを否定し、その完全終了を目標にしないので、悪を放置し、地上における「地の塩」の役割を拒絶することになる。
御国の拡大も否定するので、次のイエスの命令を無視する。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6・33)
イエスが「神の国を・・・第一に求めなさい」というのに、「その必要はない。大宣教命令が紀元70年に成就した以上、それ以降、いくら求めても、諸民族の弟子化と、御国は実現しないのだから努力は無駄だ。クリスチャンに与えられた使命は、一人でも多くの人に天国行きの切符を手渡すことだけだ」と言う。
この点でもディスペンセーション主義に似ている。
どう転んでも、フルプレテリズムは異端以外の何物でもないし、フルプレテリストは呪われるべきである。

この記事、まことに同意。天皇は共同幻想である。神武以降の「万系一世」は生物学的には証明は不可能。ただ、そうしておくという約束事に過ぎない。そして日本はそれを認めないと国の存立はできないであろう。これはすでに何度も指摘している、思想の問題ではなく、精神病理の問題である。
皇国史観というと日本の古い伝統のようだが、万世一系の天皇という概念ができたのは明治時代である。天皇が古代から日本の中心だったという歴史観は徳川光圀の『大日本史』から始まったもので、一般には知られていなかった。それを尊王攘夷思想にしたのが19世紀の藤田東湖や会沢正志斎などの後期水戸学である。
しかし尊王攘夷が明治維新の理念だったという話は、明治政府が後からつくった話で、当時の尊王攘夷は水戸のローカルな思想だった。それを信じていた水戸藩の武士は天狗党の乱で全滅し、長州にそれを輸入した吉田松陰も処刑されたので、戊辰戦争のころはコアな尊王攘夷派はほとんど残っていなかった。
水戸学の最大の影響は、水戸家出身の徳川慶喜が「大政奉還」という形で政権を投げ出したことかもしれない。これは代々「日本の国は天皇のものだ」という教育を受けてきた慶喜が天皇に名目的な権威を奉還するという形で幕府の延命をはかったものだが、薩長は幕府と徹底抗戦した。
戊辰戦争で幕府は圧倒的に不利だったわけではないが、慶喜が鳥羽伏見の戦いのあと大坂城を脱出したため、幕府軍は総崩れとなり、あっけなく決着した。このときも慶喜の頭には父の斉昭から教わった水戸家の教えがあったため、「朝敵」として戦うことができなかったのではないかと本書は推定している。
日本は天皇の統治する国だという歴史観は、反政府勢力だった薩長が掲げたものだが、幕府もそれを認めて江戸城を明け渡したため、皇国史観が国家をまとめるイデオロギーになった。明治維新は国民の大部分が知らないところで起こった「宮廷革命」であり、ばらばらの日本をまとめるのは天皇というフィクションしかなかったのだ。

TODAY’S CELEBRATION July 12, 2020:フェイスによりデュアルワールドに生きる
MSGタイトル:フェイスによりデュアルワールドに生きる 引用聖 …
- MSGタイトル:フェイスによりデュアルワールドに生きる
- 引用聖句:Eph 1:8-9;Luke 19:13;Col 2:19;Matt 25:27;Luke 16:11;Rom 8:32;1Cor 8:32-33;Heb 5:7;Phil 1:21 etc.
- 2020年7月19日(日)のセレブ
・場所:ハロー会議室石川町元町
・時間:13.00-17.00プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み) - セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。


上島嘉郎氏は中卒で社会に出た後、20歳で高校進学、その後産経新聞にて『正論』の編集などで活躍、ちゃんねる桜の常連でもある保守の論客。極私的には左右の座標軸にはいない、上下のそれであるが、ファクトを知りたいのだ。
戦後、GHQが日本人の精神構造を如何に変容したか。それは江藤淳氏の指摘通り「言語空間」を支配することによったのだ。いわく、「閉ざされた言語空間」。これについては私自身んも次のような記事を20年前に書いている。
さて、具体的にGHQが行った洗脳策は本書を参考にしていただいて、氏の次の指摘はまことに同意する。
さらに、今日の日本人が「平和」や「人権」と言う言葉を使う時、そこには「日本の平和」「日本国民の人権」という意識は薄い。「人類普遍の理想」といえば耳に心地よけれども、「日本の視点」を欠いた抽象的な概念でしか理解できず、ある種の記号と化しているのに気づかない。
「日本国民は、恒久の平和を祈願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
これは現行憲法の前文の一節ですが、「平和を愛する諸国民」は本当にいるのか。その「公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」することは正しいのか。それで誇りある生存は確保されるのか。疑うことは「日本が戦争に再び向かう道」と思い込み、疑問を持つこと自体を封じてしまう。
戦後の日本人の言論空間を「閉ざされた言語空間」と指摘したのは江藤先生ですが、まさに言葉と自由な思考を失った日本人は、現実の国際社の葛藤や軋轢を認識できず、「閉ざされた言語空間」のなかでひたすら空想的平和主義に浸っています。
今般、ヘイト法が川崎で成立したが、日本人や日本国家の悪口を言うことは自由であっても、在日外国人のそれは処罰されるという倒錯現象が起きている。
憲法の前文自体が幻想である以上、9条、特に二項はナンセンスであることは論をまたない。刃物を持つと人を刺すかもと恐れる強迫神経症である。
他者の「善意」に頼って自分の安全と生存を担保するなどは、ヤクザの「善意」に頼って社会の安全と生存を担保するのと同義である。裏表がひっくり返っている。精神科病棟では患者が医師を「診断」することがよくあるのだが・・・。
かくして思考は言語、それも自国言語による以上、言語を支配制限されることは思考を奪われることである。この言語マトリックスの罠についてはここでも何度も指摘しているとおりだ。「信仰」とか「敬虔」などを日本語マトリックスで理解することがニッポンキリスト教の培地である。
まことにこの国はGHQの仕掛けにより、国債を発行すると軍備化路線に走るから、それを制限するために財政法によって縛りを受けている。これがために、90年代以降デフレにして、成長率は世界最下位の凋落ぶり。安倍氏は「日本を取り戻す」と謳ったが、われわれの期待も虚しく、むしろ率先して日本を売っている。
三島は「このままでは空疎な経済大国が極東に残るだけ」と予言したが、これとても外れている。すでに日本は経済弱小国家となりつつあるのだ。若者はUber Eatsのようギグワークスを余儀なくされ、ほとんど人生設計を建てることは不可能。結婚して、子供を得たらセレブだと。二分極化は著しい。
私はすでに、この国は米の超長期対日政策により、<開国=政治的去勢>、<敗戦=軍事的去勢>、<バブル崩壊=経済的去勢>、<原発事故=倫理的去勢>と4回も去勢され、エディプス葛藤において挫折しているため、精神病理的に自立は不可能と言っている。私の史観は東京裁判史観でも、皇国史観でもない。精神病理史観である。
すべてリアリティーはマインドが生み出す。マインドは言語によって制限される。その言語を支配すれば、民族を支配することができるのだ、武器によらずとも・・・・。戦後日本においてその壮大な社会実験が行われたのだ。そして見事に成功している。願わくは、中国の倭族自治区化しないことを・・・。
まずは言語を取り戻せ、そして思考を解放せよ! ここに今後の日本の命運がかかっている。
追記:マッカーサーはその後、このように議会で証言していることは注目すべきであろう。


この記事、元財務官僚の主張だそうだが、なんとも算数が分からないらしい。
さて、ある年度において、次の式は必ず成立する。と言うより、これが定義あるいは事実だから。いかなる流派の経済学者も否定できない。
$$Y=C+I+G+(Ex-Im)=C+S+T$$
$$ (S-I)+(T-G)+(Im-Ex)=0$$
where Y:GDP;C:消費;I:投資;G:政府支出;Ex:輸出;Im:輸入;T:税金
である。第一式はGDPの三面等価を表している。<生産=分配=支出>である。第二式は第一式を変形しただけであるが、その意味するところは、民間収支(S-I)と政府収支(T-G)と海外収支(Im-Ex)の合計がゼロ、すなわち経済はゼロサムゲームであることを示す。経済主体の民間(個人+企業)と政府と海外の誰かが黒字ならば、誰かが赤字なのだ。当たり前である。ある年度に流通するマネーは一定なのだから、そのパイを奪い合うわけ。
このグラフを見てほしい。

青が企業、緑が家計、赤が政府、灰が海外だ。まず気づくことは上下対称であること。上が黒字、下が赤字だが、合計すると常にゼロだ。
次に、バブル以前は家計は黒字で、企業と政府は赤字。つまり企業は家計の貯蓄を借りて経営していた。これが正常な状態。
バブル期はなんと政府も黒字化する。つまり税収>支出だったのだ。企業は借金を大きく増やしている。
バブル崩壊では政府は赤字、企業は借金を返済し始める。家計の黒字は減る。そしてデフレ期(97年以降)になると政府は赤字(赤字国債増発)、なんと企業も黒字化する。つまり借金を返して、さらに内部留保溜め込んでいる。
政府はリーマンショックで赤字を増やしたが、PB黒字化路線で赤字を減らし、企業は黒字のまま、家計は黒字を減らしている。海外はやや赤字を増やしている(日本の海外収支は増加)。
さて、ここで問題。この記事にある通り、個人の貯蓄により政府の赤字を帳消しにするとどうなるか。グラフの緑と赤が相殺して消える。すると棒の長さは上下とも短くなる。つまりマネーが消えるのだ! 言い換えると経済規模、つまりGDPが縮小するのだ。
マネーはそもそもが誰かの負債である。誰かが借金するからマネーが流通する。万札は110兆程度しかないが、これは日銀の負債だ。つまり日銀の借金だが、誰も返済することなど考えないであろう。それこそ返済したら万札は消えるのだ。万札は日銀の借用証書だから!
同じように、国債は国の借金ではなく、政府の借金。しかし、政府と日銀を連結決算すると、国債は消えてマネーとなる。

かくして政府の借用証書である国債と日銀の借用証である万札は同じものとなるのだ。国債はマネーである。これが分からない人はいわゆる金属貨幣観の束縛を受けている。これをアダムの罪と呼ぶ(アダム・スミスの説だから)。かつてはゴールドが担保であり、ゴールドの裏付けがある限りにおいてのみ紙幣は発行された。これがために世界は恐慌の歴史を繰り返した。
が、現在はゴールドの量から自由にされ、貸借関係の証書に過ぎない。銀行が融資する際は、別に預金者の預金から貸し出すのではない。他人の金をどうして勝手に貸し出せようか。仕分けは<貸付金/現金>ではなく、<貸付金/預金>である。借りた方は<預金/借入金>であり、合算すると<貸付金/借入金>。つまりキャッシュとはまったく関係なく帳簿上の操作に過ぎない。銀行は無から有を生み出している。
しかし、相手が返済能力がなかったり、担保がない場合はさすがに貸し付けることはできない。つまり相手の返済能力に応じた額を銀行は生み出すのだ。これが与信だ。要するに流通しているマネーは万札と預金(帳簿の数字)。もちろん預金は紙幣にいつでも変えることができる。が、預金者が全員現金化をすれば、銀行は破綻する。預金の方がはるかに紙幣よりも多いからである。これが取り付け騒ぎ。とりあえず預金者がいつでも現金に変えてもらえると思っているので、これが起きないだけ。
要するに預金は銀行が預金者に負っている債務であり、銀行が債務を負って貸付金としてマネーを発行し、これが流通するわけだ。よってこの債務がすべて返済されたらマネーは消滅する!
国債についてもまったく同じ。海外収支を除いて考えると、政府が借金をするので(=政府収支がマイナス)、民間が潤う(=民間収支がプラス)。逆に政府が黒字とは民間の赤字。そして政府が赤字を減らせば、民間の黒字も減る。かくして政府が借金ゼロにすれば、民間の黒字もゼロ。まさに経済はゼロサムゲームだ。極端に言えば、日銀が負債をゼロにすれば紙幣はゼロだ! マネーの一切存在しない世界と化す。
お分かりだろうか? あなたの頭のマトリックスをシフトする必要がある。そうでないとこの国はタコが自分の足を食って消滅することになるから。

主は預けたカネを怠惰により増やさなかった愚かな僕に対して叱責された-
それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。-Matt 25:27
この発想は実に鋭い。私は常々、肉に仕えることができない者は霊にも仕えることができないと言っている。世の事を適切に処理できない者には霊の事も処理できないのだ。
元々、YHWHの御計画とはオイコノミア(oikonomia)、つまりエコノミー、経世済民である。
αυξει την αυξησιν του θεου
エロヒムの増殖を増殖する。-Col 2:19
ここはほとんどの邦訳は意訳というか、訳者の解釈となっている。かろうじて田川訳と岩波訳注に「神の成長を成長する」とある。はあ? 神、すなわちエロヒムの成長を成長する?・・・と考える人のマインドは白いキリスト教のマトリックスに幽閉されている。これが聖書の原文である。
一粒の麦の種が撒かれたら、何が成長するのだろう? もちろん麦である。キリストは一粒の麦として十字架において地に蒔かれ、殻(肉体)が割れた。復活によりいのちを与える霊として(1Cor 15:45)、われわれの霊のうちにインプラントされた。われわれは神[1] … Continue readingの種(ロゴス)から生み出されたニュークリーチャーである。では、われわれのうちに何が育つのであろう?もちろん、キリストである。
わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられる・・・Gal 4:19
「形作られる」とは”morpho”である。英語では”form”、文字通り形成されるのだ。胎児が母親の子宮(マトリックス)において形成されるのと同じである。かくしてYHWHエロヒムは御自身のスピリチュアルDNAを増殖する。われわれはそのDNAをインヒュージョンされたエロヒム属である(YHWH-父・子・聖霊-とはパースンを異にすることは言うまでもないが)。
ジーザスのこの指摘はマネーの割引率のことである。通常、一般人は今所有する100万円も、来年得る100万円も、10年後に得る100万円も「同じ価値」であると意識している。これが金利感覚の欠如したマインドのマトリックスである。
マネーはそれ自身がマネーを生むことは誰もが知っている。つまり今の100万円は金利が年率10%であれば、来年は110万になる。逆算すると、来年の100万円は今の100/1.10=90.9万である。これを現在価値に引き戻す、あるいは割り引くと言う。この利率を割引率と称する。
例えば、総工費10億の設備の公共事業を行うかどうかの判断は次のようになる。これが工期2年だったとすると、費用(C)は5億+5憶となるのではなく、一年前の5億は今の5.5億だから、5.5億+5億=10.5億となる。そしてこの設備の耐用年数が10年だったとして、年間1億の収益があるとすれば、割引率を考慮して現在価値に引き戻すと全収益(B)は―
$$B=1+1/1.10+1/1.10^{2}+\cdot \cdot \cdot +1/1.10^{9}=6.7$$
あれ、10億ではない!? そのとおり、これが金利感覚である。かくしてこの事業の場合、金利感覚のない人には元々トントンだったわけだが(B=C=10億)、金利を考慮するとB/C<1となり、損失であると判断され仕分けされてしまう。これをビー・バイ・シーと呼ぶが、費用に対する便益の倍率である。現在の日本では、このマイナス金利の時代にいぜんとして4%に固定されている。これで公共事業が抑制される。つまりデフレ要因のひとつである。参考までにローンの金利計算についてはこちらを参照のこと(☞タラントのゆくえ)
主はまさにこの感覚を持っていたのだ。わたしの預けた金を銀行に入れておけば、利息付きで返せてもらえたと(もちろん、この場合は将来価値に換算しているわけだが)。主は「商売せよ」と命じておられるのだ(Luke 19:13)。
ニッポンキ業界でよくみられる牧師の子息が社会的に破綻する理由は、この肉(五感の領域)におけるプロトコルを知らず、それに従えないことである。社会不適応を引き起こすのだ。恵み~、祝福~、と棚ぼた的幻想に堕ちている。主は言われた、不正の富を管理できない者に真の富を預けることはないと(Luke 16:11)。
YHWHエロヒムのオイコミアは増殖である。ご自身のZOE、スピリチュアルDNAの拡散と成長である。それはキリストの形成と増殖。これがエクレシアである。まことに-
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭としてエクレシアにお与えになりました。エクレシアはキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の
満ちておられる場充満です。-Eph 1:23
キリストの満ちる「場」ではない、これは誤訳。「エクレシアとは『場』であって、そこにキリストが満ちる」、だから「聖霊様のジュウマン~、油注ぎ~」とヒステリックに叫ぶ。これがニッポンキ業界である。原語は充満(pleroma)。キリストの充満、すなわちキリストである。
金利感覚を持っていない者はこの増殖感覚も失う。この五感の領域は霊の領域の型(タイプ)である。モーセの幕屋も天のそれの正確な模型であった(Heb 8:5)。この模型を適切に取り扱うことは、すなわち本物を取り扱うことと同じである。われわれのカネの管理と増殖の仕方はそのままスピリチュアルな富の管理と増殖を反映しているのだ。
持っている者はさらに加えられて豊かになり、持たない者は・・・・以下略-Matt 13:12
カネのみでなく、人間関係や社会的立場など、すべからくその人の地のあり方を見れば、その人の天のあり方が見える。まことに実質を伴わない言葉だけの者は空疎である。
神の国は言葉(ロゴス)にではなく、力(デュナミス)にある。-1Cor 4:20
すべてのことは「正しさ」とか「正統神学」などにより判断されるのではない。いつも言っているが、「正しさ」は偽装できるが、いのちの「健やかさ」は偽装できない。サタンは光の天使にマスカレードするが、かならず闇と病みのオーラを醸す。この霊のオーラや臭いは隠せないのだ。
かくしてパウロも健康な言葉と教えを守れと勧めるとおりだ(1Tim 6:3;2Tim 4:3 etc.)。またジーザスが言われる通り、実(fruit)で判断すること。それはキリストのいのちの増殖であれば、キリストであるから。ガラテヤの、愛、喜び、平安・・・・、の見かけ9つの御霊の実は単数形(Gal 5:22)。実とはキリスト、その9種の要素がこのリストである。
エロヒムの増殖を増殖せよ!-これがYHWHエロヒムのエコノミーである。

FBにてユニークな活動をしている石井マレ牧師の記事を紹介したが、この種のトピにはセンシティブな反応が来るようだ。
極私的には、警官によるフロイド氏の死を利用した極左巻きの一種の米国分断運動に見えることは否定できない。もちろん11月の大統領選も射程に入れているだろう。バイデンがどうも変態傾向があり、さらに認知症の気もあるとかないとか。民主党が大統領職を取れば、ふたたびオバマの欺瞞が再現され、中国がさらに勢いづくことであろう。
現在の霊的傾向としては、YHWHの主権を犯す動機が働いている。聖書は言う―
神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。-Acts 17:26
グローバリストはこれを破壊しようとしていることは明らかであろう。地上を境界のない、フラットな世界にしようと言うわけだが、また聖書はこうも予言している-
ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。「カナンは呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
また言った。「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。神がヤフェトの土地を広げ(ヤフェト)/セムの天幕に住まわせ/カナンはその奴隷となれ。」-Gen 9:24-27
ハムの子カナンは黒人種の祖、セムは有色人種の祖、そしてヤフェトは白人種の祖である。ヤフェトはセムの天幕に住まい(ユダヤ・キリスト教文化の下で)、土地を広げるのだ(帝国拡大主義)。ハムは奴隷(黒人の歴史)。これは人間的視点で人種差別がどうのこうの、いわゆるポリティカル・コレクトネスの善悪の問題ではない。霊的定めの問題である。
それでは運命論で、ハムは絶望するだけだ、と思うことなかれ。ここに十字架がある。アダム系人類はすべてが終わったのだ。そしてキリスト系人類として復活し、エクレシアの一部とされ、そこには人種の差はいっさいない。
そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。-Col 3:11
YHWHのわざは五感の領域のものではない。すべて霊的領域をまず扱う。するとその霊のサブスタンスがわれわれのフェイスを通して現出する。まずはYHWHの国と義を求めること。他はすべて添えて、の原則である。
物理的領域の現象としては馬淵元大使の見解が参考になる。彼は「天皇は憲法や国家を超えて天と地を結ぶ存在」と言われる方であるが(これはジーザスの職に抵触する)、その経験と知識から構成された世界像については大いに有益。ディープステイト、かつてはアングラの陰謀論者の間でヒソヒソ語られていたものだが、このような方が表立って語る時代に入った。
今回の件も、実質グローバリストと同じ共産主義者の暗躍があるだろうし、純粋な動機による運動とは到底思えない。彼らのやっている事を見れば明らかであろう。極私的には大衆が騒いで持ち上げることからは距離を置く。正直、胡散臭いこと限りなしと感じている次第。

そう、街は大きな鳥かごなのね、みんな飛べないの
人間の心理とは事に面白いものだ。貧困者がMMTを否定し、財務省の緊縮財政を是とし、クルシチャンが自分を縛る宗教の儀式や伝統を擁護する。かつて人質が誘拐犯に心理的な共感を覚える事件が起き、それをストックホルム症候群と呼ぶ。
1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行った。
人は、突然に事件に巻き込まれて人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。犯人も人質に対する見方を変える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ストックホルム症候群
悪魔は全世界を欺く者(Rev 12:9)。まことに世界(οἰκουμένη)は欺かれている。緑のタヌキが当たり前に当選するこの国。この世界には言わずもがなキリスト教なる宗教体系も含まれる。すなわちフェイクである。このフェイクの鳥かご(=マトリックス)の中で、ある価値基準に従って生き、その基準を満たすべく努力する。それがまったくハマルティア(的外れ)であったとしてもだ。
それどころか、自分を束縛し、自由を奪う者を擁護すらするようになる。自分の属する教団や牧師を懸命に守ろうとする。それはソレがその人のアイデンティティーの一部に組み込まれたことを意味する。つまり自分を擁護しているだけなのだ。自分の歩み、自分の達成、自分の記憶・・・・etc. われわれエロヒム属はキリストの達成と記憶により生きるのだが。
こうしてそのマトリックスの中で延々と過ごすことになる。啓示録12:9の全世界の単語”οἰκουμένη”の語源は”οἰκέω”であり、Strongによると-
to occupy a house that is, reside (figuratively inhabit, remain, inhere); by implication to cohabit: – dwell.
すなわち、居住する領域、つまりこの五感の領域である。この五感の領域はわれわれの五感のセンサーによって感知され、電気信号に変換され(コード化)、大脳においてデコード化されて知覚として内的に実体化される。これをクオリアと呼ぶ。このクオリアの集合体の体系-マトリックス-がその人にとってのパーソナル・リアリティーであり、その最大公約数的部分がいわゆる常識的世界観である。これが共同体とその文化や慣習からズレると、人格障害として、社会や他者との摩擦を生じるようになり、無意味なトラブルを生じる。
人はみなこのマトリックスの中に閉じ込められている。だから、コロナ怖い、マスクしよう、マスクしない奴は非国民だ、経済を止めても自粛、国が何もしなくてもひたすら忍耐・・・。ついに5月の消費動向指数は実質▲16.5%と脅威の数値を記録した。

失業率が1%上がると、自殺者数が2,300人程度増加する。今はUber Eatsなどのギグ・ワークにより日々食つなぐ若者が増加している。が、彼らは止まれない独楽のようなもので、長期の人生設計は描けない。こうして自分の体と魂を売っているのだ。まことにバビロンの商品は、金・銀・宝石・・・・・奴隷・人の魂とあるとおりだ(Rev 18:12-13)。
キリスト教も同じ。鬱病になる牧師は多いことはもはや常識だ。さらに自殺する牧師も増加しているようだ。コロナ騒動で食うに困る牧師も出ているらしい。そして彼らを援助することが近喫の課題とか叫ぶ向きもある。愚かしい、まずいラーメン屋のオヤジを誰が援助するだろうか。店をたためば良いのである。簡単な事だ。
(2021.06.05追記:ついに『牧師のリジエンスー逆境でも燃え尽きない再起力』なる本が出てしまった😱)
信徒も「かみっさまわ~」とヒスるワンパタンの説教を聞かされて、毎日曜日のお勤めをこなすことにより自分の信仰のアリバイを作っている。ある有名牧師が自分は50年間ただの一度も日曜礼拝を休んだことがない~と豪語していた。ま、ご勝手にどうぞだ。それも今回のコロナで見事にストップされた。日曜礼拝などに出る出ないはフェイスとは関係ない。聖書は「集まることをやめるな」と勧めているが、それは宗教儀式を守れと言うことではない。
ニッポン社会とニッポンキリスト教は合わせ鏡だとずっと指摘しているが、どちらも経済的デフレに霊的デフレで縮小するだけ。なにしろキリスト新聞がこのように証ししているくらいだ。

キリ新は絶滅危惧種、教会は限界集落。極私的には廃墟になるべしと前から言っている。まことの主の業はその廃墟から芽生えるのだから。キリスト教なるマトリックは消え去るのみ。かくして、鳥かごから飛び立ち、ケージから逃れる方法はフェイス。
いま、フェイスとは願われるサブスタンス(実質・実体)、まだ観測されていないことのエビデンス(証明・現出)である。-Heb 11:1(私訳)
エレミヤ16章にあるとおり、宗教の捕囚からの第二のエクソダスをせよ!

日本は国家権力が弱いから束縛が生まれるという逆説。まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」、裏を返せば、「青信号ひとりで渡ると怖くなる」の同調性バイアスの強固な社会だ。ファシズムはトップダウンではなく、ボトムアップすると前から指摘している。
MMTに対する無知による反応も同じ。MMTを実行すれば自分の生活が豊かになるのに、あえて反対して自分自身を貧困化する大衆。自分の頭で考えもせず、財務省のザイセイハタン論をマジ受けして自分の首を絞めているわけだ。
果たしてこの国はどこへ向かうのか。記紀にそのアイデンティティーの根拠を求める論や、日ユ同祖論により天皇に聖書的根拠を与えるむきもある。が、これらは所詮肉(五感の領域)のアイデンティティー。霊的アイデンティティーを得る必要があるのだが、ここにはフェイスによる飛越し必要とされるのだ。
それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。-2Cor 5:16
いずれにしろ、時代は煮詰まってきている。昨今の荒々しい気候や諸国の動きを見ても、明らかに終末的様相を呈していることは誰も否定できないと思う。

TODAY’S CELEBRATION July 05, 2020:ロゴスとスピリットが共に作用しいのちのパワーを生む
MSGタイトル:ワード・スピリット・コンパウンドがいのちのパワ …
- MSGタイトル:ワード・スピリット・コンパウンドがいのちのパワーを生む
- 引用聖句:2Sa 23:2;Job 26:4;32:18;Ps 119:25;28;43;49;Prov 16:24;2Tim 3:15-16;Rom 8:26-29 etc.
- 2020年7月12日(日)のセレブ
・場所:ハロー会議室石川町元町
・時間:13.00-17.00 - プレイヤーMTG:
ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み) - セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。
