キリスト教のマトリックスをエクソダスせよ

ここでも、メッセでも繰り返し指摘しているが、Elohimを「神」とか”God”と、YHWHを「主」とか”LORD”と訳してはならない。特に”God”は元々バビロンのいわゆる神の名称である。もとより「神」は日本の概念であり、聖書の原語におけるElohimやYHWHからは相当に離れている。

このElohimが霊的生命体の”residence”あるいは”domain”であることはDr.Heiserがその著書 “The Unseen Realm: Recovering the Supernatural Worldview of the Bible “において解き明かしていることはすでに私のセミナーでも紹介している。

これらの概念の差はいわゆるキリスト教の歴史の中で構成されたキリスト教神学が元凶であり、それはオリジナルの聖書のマトリックスとはかけ離れた人造のマトリックスである。

最近ではこのことが徐々に広まりつつあるが、たまたま発見したこのチャンネルは私とほぼ同じ見解である。

まずはElohimに関して-

最も高きElohimであるYHWHについて-

そして新しい霊的生命体としてのわれわれについて-

特にこのビデオでは、先に書いた通り、われわれが二つの領域-霊的領域と物理的領域-に生存する存在、デュアリティに生きていることを指摘している。

要するにクリスチャンとはキリスト教徒などではないのだ。教団や教派に属し、正統なキリスト教の教義を信じて、毎週日曜日の午前の正当な礼拝に出席して、立ったり座ったり、牧師の説教と祝祷を受けてお勤めご苦労様です、と。これは単なる宗教のマトリックスのプロトコルに過ぎない。

聖書は生命現象の書である。われわれはエロヒムの霊をインプラントされたニュークリーチャー。うちにはYHWHが住まい、特にキリストが生きて下さる存在。つまりYHWHのエミュレーターである(Eph 5:1)。

鳥のヒナは孵化したときに始めた見たモノを親鳥と刷り込まれる。ニッポンキリスト教で”生まれた”者はそこで初めて見たモノを「信仰」と刷り込まれる。これで延々とキリスト教の中で生かされることになる。

終わりの時代、YHWHエロヒムはこのような宗教のマトリックスからご自身のZOEをインプラントされたエクレシアを解き放とうとされていることを感じる。まことに一度言語の罠にハマるとそこから抜け出ることが困難であることは、ザイセイハタン論者がMMTを理解しないか、あるいはあえて拒絶することからもわかる。たとえそれが滅びへの道であったとしても。

真理を知り、真理はあなたがたを自由にする、ことを身を以って体験した者は幸いである。

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