創造主なるお方はいくつもの御名をもってご自身を啓示される。日本語で読む限りその豊かさを味わうことができない。今、シリーズでメッセしているが、今回の分をまとめておこう。

אלהים  = Elohym (Gen 1:1):エロヒムを「神」とか「GOD」と訳することがキリスト教なる宗教に堕する原因であると指摘している。エロヒムについては、Dr.Heiserの”The Unseen Realm: Recovering the Supernatural Worldview of the Bible” を参照のこと。このブログでも何度も指摘している(☞エロヒム)。

יהוה אלהים = YaHaWeh Elohym (Gen 2:4):היה (AM)から派生したיהוה=YaHaWeh、意味は self Existence =自存者。人を創ったのはYaHaWeh、ではYaHaWehは誰が造ったのか?という質問は ill posed(設定ミス)。何にもよらず、ただ存在する方。物理的にも局所的実在は幻想であるが、存在とはこの方そのものである。

この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。  御子は神の栄光の輝きであり、神の本質(サブスタンス)の真の姿であって、その力ある言葉(レーマ)をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。-Heb 1:2-3

万物はこの究極の存在によって存在するようにされた。そしてその言葉、レーマ(今・ここで語られている生きる言葉であり、したがってバイブレーション)により支持されている。

לאל עליון=El Elyon (Gen 14:18;22):最も高きエル、エロヒムは霊的生命体のカテゴリであることはすでに指摘しているが、その中の最も高き存在。

אל שׁדי=El Shadday (Gen 17:1):全能の神と訳されるが、これでは平板。エル・シャダイとは、乳房なる神である。ピクトグラムでは、シン=二本の前歯、ダレト=扉;垂れ幕、ヨッド=手;働き、これで乳房の意味となる。赤子にとっては自分の存在を維持する唯一の根拠が母の乳房だ。アブラハムが99歳、男として終わったと見えた時に出現した供給の神。しばしば、われわれの肉の力が尽きたときに主は出現されるのだ。

אל עולם=El Olam (Gen 21:33):エル・オラム。オラムとは永遠と訳されているが、その意味は”Beyond the field of vision of time or space”。すなわち時空間の視界を超えた領域におられるお方だ。この時空間の局所的実在は幻想であると量子論は教えるが、その時空間の外におられるお方。よって過去・現在・未来はすべてその方の中に包含される。われわれの経験する時間とか空間はブレインが作り出したクオリアであり、幻想である。真のリアリティ、すなわち存在はI-AMなるお方そのものである。

אהיה אשׁר אהיה=haya asher haya (Exo 3:14):モーセが燃える芝の場でお会いした存在。英語で言えば、I AM THAT I AM、ありてある、だ。そしてこのお方の名が「ある(הָיָה)」すなわち”I-AM”である。これを「」とか”LORD”と訳してしまうがキリスト教。固有名詞はそのままにすべきである。あえて訳せば「在」である。

יהוה=YHWH (Exo 6:2):モーセに対して初めてYHWHとしてご自分を現わされた。アブラハム、イサク、ヤコブには啓示されなかった御名である。これは”הָיָה”から派生している。したがって、やはり”I-AM”である(☞I-AMのパワー)。

そして時代は新約時代へ。ジーザスはご自分を”I-AM”であると宣言されたのだ。

だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。-John 8:24

そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。-John 8:28

イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」-John 8:58

事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。-John 13:19

そしてヘブル書の記者もこう証しする:

フェイスがなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が”ある(I-AM)”であり(原意)、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。-Heb 11:6

かくしてYHWHの第二格であるロゴスにして御子なる存在が五感の領域に物体(肉体)化されて幕屋を張られた(John 1:14)。そしてこう宣言された:

ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。 -John 14:9-10

こうして父を子が100%現わされ、その子の言葉とわざを聖霊が、今・ここで、私たちに現わされる:

イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。 -John 14:23

わたしたちとは父と子である。聖霊が来られるとき、父・子・聖霊のYHWH(I-AM)がわたしたちのうちに住まわれるのだ。その聖霊は、子が父から受けたものを私たちに伝達し、子のことばとわざを実体化してくださる。聖霊はいわばOSのような存在、アプリがキリストである。

けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。-John 16:13-15

かくしてYHWHの三つのパースンズは経綸的に私たちにおいてその御計画(オイコノミヤ)を、この五感の領域において実際のものとして現出してくださる。これがフェイスである。

今、フェイスとは望まれることの実体(サブスタンス)であり、見ていないことの実証(エビデンス)である。-Heb 11:1(私訳)

ゆえに、ジーザスは言われた、「YHWHフェイスを持て」(Mark 11:22)と。またパウロも「御子フェイスによって生きる」(Gal 2:20)。今や、キリストは命を与える霊となられ(1Cor 15:45)、聖霊により私たちのうちに生きる(2Cor 13:5)。かくしてわれわれはジーザスのこの言葉を経験するのだ。

わたしが生きるのであなたがたも生きる。-John 14:19

今回のメッセでは、スバル360の360ccエンジンを3リッター6気筒エンジンに換装する譬えで説明した。これが十字架におけるいのちの交換である。

キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。-Col 2:9-10

この節については次のAmplifiedを極私的には好んでいる。

For in Him the whole fullness of Deity (the Godhead) continues to dwell in bodily form [giving complete expression of the divine nature]. And you are in Him, made full and having come to fullness of life [in Christ you too are filled with the Godhead—Father, Son and Holy Spirit—and reach full spiritual stature].

ゆえにエクレシアとはキリストの充満である(Eph 1:23)。こうしてYHWHは経綸の中で、人類にご自身を段階的に(progressive)に啓示され、ついには私たちのいのちとなってくださったのである(☞神のエコノミー-いのちのディスペンセーション-)。PTL✨

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