再度、私が愛読するDerek Princeを紹介しよう。

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。-John 10:9-10

Derekも言う通り、スーパーナチュラルに至るチャネルは種々ある。ニューエイジ[1] … Continue readingもそれらのチャネルを利用してスーパーナチュラル、すなわちスピリチュアル領域にアクセスする。むしろ、形骸化した宗教マトリックスに生きるキリスト教徒などより霊的感受性は高いと言ってよい。

が、真のいのち(ZOE)に至るポータル(門)はただひとつ、ジーザスである。この聖句はもちろんキリスト教でもよく使われるが、彼らがほとんど意識しない部分がある。それは「出入りして」だ。お分かりだろうか? きわめてアクティブな活動である。すなわち、この五感の領域と霊の領域を行き来するのだ!

今、フェイスとは願われるサブスタンス(実体)、まだ観測されていないことのエビデンス(現出)である。-Heb 11:1(私訳)

フェイスは、サブスタンス&エビデンス。サブスタンスとは霊的領域に存在し、エビデンスとはそれが五感の領域に現れることだ。われわれはこの物理的な時空連続体に生きるだけではない。霊の領域にもジーザスというポータルを通して入り込む。つまり、物理領域と霊の領域のデュアルワールドに生きているのだ。

「わたしはありてある」と最も高きエロヒムはモーセに対して御自身を現わされた。そしてその呼び名はיהוה(YHWH)。アブラハムらにはそのようには御自身を啓示されていない(Exo 3:14-15)。英語で言えば”I AM THAT I AM”。この後に”X”を代入することができるとメッセで語ってきている。Jehovah JireはYHWH・満たし、Johovah RaphaはYHWH・癒し・・・。

この”I AM”は הָיָה (HAYAH)、その意味は”to exist, that is, be or become, come to pass”(Strong)。つまり、存在生成活動である。「フェイスはI-AMの実体化である」とかつて私は書いた(☞『真理はあなたを自由にする』)。このI-AMをXとして、今・ここに「有らしめ・成らしめ・働かしめる」ことこそがフェイスである! ゆえに「わたしはある」(John 8:58)と宣言されたジーザスは言われた、「わたしの名にあって願うものは何でも与えられる」と(John 15:16)。

そして、ニュークリーチャーなるわれわれは、ZOEをインプラントされ、YHWHエロヒムの霊のDNAをインヒュージョンされたエロヒム属である。そのZOE、霊のいのちを、しかも豊かに受け、霊のサブスタンスとしての牧草を享受するのだ。まことにジーザスは霊・魂・体のすべてにおいてアバダントなライフに至る唯一のポータル、門である! [2] … Continue reading中でも魂の状態がカギであり、それはマインドのあり方によって規定される(Rom 12:2)。

愛する者よ、あなたの魂が繁栄(prosper)しているように、あなたがすべての面で繁栄し(prosper)、健康であるようにと祈っています。-3John 1:2

この夢芝居の舞台にいる間に、せいぜいアバンダント・ライフをエンジョイせよ!

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1 実は、キリストこそが古い創造を終わらせ、新しい創造をもたらしてニューエイジを開始されたのだ。その意味でわれわれニュークリーチャーこそが真のニューエイジャーである。いわゆるニューエイジはキリストのわざのパクリである。
2 ただし、注意してほしい。父に至る道は唯一ジーザスであるが、ジーザスに至る道はいろいろあることを忘れないように。私は科学と禅から入ったが、イスラムからも可能、芸術や文学からも可能であるのだ。

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