まずはいつものDr.Heiserを紹介しておく-

神は本質を一にして、三つの区別されるパースンズ(三位格)におわすお方。これがいわゆる三位一体の神学公式である。そしてYHWHを「主(LORD)」、Elohimを「神(God)」と訳すことから白いキリスト教はヘブライ語のマトリックスから逸脱していることは何度も指摘している。

Elohimは霊的生命体の分類カテゴリーであり、種々のElohimが存在するのだ[1]疑う者は不毛な議論をする前に、まず自らヘブライ語聖書を参照せよ。新改訳などの邦語訳を持ち出す筋は取り合わないからそのつもりで。。そしてその最も高きElohim(El Elyon)がYaHaWeHであり、それはその存在者-EHYAH ASHER EHYAH (I AM THAT I AM)-の固有名詞である。そしてYaHaWeHは三つのパースンズからなる。もちろん、父・子・聖霊である。なお、これから引用する聖書はHebrew Root Bibleである。

And YAHWEH (on earth) rained fire and brimstone on Sodom and Gomorrah, from YAHWEH out of the heavens.-Gen 19:24(HRB)

ここで分るのは地におけるYAHWAEHと天のYAHWEHが存在することだ。この聖句についてHRBの脚注にこう指摘されている:

No man has ever seen Yahweh the Father (Joh 1:18, 1Jn 4:12) so this is Yahweh the Son and this scripture shows that Yahweh is a family name consisting of two Yahweh beings, Isa 44:6, Psa 110:1-2, Jer 23:6.

要するにYAHWEHとは家族名であって、Yahweh the Father と Yahweh the Son がおられ、二つの Yahweh beings から構成されるというわけである。

And Elohim said to Moses again, You shall say this to the sons of Israel, YAHWEH, the Elohe of your fathers, the Elohe of Abraham, the Elohe of Isaac, and the Elohe of Jacob, has sent me to you. This is My name forever, and this is how I should be remembered from generation to generation.-Exo 3:15

ここではElohim(複数形)とElohe(単数形)を使い分けている。霊的にはアブラハムは父なる神を、イサクは子なる神を、ヤコブは聖霊なる神の型である。注意すべき点は、YAHWEHはElohimであるが、Elohimは必ずしもYAHWEHではない。繰り返すがElohimは霊的生命体のカテゴリーである。

For your Makers are your husbands; YAHWEH of Hosts is Their name; and your Redeemer is the Holy One of Israel; He is called the Elohim of all the earth.-Isa 54:5

ここにある創造主は複数形である。HRBは次のようにコメントしている:

(716) This word is plural in Hebrew and shows 2 beings at creation (Psa 149:2, Ecc 12:1).

すなわち御父は言葉を発することにより、ご自分のロゴスである御子にあって万物を創造されたのだ。そのためのプラットフォームを聖霊が用意されていた。

Yet the earth became a chaos and vacant, and darkness was on the surface of the submerged chaos. Yet the spirit of the Elohim is vibrating over the surface of the water.-Gen 1:2 (CLV)

エロヒムの霊が水の表を覆い、バイブレートしていたのだ。バイブレートとはエネルギーを与えること。そしてこの「バイブレートしていた」と訳された単語”râchaph”の意味は

A primitive root; to brood; by implication to be relaxed: – flutter, move, shake. (Strong)

つまり孵化することである、しかもリラックスして。そしてヘブル書はこう証言する:

In many ways and in various ways of old, Elohim spoke to the fathers in the prophets; in these last days He has spoken to us in the Son, whom He appointed heir of all; and by whom he made the worlds; for He is the brightness of His glory, and the express image of His being, and upholding all things by the power of His Word; having made purification of our sins through Himself, He sat down on the right hand of the Majesty on high, (Psa 110:1)-Heb 1:2-3

もっとも高きElohimはかつては預言者たちに部分部分を語ったが、終わりの日には御子にあって語り、御子をとおして万物(アイオン)を創造された。かくして最も高きElohim(El Elyon)であるYAHWEHは父・子・聖霊から構成されており、たとえると、父はプログラマー聖霊はプラットフォームとしてのOS、そして子はアプリとなるだろう。WindowsにしてもiOSにしても、OSは決して表には出ない。あくまでアプリケーションを作動させる舞台を備える。そしてそのシステムはプログラマーによって書かれたのだ。

ゆえにジーザスはこう言われた-

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである
その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

・・・
イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。 –John 14:17-23

その日とはいつのことか? もちろん聖霊が来られる日である。その日には「わたしたちがその人と住む」のだ。わたしたちとは? もちろん父と子である。子は父のうちに(in)おられ、私たちは子のうちに(in)おり、また子は私たちのうちに(in)おられるのだ。つまり私たちのうちにはYAHWEHの三者が住まわれる! そして聖霊は

けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。 –John 16:13-15

聖霊はジーザスのものを私たちに伝達してくださる(☞聖霊の経綸的働き)。そのジーザスのものは御父のものである。キリストの経験はすべて私の経験である(☞スピリチュアル・エンタグルメント)。かくして私たちはアダム系の古い記憶と言葉によって生きるのではなく、キリスト系の聖霊のメモリ―と言葉によって生きるのだ。外なる言葉(聖書)と内なる言葉(聖霊が伝達するジーザスの言葉)が合致する時、私たちは霊において霊の光をゲットする。これがフォティーゾである。

かくして聖霊様の充満~、油注ぎ~と騒ぐことの愚かさがわかるであろう。スマホを使うとき、あるいはPCを使うとき、OS様の充満~、OS様の油注ぎ~とやるのはナンセンス。ただアプリを起動すればよいのだ。これが御名を呼ぶことだ。この点、ベニー・ヒンは2015年頃、かつての自分の教えは誤っていたとして、聖霊を求めるは誤りであり、ジーザスを求めればよいと言い出したことはすでに紹介している。ゆえに聖霊は「ジーザス・アンリミテッド」と。これは実にいい言葉である。

繰り返すが、エクレシアの霊的定義は「すべてにおいてすべてを満たす方の充満」(Eph 1:23)、また可視的定義は「至る所でわたしたちの主イエス・キリストの御名を呼び求めている人々」(1Cor 1:2)である。イエシュアとはYAHWEHが救い、つまりイエシュアを呼べば父・子・聖霊を呼ぶのである。エクレシアはいのちを与える霊となられた(1Cor 15:45)キリストのいのちをインヒュージョンされたひとりの新しい人、宇宙的なキリストの体であり、霊的生命体、ニュー・スピーシーズである。それはYAHWEH家の一員とされる特権である。キリスト教なる宗教体系をエクソダスした人は幸いである。

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1 疑う者は不毛な議論をする前に、まず自らヘブライ語聖書を参照せよ。新改訳などの邦語訳を持ち出す筋は取り合わないからそのつもりで。

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