キリスト教なる宗教は甘い親子関係を失う

父:「だから、欲しいものを言ってみよ」。
子:「ぼくは自我を十字架で砕きます」。
父:「そうではなく、具体的に欲しいものを求めなさい」。
子:「ぼくは自分を否みますから、ぼくの信仰を認めてください」。
父:「あなたはわたしの子であり、わたしの持っているものはすでにすべてあなたのものなのだ」。

これがキリスト教なる宗教のマトリックス、ニッポンキ業界での典型的場面である。

ニュークリーチャーはYaHaWeH家のエロヒム族、それは愛による親子関係。キリスト教は自分の信条やあり方の”正しさ”をもって自分をアピールし、受け入れられようとする。そこには不自然な緊張関係が生じ、甘い愛の交わりがなく、殺伐とした渇きを深める。

フェイスはすでにいにしえにおいて成し遂げられた完成した御業にあって、完全とされた私(の霊)と父との甘い交わりを享受する。その霊の交流は魂の感情にも触れて、内側は甘美な感覚により油塗られ、深い平安と安息、歓喜に満ち溢れる。ブラザー・ローレンスはこう証しする(☞神の愛に満たされたい時に):

外部の仕事をしている時には、神を思うことを妨げられてしまうこともあります。けれども神からの新鮮な思いが私の魂をおおい、神の臨在の烈しさに私の魂は熱く燃やされ、大声で叫び歌い、舞い踊りたくなるほどです。私は祈りと学びのために密室に静まっている時よりも、かえって普通の仕事をしている時の方が、もっと強く神との結びつきを感じます。

ブラザー・ローレンス:『敬虔な生涯』CLC

聖霊が来られるとき、わたしたち(=父と子)も私たちの霊の中に内住される(John 14:23)。聖霊だけが来られているのではない。聖霊は父と子の内住をもたらし、交わりを可能にする。この意味で、私たち(の霊)は三位一体の交わりに参与できるのである。私たちは神性に参与するものであるから(2Pet 1:4)。

私たちの霊は至聖所であり、新約の現在はつねにその恵みの座(=契約の箱)にタッチすることができる。なぜなら私たちは御子に包まれ、御子にあって御父に接近することが可能とされているからだ。

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。-1John 1:3

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