無意識は意識に先行する-自由意志なる幻想-

すでに何度も指摘しているが、<カルバン(決定論=神の意志)VSアルミニウス(偶然論=人の意志)>の神学ギロンはナンセンスである。われわれの認識能力として、決定論か偶然論を識別することはできないのだ。詳細は次の記事にある再建主義者との議論のログを参照のこと。

そもそも人の自由意志なるものが幻想であることは脳科学でも証明されつつあるし、聖書の言うところでもある。

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。・・・しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。-Gal 4:3-9

つまり諸霊は人間のマインドに干渉するのだ。世の人はほぼ無意識的にその影響を受けているが、自分の決断や好みなどがその働きの結果であるとはまったく考えていないでしょう。

さて、今回、FBで紹介しておいたこのクリップ、実に面白い。人間の意識作用は無意識レベルでの反応の後付け講釈であると。

つまり意識は、諸霊や自分の無意識の反応を受信して、それを解釈したものであるのだ。自由意志なるものも、実は無意識が生み出した何らかの決定がやや遅れて意識化されたものにすぎない(受動的意識仮説)。

かくして大脳なるものは、一種の受動的受信機であるとする説が浮上する。何かを生み出すと言うよりは、何かを受信し、それを意識の中で構成するのだ。事実、聖書ではこう言われている:

夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが・・・-John 13:2

どうように福音もロゴスがわれわれの心に撒かれることである。

それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが・・・-Mark 4:31

つまり私たちのマインドに撒かれたロゴスは私たちの心の中で成長、増殖する。これがサブコンシャスのレベルで行われるのだ。もちろん聖霊の働きによる。そしてその聖霊は私たちの腹から川川となって流れ出る(John 7:39)。

The spirit of man is the lamp of YAHWEH, searching all the inward parts of the heart.-Prov 20:27

私たちの霊は聖霊と共に働き、サブコンシャスのレベルに浸透し、探索する。こうして無意識の領域において私たちの魂の再構成がなされる。

かくして、われわれの好みや意志決定などはほぼサブコンシャスのなせる業であり、いかにあてにならぬものかは、大恋愛の末に結婚した芸能人があっという間に離婚することで分かるであろう。ではわれわれはどこに意識の根拠を置くのか。もちろん御言葉=ロゴスである。

だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉(ロゴス)は、あなたがたの魂を救うことができます。-James 1:21

そこでこう奨励されている:

キリストの言葉(ロゴス)があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。-Col 3:16

ここの「内に」とは単なる意識の表象としてではない。サブコンシャスの領域に至るまで御言葉が浸透することを意味する。これはもちろんキリストの体性メモリを再現する聖霊による。御霊と御言葉は共に働き、私たちの魂のサブコンシャス(無意識)の領域をも作り変えるのである。もちろんキリストの形へと!

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