良きサマリヤ人とは誰か?-セルフ・コンシャスからキリスト・コンシャスへ

おなじみの説話。ニッポンキリスト教でよく聞かれる説教は、私たちも傷ついた人に寄り添って、良きサマリヤ人になりましょう!・・・だ。実に胡散臭い。

良きサマリヤ人はだれ? それはジーザス。強盗に襲われて半殺し状態であった者はだれ? 私たち。強盗はだれ? もちろんこの世の君、サタン。レビ人や祭司はだれ? 宗教だ。つまり宗教は人を救わない。

ジーザスはご自分が良きサマリヤ人であると言われる。傷に油(聖霊)とぶどう酒(血)を注ぎ、包帯をして(罪の傷の覆い)、ロバ(ご自分が乗る動物)で宿まで運び(ジーザスが用意された住処)、費用を払い(贖いの代価)、さらに不足があれば追加の支払いの約束までしてくださった。WOW! 

われわれは単に「死後天国に行ける」といった幼稚な福音ではなく、今、ここで、不足があれば良きサマリヤ人が支払ってくださるとの約束を得ているわけ! God’s Kingdomは、今、ここに、すでにある!

前に、いわゆる黄金律、「あなたのしてもらいたいことを人にもせよ」が誤訳であると指摘した。

なぜか人は、何かをしないではおれない習性を有している。何かをしていないと落ち着かないのだ。が、神はわたしがすると言われる。フェイスは私たちのしもべ。

主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」-ルカ17:6

よく読んでほしい。言うことをきくのだ! カギはからし種ほどのフェイス。それはサイズの問題ではない。砂粒ほどではダメ。ここでも人はサイズにこだわる。信仰を増し加えてくださいと。フェイスは、あるか、ないか。ポイントは種にはDNAがあること。DNAがあればそれは自ずと繁殖するのだ。

視点を自分から神へとチェンジすること。それは実に安楽な道。

人を豊かにするのは神の祝福である。人の労苦は何も加えない。―箴言10:22

するとまた、私を祝福してください、と叫ぶ。ノー、すでに祝福されている。

神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。-エペソ1:3

ええ、そんな安易なことでいいの? そんな都合のいい話があるの? アブソリュートリー・イエス! 私たちには不足分を払ってくださる良きサマリヤ人がついてるのだから。宗教を離脱せよ、WOW!

キリスト教なる宗教は常に自分のあり方を気にするが、フェイスは常にイエシュアを意識する。ベクトルの向きが逆なのだ。セルフからキリストへ、これがメタノイア=思い改め=だ。

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