日記1月182023徒然にそこはかとなく・・・・東京裁判が終わり対日講話がなされたのが1952年、その数年後ぼくは大森に生まれた。その頃の東京下町はまだ戦争の傷跡が残り、白い着物をまとった手足のない傷痍軍人があちこちに見られた。映画の『三丁目の夕日』や『20世紀少年』の世界そのものだった。 GHQの刷り込みで「アメリカは自由と平等にして正義の国;… 続きを読む