マーレー・クオート:『キリストの御霊』第四章から

御霊はまず第一に、いのちを与えるのを原則として働かれます。御霊が信徒のうちになされる、しるし、きよめ、光を与え、力づけるみわざなどは、みなこれに根ざしているのです。・・・魂の内なるいのちとして御霊を待ち望んでこそ、彼のそれ以外の恵みのみわざを経験することができるのです。これはただそのいのちの成長発展したものにほかならないのです。これらを味わうことができるのは、内なるいのちの力によってです。

この御霊に対照して、主は肉をおいてます。肉が罪の源泉だと言っているのではありません。そうではなく、宗教的な面では、肉とは生まれつきのままの人、あるいは完全に神にゆだねていない信徒が、みずから神に仕え、神のことを知り、自分のものにしようとして用いる力を言っております。

二つのことを教えたいのです。その一つは、そのことばが真に生きた種であって、根ざし発芽する力を持っており、これを受け入れてその心にとどめる者に、その活力をあらわし、その意義を啓示し、その神的な力を実証するということです。

彼のみことばは霊であり、またいのちです。そのみことばは理解するためのものではなく、いのちを得るためのものです。みことばは見えない御霊の力によって来て、すべての思いよりも高く深く、いのちの根源に侵入します。みことばはその中に神のいのちを持っており、神の力によって、その真理を受け入れる者の経験の中に、有効に成長するのです。

種はそれが適する土壌を必要とします。種の中ばかりでなく、土壌にもいのちが必要です。みことばは頭の中に入るだけでなく、感情の中だけでもなく、また意志の中に入るだけでもありません。それらすべてを通して、その奥にあるいのちに撒かれなくてなりません。そのいのちの中心は人間の霊的性質であり、良心はその声です。

御霊に満たされたいならば、みことばに満たされなさい。また御霊のいのちがあなたのうちに育って強くなり、あなたの性質のすべての部分に力を得ることを願うならば、キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせなさい。

人生のさまざまの場面に遭遇し、一見矛盾したような命令とか主義の間にあって、そのなすべきことを誤りなく選択し、必要な示唆を受けるために聖霊によって神の御心を啓示されることを願うならば、みことばを豊かにうちに住まわせ、聖霊が用いてくださるように備えなさい、・・・聖霊が活力を現わされるのはみことばによってなのです。

霊であり、いのちであるみことばは、内住の御霊といのちによって私たちのうちに生きて働かれ、これによってのみその意味を啓示し、その実質を賦与し、その神による力満たしをうちなる御霊といのちに与えるのです。

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