メタノイアは超越認知思考ないしメタ認知思考-「悔い」の意味はまったくない-

すでに何度も指摘している「メタノイア(metanoia)」、邦誤訳聖書では「悔い改め」と訳されるが、その単語に「悔い」の意味などはない。

神のみこころに添うた悲しみは[1]悲しみはメタノイアに導くのだから、メタノイアには悲しみの意味はないことは明らかであろう。悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。-2Cor 7:10

この訳は「悔いのない悔い改め」と矛盾した表現である。ちょうど「愛のない愛情」というようなものだ。英語では前者を”unregretted”、後者を”repent”としているが、この”repent”にも問題がある。

さて、そこで通常は「思い改め」でよいと思うが、もっと原語の意味を深く含んだ「超越認知思考」を今回のメッセでは提案した。すなわち「メタノイア=メタ+ノイエオ(ヌースから)」であり、ヌースの意味はかなり深い。シーケンシャル思考というより直感的に全体像を把握する知的思考能力だ。そこで「超越認知思考」とした次第。あるいは「メタ認知思考」でもよいだろう。「思い改め」は「悔い改め」よりベターだが、言語としてはやや軽い。

ヌースは「理性」を意味するが、順を追って過程的に思考する推論理性ではなく、全体を一挙に把握する直観理性を意味する。したがってアリストテレスでは、理性(ヌース)は事物の本質を把握する能力、推論の原理を把握する能力を意味する。広義には、事物を弁別する能力、すなわち「分別」を意味した。ヌースをもつ人とは「分別のある人」である。[1]

語源的には、「観(み)る」「識別する」「嗅(か)ぎ分ける」を意味する動詞ノエイン (noein)に由来するが、初期の哲学者たちによって早くから、感覚の識別能力に対して、感覚に隠された事物の同一と差別を識別する高次の精神能力とされた[1]。(WIKIより)

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1 悲しみはメタノイアに導くのだから、メタノイアには悲しみの意味はないことは明らかであろう。

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