
人は自分が知覚し、認知し、認識した「世界」をリアルと信じ込んでいる。これを「プライベート内的世界像」と呼んでいるが、しばしば、それはリアルな世界ではなく、個人的な認知の歪みが入り込んでバイアスされている。そのノイズの入った像に従って、これまでの経験のデータベースに基づいて、判断を行い、意思決定をして、言動として世界へとアウトプットされる。
結果は、世界そのものに対応するのではなく、自分で作り上げた世界の「像」に対応するのだから、当然に世界とは齟齬が生じる。そしてその実を刈り取るのだが、しばしば期待したものとははるかに異なる。こうして欲求不満が溜まり、ますます世界の見方にバイアスが入る・・・といった悪循環に陥る。
これが自分の構成した世界像に完全に飲み込まれている人の在り方である。つまりその像=マトリックス=がすべて、それを絶対化し、客観的に評価することができなくなっている。このように自分自身に飲み込まれている状態が妄想病患者である。ゴルゴ13はこう言っている:

かくしてキリスト教業界においても同じことが起きる。いわゆる神学論争や相互異端断罪事件などが生じるのは、自分の像=マトリックス=を絶対視し、その中に飲み込まれているためだ。その中から他者を見るとき、自分と食い違いを覚え、それが不快感を生じるわけ。このマイワールドに生きることが盲信・狂信・迷信を生む。
鳥のヒナは孵化して最初に見たモノを「親」と思い込む。たとえそれがおもちゃであっても、一度刷り込まれるとあくまでも親として従っていく。これをインプリンティングという。
同様に「福音」を聴いたところがナントカ教団やカントカ同盟で、牧師がいるのが当然かつ牧師に忠実に従うことを求められ、他に理事会や長老(監督)会があって、日曜礼拝なる「我はなんとかを信ず~」を唱えて立ったり座ったりがあって、献金袋/箱が回ってきて、収入の10分の一が義務で、他に諸々の献金項目があって、納めないと請求書や取り立てが来て、奉仕の当番があって・・・、と。
一方では「聖霊様の充満~、油注ぎ~」とチャントしつつ、天使の羽根~、金歯金粉~、しるし不思議~を求めて、下手なタテノリガチャガチャのワーシップを聴かされて、頭が痛くなっても我慢して、自分もいつか預言ができるようになって、ガンの癒しや「主はこう言われます~」をやってみたい、・・・と。
こうして最初に見た目の前の光景がキリスト教の「当たり前」、下手すると「正統」と刷り込まれる。犬に従うヒナたちのように、目の前の牧師(or 理事会や監督)に従うことが当然となる。先輩たちの姿を見て、それがいわゆるキリスト教徒の模範とインプリントされる。自分もその「理想像」に従ってやっているうちに、当初は歓びがあったのに、なぜかいつの間にか窒息感を覚え、でも自分に問題があると思い込み、相手に合わせて信仰に励んで頑張ってる[1]これを認知的不協和最小化といい、カルトなどのマインドコントロールの基本メカニズムである。うちに干からびれてしまう。かくして牧師ですらバーンアウトするし、下手すると自死する始末。これをハマルティア症候群という。

しかし原因は分からない。・・・これが自分のマトリックスを第三者の目で見られない状態、それを相対化できないために生じる現象である。外部者からは容易に分かるのに、自分は分からない。こうしてせっかくパロ(世の神)が仕切るエジプト(この世)からエクソダスしたのに、荒野(魂の経験)をさ迷うことになる。良き地へは直行すれば一週間であるのに、自分の魂(思い・感情・意志)のマトリックスにハマり込むと40年を浪費する。
これがキリスト教なる宗教による捕囚、多種多様な教会ゴッコの在り方が広がっているニッポンキ業界の主流派、日本基督教団の機関紙「キリスト新聞」様が、自ら限界集落と告白しているニッポンキ業界のリアルな有り様である。
ヨルダン川の向こうに広がる良き地とは霊の経験、キリストにある豊かないのちの経験である。
わたしが来たのは羊がいのちを、しかも豊かに得るためである。-John 10:10
それは牧師や教団などに従うのではなく、ただキリストに従うとき、その霊の生活がリアルになる。そのためにキリスト教なる宗教の捕囚からセコンド・エクソダスにより、良き地なるキリストご自身に立ち返ることを提唱している。
今、平安や歓び、満足を失っている皆さん、あなたは誰に、あるいは何に従っているのか? 主はこう言われるのだ-
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。-John 10:27
References
↑1 | これを認知的不協和最小化といい、カルトなどのマインドコントロールの基本メカニズムである。 |
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