- 2025-06-14
iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ


一言、キモイ。フランスはすでにここまで病んでいるかと。明らかにキリスト教に対するアンチというか挑発が見て取れる。これが単に宗教としてのキリスト教に対する者であればよいが、残念ながら彼らにとってはキリストご自身に向けられている。ニーチェが『アンチ・クリストス』を書いて発狂した轍を踏んでいる[1]彼はキリストご自身とキリスト教の切り分けができていないのが致命症となった。。
この二枚の絵柄を見れば、彼らの意図は明らかである。


今回セーヌ川に青白い馬が登場した、と聖書を知ってる系の間では話題となっているようだ。


まあ、それは所詮パフォとして、先の「オレンジ計画」でも言えるが、世界の歴史のダイナミクスはノア預言により、また地政学的配置は四色の馬によって象徴されているのだ。
すでに2012年ロンドン大会辺りから露骨になっているが(コロナが予告されていた)、今回の開会式でも西欧文明の荒廃がさらに進んでいることが明らかになった。これで、社会化され、世の価値観に迎合し、世のシステムの一部として組み込まれた(白い)キリスト教がすでに塩気を失っており、よってその末路も見えてきたと分かる。
わたしが地上に戻るとき、はたして信(faith)が見られるであろうか。-Luke 18:8
ニッポンキ業界のその系ではおめでたくも「リバイバル音頭」を踊りたくて、イベント屋があれこれタテノリガチャガチャやドンチャン騒ぎの聖会とやらを打ってるが、所詮はヤラセだ。そもそもリバイバルって何よ?って話なのだが、今の時代、サイズではなくクオリティ(純度)を保つこと、つまりレムナントが最後までサイバイバルする時代なのだ。
フィラデルフィア(兄弟愛の意味)のエクレシアにイエシュアは言われる:
あなたがたは力はわずかであったが、わたしの名と言葉を否まなかった。・・・持っている冠を奪われないように、持っているものをかたく守れ。-Rev 3:8-11

先に紹介した「オレンジ計画」に関するこの書、実におもしろい。今のニッポンが日本ではないのは、彼らが仕組んだことの結果なのだ。
1911年版「オレンジ計画」によると、対日戦争の工程表として
1.開戦当初は地理的に優位な日本海軍が太平洋のアメリカ領諸島を占領する。
2.米艦隊は西太平洋で陣容を整え、日本の通商線を破壊し、海戦により日本艦隊を圧倒する。
3.米海軍は島々を伝って北上し、日本へ接近。海上封鎖によって、日本の食料・燃料・原材料を枯渇させる。さらに日本本土に戦略爆撃を加えて、日本を屈服させる。
とし、中でも3.のための最後の決戦場が沖縄になることを指摘。すでにマハン大佐は1911年に「沖縄こそ米海軍にとって、最も有益な地点である」と主張し、沖縄に基地を建設することが日本壊滅の鍵となるとまで。
さかのぼると1853年にペリーが沖縄に米軍基地を作るべきことを政府に進言し、米政府は承認していたのだ。1906年版「オレンジ計画」で日本包囲のために沖縄占領が計画され、1911年版で具体案が決定され、「太平洋戦争」(彼らにとっては「大東亜戦争」ではない)で実行に移された。そして1945年6月に沖縄は占領されるのだった。
その後は・・・今、リアルタイムで見てる通りである。
☞防衛研究所のオレンジ計画に関する報告書(PDF)
アメリカの病理は<アングロ・サクソン至上主義×白いキリスト教>。帝国主義と白いキリスト教の融合体、これが世界を植民地とする西欧列強の競争を生んだ原動力である。まさにノア預言の成就である。自分たちは神の側にあって、未開人を文明化することこそが善(正義)であると。ニッポンキリスト教はその落とし子である。
この白いキリスト教と帝国主義の結合は啓示録の四色の馬に乗る者たち、それらはエレミヤ書にある四方に配置される霊であるが(上の記事参照)、エルサレムから見て西に配置される白い馬の霊こそが、欺瞞の白いキリスト教である。それは地中海世界を席巻し、さらに大西洋を越えてアメリカ大陸に届いた。アメリカは東海岸から初めて、西部劇でみられるようにインディアンを虐殺しつつ西進し、ついには太平洋を射程に収めたのだ。ここでその西の果てに位置する日本がクローズアップされる。

江戸時代までに、そしてそれ以後も白人の植民地化にあくまでも抵抗した(タイも)黄色い猿をなんとか屈服させる必要があったのだ。この辺りの分析はヘレン・ミアーズのこの書が実に正確である。アメリカには「オレンジ計画」を策定し、最後には原爆を民間人の上に落とす鬼畜もいれば、彼女のような良心を有している誠実な人物もいる。
ヘレン・ミアーズ(1900-1989)は1920年代から日米が開戦する前まで二度にわたって中国と日本を訪れ、東洋学を研究。戦争中はミシガン大学、ノースウェスタン大学などで日本社会について講義していた。1946年のGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日し、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
彼女は言う、
占領政策は日本国民と文明の抑圧であることがよくわかる。この計画は戦争の合法的行為、すなわち賠償行為の常識をはるかに超えた、圧倒的スケールの「懲罰」「拘束」である。これが、もし計画通りに実行されれば、私たちの意図とは関係なく、日本の伝統文明は破壊され、国民はアメリカの下僕となり、人口は減少するだろう。
これはまさに「オレンジ計画」の最終目標であることは明らかだ。そもそも東京裁判は国際法に基づかないマッカーサーの「チャーター」による復讐劇場であり、政治ショーであると、パール判事は指摘したが、アメリカ人自身もそれを追認している。まことにニッポンの今日を正確に言い当てているではないか。
東京裁判は国際法ではなく真っ赤ウソ―のチャーター(命令)によるだけ。しかも大統領への道が立たれた彼は、日本は自衛のためであったと証言した。自分が裁いた東條の証言と同じことを語った。真っ赤ウソー自身は日本が侵略目的ではなかったと知っているのだ。しかも、東京裁判は無意味だったとも(☞マッカーサーについての記事群)。

パール判事の指摘通り東京裁判は正義の実現でなく、復讐目的の政治ショーだった。元々、セオドア・ルーズベルトの策定した「オレンジ計画」で意図されていた通りだった。「日本が侵略する」との妄想は自分たちがインディアンらになしたことの良心の呵責による投影だったのだ。
では、どうしてアメリカはここまで日本を追い詰めなくてはならなかったのか? これは多分にアメリカ自身がハワイ王国やインディアンに対してした不法残虐行為による良心の呵責を抑圧し、それを相手に投影することにより自分がしたことを相手もするのではというパライノド(被害妄想)を抱いているのだ。これはヘレン氏の分析とも一致する。まさに「オレンジ計画」はその日本が世界を征服することを企んでいるという、自身の鏡像を見て恐れてのことなのだ。
ヘレン氏の観察をまとめると、アメリカ人は日本人をほぼ病的に恐れているという。関ヶ原以前から世界征服を企んでいたのだが(例えば秀吉の朝鮮出兵など)、その世界征服の野望を阻止するために原爆を落として二度と軍事的に立てない国にすることを企図したのだと指摘する。事実、アジア諸国の中でロシアに勝利し、戦艦大和やゼロ戦を作る黄色い猿はアングロ・サクソンのプライドを深く傷つけたことだろう。彼らにとっては猿のレベルを超える日本人は不都合な存在なのだ[1]林千勝氏の指摘によると、アメリカは原爆をドイツに落とすことは同じ白人ゆえにしないとし、猿である日本人(”Japan”ではなく ”The … Continue reading。
このヘレン氏の観察は「オレンジ計画」策定の動機が、「日本が開国以来世界征服を企んでいる」ことに対する対策として策定された事実に合致する。彼らの良心の呵責の投影としてのパラノイド(被害妄想)である。だから米は常に強迫的に軍備増強をするのだ。もちろん軍産複合体の利にもかなっているわけだが。
すなわちアメリカ人自身の内にある獣性、すなわちインデアンなどを虐殺し、暴力で土地を奪い、”文明化”してやるという押しつけがましい動機を日本人に投影したものと言える。パラノイド傾向と言うが、自分の像を恐れて相手を攻撃する被害妄想的行為である。近年でもアメリカがアフガンやイラクに行ったこと、中東の春やウクライナでの工作など、彼らの行為を見れば明らかである。この意味でも、日本はアメリカの”鏡”にされたと言える。
かくしてアメリカはこの良心の呵責を抱えたまま、反動として正義を旗印に世界のあちこちに干渉して戦争を作り出し、自分たちの価値観に合わない者を殺戮している。やり口はベトナムでもイラクでもつねに同じ。まず相手にやらせる、それを口実に攻め込むのだ。しかし決して真の平和は実現しない。欺瞞の上の平和などあり得ないから。この繰り返しを強迫反復と言う。
かつて私もこう予言している:
真剣にハマルティア(的外れ)してる者は一番扱いが困難である。彼らは自分が善に立ってるとハマルティアしてるからだ。それはある意味で狂気である。アメリカを見ると容易に理解できるであろう。

わたしはアメリカの超長期的対日政策により、開国=政治的去勢、原爆=軍事的去勢、バブル崩壊=経済的去勢、原発事故=倫理的去勢と、四回の去勢を受けたため、対米関係においてエディプス葛藤を克服できず挫折しているために、対米関係において自立はできないと述べてきている。
先に紹介した本書、アメリカの本質と姿勢を論証している。いわゆる白人による白いキリスト教徒と結びついた帝国主義は世界を動かす原動力であるが、それはノア預言の成就である。
カナン(黒人の祖)は呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。セム(黄色人の祖、特にユダヤ人)の神(エロヒム)、主(YHWH)をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。神がヤフェト(白人の祖)の土地を広げ(ヤフェト)、セムの天幕(ユダヤ・キリスト教)に住まわせ、カナンはその奴隷となれ。-Gen 9:25-26
この預言をそのまま実行するかのようにセオドア・ルーズベルトはこう述べている:
平和への最も有効な手段は軍備だ。立派な民族は戦う民族であり、臆病は許されざる罪だ。国家は武力で防衛されなければ存立し得ず、武力を背景としない外交は無力だ。アメリカが小型の防衛型砲艦を装備してきたのは間違いで、攻撃型戦艦を装備すべきだ。
そして1897年、マハン大佐の提言を具体化する「オレンジ計画」を策定した。
1901年、26代大統領に就任した彼は「海軍の強化」を唱え、その海軍とは「棍棒」であり、外交問題については「太い棍棒を持って、静かに話すこと」とした。
彼は「アングロ・サクソン至上主義者」であり、「後進民族が自治能力を持っていなことは明白である。先進民族が後進民族を統治するの『文明の波及』という点で人類にとって望ましく当然である。『アングロ・サクソンの偉大な文明』でフィリピンやインドやアフリカなど後進国を統治すること、彼ら後進国がアングロ・サクソンの統治を受けることは、後進国にとって望ましいことである。
アメリカ人がインディアンを殺し、インディアンの土地を奪い、インディアンを支配するのも『文明の進歩』という意味で当然であり、インディアン自身にとっても幸福なことなのだ。ハワイ原住民もフィリピン人も、インディアンと同様である。これが人類の偉大な進歩であることを、疑問に持ったことはない」と述べた。
そして「自分の考えは帝国主義者としての民主主義だ」と結論した。
こうして特に太平洋側に重点を置いてその考えを具体化していく。これが対日政策たる「オレンジ計画」であった。表向きは『忠臣蔵』を好む親日家、しかし裏の顔はアングロ・サクソン至上主義の帝国主義的侵略者だったのだ。
その「オレンジ計画」のルーツはマハン大佐であった。彼はアメリカ海軍にとっては「偉大なる栄光の人物」であり、日本にとっては「最悪の疫病神」と言うべき人物である。軍人と言うよりは青白きインテリであり、軍功はさほどないが、文筆家として『歴史に及ぼす海軍力の影響』を著し、これがルーズベルトの施策の源泉となる。彼は江戸時代末期から明治に至る殺伐とした混乱した日本を実地に見分して、日本人は未開の野蛮人であるとして黄禍論を唱えることになる。『シー・パワーとアメリカの利益-現在と未来』をも上梓し、その中でこう述べる。
「英米アングロ・サクソン連合」により、「海上交通路」を支配すべき。アメリカへの「日本人など黄色人種移民の受け入れ」に反対。「ハワイ併合」と「海外における貯炭所確保」の必要性。「パナマ運河建設」の必要性。未開で野蛮な異教徒をキリスト教に改宗さえるべき。
その後アメリカは「大陸内西進」をさらに「太平洋への西進」へと発展させ、アメリカの海軍基地を太平洋上に確保するために、スペインの植民地であったグアムやフィリピンを奪ったのである。最終的には彼らから見て西の果てにある日本が標的とされ、「米墨戦争・米西戦争の次は、未熟で貧しい小国日本を征服し、日本をアメリカの植民地にすべき」と述べたのだ。
ルーズベルトはハマンの思想に感化され、日露戦争で弱った日本のためにロシアと講和条約を執りもったが、これはロシアをけん制するために日本を用いるためであり、一方で日本を適度に弱らせておくための策であった。かくしてアメリカは海軍力を強化し、
最終的には日本人を「徹底的に抹殺する悲惨な結末」を迎えるまで、アメリカは手を緩めず、断固として戦い、日本を「無条件降伏」に追い込むという固い決心の現れが「オレンジ計画」(1906年版)であった。
そしてこの計画はセオドア・ルーズベルトの縁戚のフランクリン・ルーズベルトにより実行されたのだった。彼が「最初に手を出させる」ためにパールハーバー攻撃を事前に知りつつも、山本五十六にやらせたことはすでに事実として確認されている[1] … Continue reading。戦後はGHQのマッカーサーにより、15歳の精神レベルと評された黄色い猿たる日本人は、文明的な白いキリスト教と共に自由と平等の米的民主主義を押し付けられ、GHQ謹製「日本国憲法」の元で先進国として世界に認知されるようになったのだ[2] … Continue reading。


ところが、不思議なことに、白いキリスト教は、ザビエルの時も植民地化を目論む魂胆を見抜いた秀吉などにより拒否られ、戦後も依然として拒否られて(一時ブームがあったが)、「バカの壁」と共にいわゆる「1%の壁」に囲まれて、タコツボ業界として限界集落化している。ニッポンキ業界ではリバイバル音頭を目論んで必死で祈れ~、信仰に励め~と鼓舞するも、彼らは虚しくも燃え尽き症候群状態に陥り、一種の霊的アパシー(無気力)の症状を呈しているのが現状である。

かつて三島由紀夫は「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」、そして「人間というのは豚になる傾向もっている」と予言した。「今だけ・カネだけ・自分だけ」の「三だけ」国家に堕したこの国の末路を見事に透視している(ただし、すでに経済大国でもなくなってしまったが)。極私的には、ニッポンキ業界をみるとき、まことにニッポン社会とニッポキ業界は合わせ鏡であると思わざるを得ないのだ。

本書、ぼくの「米による超長期的対日属国化政策論」を裏付けてくれる。<開国=政治的去勢>、<原爆=軍事的去勢>、<バブル崩壊=経済的去勢>、<原発事故=倫理的去勢>と四回の去勢を受けて、対米関係でエディプス葛藤の挫折をしているニッポンは自律できなくされた。
そして今もなおあらゆる分野が侵食されている。
すでにペリーが沖縄に米海軍基地を作ることを本国に進言していたとある。WW2も見事にこの超長期計画に嵌められたわけだ。その発端1941年12月8日、なぜ山本が愚かにもハワイを狙ったのか。それもハワイ王国が米により乗っ取られる過程に日本がいかに関わったかを見ると、理解できる気がしてきた。
”自由と平等”を標ぼうする自己欺瞞の国アメリカ。ぼくは二重構造であると指摘しているが、その本質が歴史的事実に基づいて理解できる書である。

- 引用聖句:John 10:10-11;Col 1:15;18;Luke 20:1-47;Rev 21:3-4 etc.
- 次回:2024年7月28日(日)
- 場所:鶴見ホール第一会議室
- 時間:13:00-16:30
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

ここはかつて定宿でしたが、最近はちょっとご無沙汰しておりました。一昨年に改装したらしくて、部屋に囲炉裏があったりで、かなり楽しませてもらいました。

- 引用聖句:2Pet 1:4;John10:33-35;Exo 3:15-16;6:3;Acts 7:56;10:38;Eph 2:15;5:1;Php 2:6-9;John 1:1;8:24;58;Col 1:15;18;1Tim 2:5 etc.
- 次回:2024年7月24日(日)
- 場所:鶴見ホール第一会議室
- 時間:13:00-16:30
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

東方神学では「神化(theosis)」なる神学があり、一言で言えば、「神が人になったのは人が神になるためである」とする。これもYHWH(固有の存在の固有名詞)とエロヒム(霊的生命体のカテゴリー)を混同しているためだ。彼らの意図を汲み取って私的に言えば、「YHWH(の御子)が人になったのは、人がエロヒムになる(その霊のいのちをシェアする)ためである」となろう。ポイントは、YHWH(父・子・聖霊)になるのではない! なお、YHWHは神格でないとするのはそもそも論外である。
すでにこの論点については触れてきているが、今回、FBにて「YHWHはYHWHを生む」、つまり霊が再生され、「御子と一体になった存在(=エクレシア)はYHWHである」との言説があったので、私の立場を明確に表明しておく。
YHWHは父・子・聖霊としています創造主なる最も高きエロヒムにしてユニークなお方の固有名詞(Exo 3:14;Isa 42:8)と共に、「ありてある(hayah asher hayah)」方の本質である。エロヒムにはいろいろ存在するが、YHWHはただ父・子・聖霊なるお方(神格)、他にはいない(Isa 43:11;1Tim 2:5)。


そもそもエロヒムは霊的生命体のカテゴリー(チャートはDr.Heiserによる)であり、これをYHWHと同一視するキリスト教神学が問題であることすでに指摘している。エロヒムを「神(God)」、YHWHを「主(LORD)」とした時点でヘブル語の回路から逸脱する。繰り返すが、父・子・聖霊にいますエロヒムがYHWHであるが、他のエロヒムはYHWHではない。そして、犬が犬を産み、人が人を産むように、エロヒム(霊)はエロヒム(霊)を産むが(John 3:6;James 1:18)、YHWHになる、すなわち神格を得る、わけではない。
つまり、私たちはエロヒムの霊のいのちを得て、YHWHと人の唯一の仲保者・人なるイエス・キリスト(1Tim 2:5)の内で聖霊にあって父と子の交わりにあずかるが(1John 1:3)、YHWH(神格)になるわけではない。同じ家庭(同じ人としての生命を共有すること)に生まれても、親とは交わりを得るが、人格が異なるのと同じだ。ウィットネス・リーは父・子・聖霊と教会は四位一体とまで言ったが、一線を超えている。
コロサイ2:19については、岩波版や田川訳では「神の成長を成長する」と直訳されているが、これもYHWHが成長あるいは増殖するわけではない。エロヒム(のいのち)が増殖するのである。YHWH=父・子・聖霊=は永遠に不変なるお方である(Ps 55:19)。その方のいのち(Zoe)、すなわちいのちを与える霊となったキリスト(1Cor 15:45)の内住により(Eph 3:17)、私たちのうちでキリストが形造られ(Gal 4:19)、私たち(の魂、究極的に体も)がキリストのミラーとされていくことである(2Cor 3:18)。
以上、私は「私たちのうちにはYHWHが住まう」、そして「神格との交わりに参与する」、さらに「YHWHのミラーとなる」とは述べているが、「私たちがYHWHである」とする説には同意できないと、私の立場を明確にしておく次第。
なお、アイキャッチの図の”God”は”YHWH”とすべきではあるが(Dr.Heiserによると”God”なる単語は元々バビロニアの神(エロヒム)の名称だったとのこと。ちょうど日本語の「神」が日本固有のエロヒムを意味するのと同じである)。

- 引用聖句:Eph 3:17;4:13;John 17:6;8;11;2Cor 3:17-18 etc.
- 次回:2024年7月14日(日)
- 場所:鶴見ホール第一会議室
- 時間:13:00-16:30
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

映画『フェラーリ』を観て帰宅すると到着していた。ちょっとさわりだけ読んでみたが、かなり面白そう。「令和」に込められた意味はぼくもここで指摘したとおり、「和を令する」、これはコロナ騒動で見事に実証された。
さて、だれが仕掛けたか?また平成天皇を攘位させたのは誰か?
安倍氏を田布施総理としてるあたり、陰謀論の臭いが漂うが、あくまでもフィクションとして読むことにしよう。なお文鮮明は朴天明となってるが、安倍氏はやはり岸の因縁、あるいは岸の亡霊に〇されたと言えるのかもしれない。
安倍氏の最期もジャスト1年前に予言した。それ以前に、極私的には「令和」については次のように警鐘を鳴らしている。結局、その後、コロナ騒動などで経験したように、このとおりだったでしょう。ワクで死ぬ人、障害を負う人。みんな令和に服したからDEATH。


なお、本書では「令和」がひとつの鍵になるが、令和は5月1日からだった。なぜか? 本書をどうぞ。

観てまいりました。高級車「フェラーリ」はすでに脱属人化してひとつの偶像になっているが、その創業者エンツォ・フェラーリの葛藤と苦悩を描く。
そう、フェラーリもひとりの生身の人間だったのだ。大体この手のパターンだと、表向きのセレブライフの裏に、仕事に打ち込む夫と家庭の問題をすべて背負い込む妻との相克が潜むものだ。加えて長男を失って解体しそうな夫婦の間に、さらにビジネスが侵入し、ふたりの傷を深める。
で、世の常として、家庭内に居場所を失った夫は外に愛人と”息子”をもつダブル人生を送っていたが、それもバレる。妻は切なくも、自分の生きている間はその子を認知しないで、と懇願する。そのような時に経営も行き詰り、買収される危機に陥るが、起死回生のための1,000マイルレース「ミッレミリア」に打って出る。しかし勝利目前にして悲劇が・・・。後はご自分でどうぞ。
フェラーリは『スターウォーズ』のカイロ・レンや、『沈黙-サイレンス』のガルベ神父、『最後の決闘裁判』のジャックなど、独特の雰囲気を醸すキャラを演じたアダム・ドライバー。妻のラウラは極私的に好きなペネロペ・クルス。かなりやつれ果て、やや被害妄想の入った髪振り乱す荒んだ女を迫力で演じている。彼女は『エレジー』でハマった次第
オトナの鑑賞に耐える作品でございます

現在進行中のメッセシリーズにて、YHWHエロヒムの型と様、および主と同型化される過程について説いている。ある姉妹から型と様がよくわからないとの質問を受けて、次回のメッセの準備もかねて少々考察したい。
神は言ったー
われらの像(かたち)に、われらの姿(すがた)に似せて、人を造ろう(asah)。・・・神は自分の像に人を創造した(bara)。神の像にこれを創造した(bara)。彼らを男と女に創造した(bara)。-Gen 1:26-27(岩波版)
And Elohim said, let Us make man in Our image, according to Our likeness; …. And Elohim created the man in His own image; in the image of Elohim He created him. He created them male and female.-Gen 1:26-27 (HRB)
この節を巡って、かつての私は「人は神の姿に似せて造られた被造物の一種である」としてサラッと流していた。最近のメッセやブログにおいては、当初の神(エロヒム)の意図はご自分の像(型)と姿(様)に似せて造ろうであったが、実際は自分の像に人を創造したのであり、姿あるいは様の記述がないとして、いのちを与える霊となられたキリスト(1Cor 15:45)を内的に受け入れたときに、神のいのち(Zoe)の内実としての「様」を得ることができると説明していた。
この点、若干修正が必要であると考え、この記事をものしている[1]私は、その他、アダムの罪の継承問題についても見解を変えてきている。。
まず、「像(型)」についてはStrongによると-
צֶלֶם
tselem
tseh’-lem
From an unused root meaning to shade; a phantom, that is, (figuratively) illusion, resemblance; hence a representative figure, especially an idol: – image, vain shew.
Albert Barnesによると-
tselem, “shade, image,” in visible outline.
つまり、内実のない影のようなもの、外形的な像、英語では”image”とされている。
「姿(様)」については、同じく-
דְּמוּת
demûth
dem-ooth’
From H1819; resemblance; concretely model, shape; adverbially like: – fashion, like (-ness, as), manner, similitude.
דמוּת demût, “likeness,” in any quality
とされ、似ていること、似た様、質の類似性を意味する。英語では”likeness”である。(イタはいずれも私による)
そこで私は、前者は外形としての型、後者はその内実(質)としての様、と定義してきた。
ところで創世記5章を見ると-
アダムの系図は次のとおりである。神は人を創造した(bara)日、神の姿(demuth)にこれを造った(asah)、 男と女に彼らを創造し(bara)、彼らを祝福した。彼らが創造された(bara)日、神は彼らをアダムと名づけた。 –Gen 5:1-2(岩波版)
この節には姿(様)にとあるのだ。つまりアダムはキリストのいのちを得る前にすでにdemuthを得ている! すなわち、最初のアダムはエロヒムの型と様に造られた。もちろんいのちの木の実を摂る前ではあるから、被受造の永遠のいのち(Zoe)の実体としてのキリストは得てはいないが、YHWHと同様の内面的徳性の類似性も得ていたのである。ゆえに堕落後の人にも罪性と共に、YHWHエロヒムの有する愛や倫理や高貴な要素の類似的質を有している。
さて、では、いつその”様(demuth;likeness)”を得たのであろうか。
ここで、極私的には、動詞の違いがカギとなるものと考える。つまり”bara”と”asah”と”yatsar”である。
בָּרָא
bârâ’
baw-raw’
A primitive root; (absolutely) to create;(Strong)
“create”の意味は
To cause (something new) to exist;produce (something new)(Lomgman)
つまり、新しい何かを生じさせることである(必ずしも無からという意味ではない)。
עָשָׂה
‛âśâh
BDB Definition:(話態により微妙に異なるが)
1) to do, fashion, accomplish, make
2) to press, squeeze
これが創世記5章に使われている単語である。つまり、1章ではご自分の型にしたがって新しくアダムを生じさせた(bara)が、5章ではご自分の様を賦与して完成させた(asah)とあるのだ(もちろん永遠のいのちを入れる一種の容器として)。
そして1章と5章の間には2章7節(Gen 2:7)がある-
神ヤハウェは大地の塵をもって人を形造り(yatsar)、その鼻にいのち(複数形)の息(neshamah)を吹き入れた。そこで人は生きる魂(nephesh)となった。(岩波版改)
And YAHWEH Elohim formed the man from the dust of the ground, and blew into his nostrils the breath of life; and the man became a living soul. (HRB)
この動詞yatsarについては(イタは私による)
יָצַר
yâtsar
yaw-tsar’
probably identical with H3334 (through the squeezing into shape); (compare H3331); to mould into a form; especially as a potter; figuratively to determine (that is, form a resolution): – X earthen, fashion, form, frame, make (-r), potter, purpose.
つまり陶器師が粘土をこねるように形を形成すること。この節は人の形成の詳細を述べていると考えられる。まず肉体を塵から粘土をこねるように形成し(英語では form)、そこにいのちの息(霊)を吹き込むことにより人は生きる魂とされた[2]肉体を研究するサイエンスが生物学や医学、魂を研究する学問が心理学や精神医学、そして霊を研究する学問を私は霊理学と呼んでいる。。つまり物質的な肉体といのちの息(霊)の相互作用により、魂=思い・感情・意志=を有する存在になった(hayah)のである(YHWHは「ありてある者(Hayah Asher Hayah)」である)。極私的には、この作用により外形のみでなく、YHWHエロヒムと類似の<思い・感情・意志>を有するようになった。すなわち外的な「型」に加えて、内的な「様」を得たと解するのが適切と考える。
ただし、この段階では、いのちの木の実を摂っていない。いつも言うように、最初のアダムは手袋のようなもの。罪により吹き込まれた人としての霊も死んだ(Eph 2:1)。パルカルが指摘する通り、人は内側にイエス・キリストによってのみ埋めることができる空洞を有しているのである。被受造の神の永遠のいのちそのものを入れたときに、型と様のみではなく、その実体・実質を得るのである。ここれは何度も指摘している通りである。
YHWHエロヒムはアダムが罪を犯したまま永遠に生きることはよくないとして、ケルビムと燃える火の剣で彼をその木から遮断したのである(Gen 3:22-24)[3] … Continue reading。それは裁きと言うよりも保護であった。現にエデンから追放する時にも皮の衣を着せている(イエシュアの血の贖いの予型)。つまりその木が永遠のいのちの木であることをYHWHエロヒムご自身が証言している。
現に人が創造された6日目には、エロヒムは「はなはだ良かった」とされているが、完成したとは書かれていない。もちろんその完成のためには永遠のいのちの木の実を摂る必要があったのだ。それが遮断されてしまった。そこでこの木に至る道を改めて開き、ご自分がその実質となられて物質化された(受肉)存在がイエシュアであり、死と復活を経て―
聖書に「最初の人アダムは生きる魂となった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムはいのちを与える霊となった。 –1Cor 15:45
ここで、最初のアダムが型と様であるのに対して、最後のアダム(=キリスト)は遮断されたいのちへの道となり、さらにいのちそのものとなり、いのち(Zoe)を与える霊となり、私たちのうちに聖霊にあって住まわれるのである(John 14:23;Rom 8:10;Eph 3:17)。永遠のいのちとは死後に与えられるものではない。今・ここで得て、経験するリアリティーである。
現在の私たちは-
この聖句を次回、解く予定。
主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。-2Cor 3:17-18
そして究極的には3種類の動詞がすべて集約されて、この預言が成就する-
彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し(bara)、形づくり(yatsar)、完成した(asah)者。-Isa 43:7
References[+]
↑1 | 私は、その他、アダムの罪の継承問題についても見解を変えてきている。 |
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↑2 | 肉体を研究するサイエンスが生物学や医学、魂を研究する学問が心理学や精神医学、そして霊を研究する学問を私は霊理学と呼んでいる。 |
↑3 | 神が全知全能ならば、どうしてそれを止めなかったのかとか、神が人に罪を犯すことを許されたとか、神を有責者とするむきがあるが、神はforeknowはするが、predestineはされないことに注意。神を有責としてはならない。 |