獣(666)の刻印とは何か?

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは刻印を押させ、 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。 -Rev 13:16-18

有名な666で象徴される獣の刻印、それは一体何であろうか? チップ、ワクチン、見えないスタンプ・・・? ギリシャ語では”χάραγμα”、英語のスペルでは”charagma”であり、Strongによるとこうある:

a scratch or etching, that is, stamp (as a badge of servitude), or sculptured figure (statue): – graven, mark.

同じ単語が使徒17:29(Acts 17:29)で「刻まれた像」として使われている。ポイントは、われわれが何を自己存在の担保として、何を頼り、何を誇り、何に服しているか。YHWHエロヒム以外の存在はすべからく偶像である。バビロン体系の本質は偶像に頼ることである。

神よ、わたしを究め/わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。御覧ください/わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしを/とこしえの道に導いてください。-Ps 139:23-24

この「迷いの道」、新改訳では「傷ついた道」と訳されている原語は”otseb”、原義はアイドル、つまり偶像。さらにこの語源は”ehtseb”、その意味は地の器だ。要するに地の器を崇め、偶像にすること。実はわれわれが受ける傷や労苦はみなここから生まれる。

ある人を尊敬し(これはよい)、さらに崇拝する。すると相手に対する期待値が高まり、相手に投影する。そこで自分の期待とわずかでもそぐわないとき、裏切られたと感じる。これが傷だ。会社や組織のために忠誠を尽くす。そのために家族や自分を切り売りしてまで組織に魂を売る。これが傷を生む。そもそも労苦自体が傷となるのだ。

この究極的存在が、いわゆる”666”で象徴される者である。そのマークこそが刻印だ。それが具体的に何か、極私的にはまだ結論は出ていないが、昨今のニッポンキ業界におけるRMAワクチン推奨、ウクライナ擁護、LGBTQ擁護などの風潮を見ていると分かることがある。すなわち、彼らは世の神によりマインド(思考、知性)を盗られている(2Cor 11:3)

すなわち獣の刻印(charagma)の本質は世の神にマインドを盗られ、世の要素を刻み込まれる(世の権威に屈する)ことだ。それは額か右の手にされるが、額の意味は明らか(思考)、右手は権威の象徴。エクレシアは聖霊の刻印を押され(Eph 1:13)、キリストのマインドを有し(1Cor 2:16)、その頭主権に服する存在だが(Eph 1:22)、それらを奪われる。すでに「聖霊様の油注ぎ~」とかやってる人たちは要注意[1] … Continue reading

ロマ書では

そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにさせられはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであり・・・Rom 12:2

とあるとおり、世の承認欲求や同調性バイアスに流されないこと。ワクやLGBTQはその試金石のひとつであることに気づくべきだ。ニッポンキ業界のボクシたちはここが最も脆弱であることはワクやウクで証明されたであろう。

エペソ書には

〔すなわち〕あなたがたが、以前の生活様式に従い、欲望の欺きに導かれて滅びつつある古き人を脱ぎ捨て、あなたがたの思念〔を規定する、神〕の霊でもって新しくされ[2] … Continue reading、さらには、真実の義および聖さに基づき神に模して創造された新しき人を身につけることが。-Eph 4:23-24

とある。この過程をメタモルフォーシスと言うが、キリスト化される過程とも言える。世の神は、YHWHエロヒムの形と様に本来創造されたヒトを嫉妬している。堕落によりヒトはそれを失っているが、エクレシアは基督にあって失ったものを再獲得した。サタンはこれを奪うのだ。選民ですら奇跡や徴などにより騙そうとする。それはまず思考を奪うことによって、だ! その結果が刻印を受ける意思決定と行動として結実する。

最終的に何らかの技術的方法により、刻印をうけていない者は売買が不可能となり、世における生存が脅かされる。まさに終わりの光景である。しかし、ニュークリーチャーたるエクレシアは、パンのみにて生きる存在ではない。スーパーサブスタンシャル・ブレッドにより生きる者である

あなたは誰の思考を選び、誰に生存の担保を置いているのか? これが直に問われるのが刻印である。

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References

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1 彼らは単独で油の注ぎを受けんとするが、油は頭に注がれるもの。エクレシアの頭はキリスト、その意味は「油注がれた者」。その頭主権に服しているならば、油は体(エクレシア)に自ずと垂れてくるのだ(Ps 133:1-5)。
2 原文は「思いの霊において新しくされ」である。すなわち、霊が魂の機能である思いにまで浸み込むことにより、思いが書き換えられること、その時、肉体の一部である大脳の回路も再構成される。

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