ニューエイジとフェイス

最近、セレブにニューエイジに深く関わった方が来られている。彼らは霊的経験をかなり持っておられ、同時にニューエイジの危険性も熟知している。キリスト教会をあちこち彷徨ったが、オツムだけの教義で固められた宗教儀式であり、霊的に空疎であることを、バプテスマ1カ月後であるが見抜いている。

そう、ニューエイジャーはキリスト教徒などよりよほどフェイスを知っている。繰り返すが、ヘブル11:1のフェイスには定冠詞はない。それは一般名詞としての定義であり、彼らはシックスセンスである一般のフェイスを体験的に理解している。

Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.-Heb 11:1 (NKJV)

問題は、どのチャネルによるのか。あるいはどのポータル、つまり門を通るのか、である。彼はそれがジーザスであると分かった、と。われわれはジーザスという門を通して出入りする。どこと、どこを?そう、この物理的時空間領域と霊的領域を、である。

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。-John 10:9

ニューエイジが何をルーツとするか、ニッポン人はほとんど知らない。それは新しい時代、つまりキリストの時代の終焉を意味するのだ。キリストの時代は魚座の時代、そしてニューエイジの時代、水瓶座に支配が移ると。それは聖書のパクリ。ポータルも、チャネルも、バイブレーションも、サブスタンスも、マインドのパワーも、スピリットのパワーも、みな聖書にルーツがあるのだ。

実はニューエイジはジーザスが開いた。それは十字架の死と復活によるニュー・クリーチャーの誕生。十字架は霊的相転換。すべては新しくなった。ニューエイジャーに対して、私たちこそ真のニューエイジャーだと宣言すべきなのだ。

創価学会の方も霊的経験はいろいろとしてきたが、それはジーザスによるものではないことが分かった。真のポータルはジーザスだと。彼らの経験を否定するキリスト教徒がいるが、むしろ自分の霊的無知を証明してしまうのだ。彼らもフェイスを知っているし、経験もしている。ただポータルが異なるのだ。

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