セコンド・エクソダスの証@YouTubeコメント

マイチャンネルのコメ欄の証を転載させていただきますー
ルター宗教改革の根本的な過ち
自分の信仰!と常に励まなければ、どこまで頑張ればいいのか?とニンジンを追ってきた。
安息を感じたのは、教会に導かれ受洗した時まで。その後は時間経過と共に苦しみが増すばかり。「主のフェイスによる」と「主を信じる私の信仰」
一見すると気づかないが、時間経過と共に大きな乖離となってきた。サタンの巧妙な策略と思う。 口先では、説教壇からは救いは行いではない、ありのままで良い、無理しないで喜びをもって奉仕を行う、、と言われながらも、違う場面では、肉の努力でせよ!!と言われているように身をもって感じた。
これが、ダブルバインド、マニュピレートと言われる事なのかと思った。
出来ないと不信仰、となり、、仕組はこの世の新興宗教と同じと感じた。
心身を病んで出来なくなった時に思ったことは、 キリスト教会もこの世の価値観と同様、弱者は失格者扱い。それだけならまだいいけれどら、教会を離れたらやんわり不信仰と言われているような便りが届き罪悪感が益々募り自分を追い詰める結果となった。
離れた当初、教会と牧師に対して、、それまでの人生で感じた事のない程の大きな苦みが出てきてコントロールすることも出来ず、自分の中にある醜い本性に驚き衝撃すぎて更に落ち込んだ。
長い年月の経過と共に理解した事は、 牧師も歴史的な流れの中で宗教に組み込まれてしまって今も苦しんでいるのではと。
教会での躓き経験を通して、 教会の関わりだけでなく、日常生活での、親子、夫婦、友人、職場など全ての人間関係も不健全な関わりであった事を気付かされたことも大きな恵み 距離を取る、境界線を引いたことで自分の内側にも問題があったと気付かされた事は大きな恵みだった。
主が国境を重要視されているように、自分と他人との物理的にも心理的にも境界線を設けることの重要さを示された。 今、イエシュアのいのちの中、安息の中で霊と心身の回復がなされている事を実感できる事を感謝💗
過去、イエシュアに導いてくださった教会、牧師への感謝を感じることが出来るようになってきたこと、教会と牧師のために祈れるようにされた事は主の大きな奇跡⭐
️ この場をお借りして、頭の中を整理させて頂き感謝いたします😊
️ ハレルヤ❕❕
鋭いですね、牧師の説教によるダブルバインドとマニュピレーション。それは世の新興宗教と同じ。まさにその通りなのです。これニッポンキリスト教の実情です。牧師制度、教団制度、伝統、儀式、そして空理空論の神学を振り回すだけのセンセイたちのしてることは実に重大な罪なのです。
まさにセコンド・エクソダスの実例です。
参考までにどうぞ☞カルトの手法(DLしてお読みください)

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