
この記事はなかなか示唆に富む。まさにニッポン社会の病理を凝縮したニッポンキ業界の様だ。
人間の社会は、その社会の構成員に共有された、慣習の束で規定されている。遺伝子で決まっているわけではなく、古代から存在するものでもないが、人々の日々の行動が蓄積され、暗黙のルールを形成する。それは必ずしも法律などに明文化されていないが、しばしば明文化された規定よりも影響力が大きい。ただしそれは永遠不変ではなく、人々の行動の積み重ねによって変化もする。
この「構成員に共有された慣習の束」がぼくの言うマインド・マトリックスだ。この日本基督教団の総会とやらのビデオを紹介しておくが、もう雰囲気というか空気感でわかる。暗黙の同調圧力がかかるのだ。部屋の臭いと同じで、そこにいる人は臭いに対して不感症になる。
ニッポンキ社会でもキ業界でも、いわゆる団体や教団が構築されるが、それはそれぞれのある特定の「物差し」を共有する範囲あるいは領域と言える。しかもその「物差し」はこの中国の物差しと同類、つまり「1cm」と言ってもその実質が・・・。だから相互の間にバカの壁がそそり立つことになる。

しかしその各種タコツボにもある共通する特徴が存在するが、ニッポン社会とニッポンキリスト教を支配するマインド・マトリックスは次の標語にまとめられる。
- タケシ:赤信号みんなで渡れば怖くない(同調埋没バイアス)
- Dr.Luke:青信号ひとりで渡ると怖くなる(孤立忌避バイアス)
このような心理機序に従って構築されるところの、上の記事でいう「束」がローマ12章2節(Rom 12:2)でいう「世の形に構成されたマインド(ヌース)」である。社会も教界もこの「束」により無意識的にドライブされる。そこからの解放は、これをぶっ壊す、もとい、いったん消去されることによりマインド(ヌース)を新しい回路に書き換えられること。これが同節で言う「マインドのリニューアルによるメタモルフォーシス」である。
古いマインド・マトリックスでいくら聖書を読んだところで、出てくるモノはその古い回路に応じたパターンでしかない。ニッポンキ業界のボクシたちの説教だの黙想だのを見れば明らかであろう。所詮それは宗教臭ささが鼻につくシロモノである。
キリスト教をぶっ壊ーす! というか、その宗教マトリックスからのエクソダスをお勧める。

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