Dr.Lukeの映画『教皇選挙』からみるカルトの手法-飼育したい牧師と飼育されたい羊さんの需要と供給の関係-

リアルと映画がシンクロしているこの作品、観てまいりました。やけにご婦人が多くて、多分カトの信者なのでは?と思えるオーラを醸していました。
感想は、映画の中でも揶揄され[1]この手の作品が制作される事自体、キリスト教の欺瞞性と愚かさが広く認識されてきている証左であろう。、キーパーソンも言っておりましたが、
「ここはナンセンスな組織だ」
で、その人物の正体は、開けてびっくり玉手箱。カトが根底から崩壊するが、さもありなん。
今週のマイメッセのテーマでもあるが、内なる偶像と外なる偶像が共鳴するところに宗教が成立するわけ。この点で、カトもプロも実質は同じなのだ。
さあ、リアルはどーなるのかな?
ということですが、宗教組織に所属することが救いではない。この点、カトもプロも同じ穴の狢、時代は「正統」も「異端」も小島よしお。ポイントはその団体や個人との間に働く心理的力学だ。承認獲得欲求と認知的不協和の間で葛藤する病理があれば要注意だ。搾取されるからねー。
実例としては辺見まりが拝み屋に5億を騙し取られた経験から学ぶMCの手法がわかりやすい[2]専門的に言えば、マインドコントロール(MC)と洗脳には違いがありますが、ここでは細かいことは・・・・。。心理操作、マニュピレーションに引っかかると、自分が騙されていることにも気づかない。彼女の指摘する洗脳プロセスで自分を測ってみましょう。



いわゆる「使徒信条告白~」してる正統看板教会でも、安心はできません。それがアリバイ作りになってるだけ。特に、教会の中で互いに争うように、牧師や他の信徒の承認を得るために、奉仕とか、伝道とか、時に献金に入れ込んでる向き、社会生活に障害が生じてませんか?それは最後の洗脳のプロセス、「囲い込み」の段階にあることの兆候ですよ!

要は、何でも愛して許してくれるという「安心感」を与え、日常性を超えた現象を見せて「驚き」で引きつけ、自分にはそれがないという「嫉妬心」を掻き立て、それを得たいと思わせて自分に引きつけ、ついには自分の世界に「囲い込む」。これがカルト教祖や占い師や拝み屋の手法。時にライフコーチも。で、ボクシもね
ついにはこうなります。

バベル憲章の動機の上に立てられるものは必ずこうなります。

なにしろ、牧師は信徒を飼育するのだと公言して憚らない輩も出現する時代。一方、ニッポンキリスト教なる業界には飼育されたい羊さんたちもけっこう多い。この需要と供給の関係がある限り、業界が消滅することはないであろう。だから、エクソダス!

あ、いえ、飼育されたい人たちはどうぞそのまま。バビロン捕囚された者の中にもそこに留まった者たちもけっこういたのですから。

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