視聴者の声から-真理による解放の証-

6月29日バスの中でふとローマ7:20、17が頭に浮かんできて、望まないことをしてるのはその時まで自分のせいだと思い込んでいたことに気付いた。望まない事をしているのは私ではなく私の内に住んでいる罪だ!とパウロは繰り返し言ってるのに、長い年月みことばに反発して素直に受け取ることが出来ていなかったことに愕然とした。帰宅してからYouTube開いたら「特別レク:真理はあなたを自由にする」が一番に出て見ることが出来きたこと主の導きと感謝!
私ではなく罪が原因だったことー望まないことをしてしまうのは邪悪なのではなく、みじめな自分とパウロは言っていたーをようやく腹の底から受け取る事ができたことは大きな解放となった。みことばを素直に受け取れていなかった事サタンの嘘を信じ込んで来た事をメタノイヤへと導かれ更に解放された。
メタノイヤとは自分を裁くことではなかった。過去ずっとメタノイヤとはダメな邪悪な自分を否定して裁くことと思っていた。肉に対する責任はない、御霊に応答することだった!御霊により内側からの促しがある。この真理を受け取ってから少しずつ内側からの促しを感じ取ることが出来るようになってきたこと感謝!
思いを何で満たすかがカギ、、天の事を思う、みことばを思う、イエスを思うこと。 肉に影響された思いは死、霊に影響された思いは命。 内側にいのちと平安があるかどうか。 罪に定められる必要はない!もう十字架によって既に終わっている!!
主の力を求めてと言いながら実際は肉の力で何とかしなければ!とクリスチャンとなってからクルシチャンゆえに更にどんどん罪責感で苦しくなっていった。全くの本末転倒だった、自作自演だった。
神の国🟰教会そのもの、と長い年月置き換えていた。教会の決め事に従うことが主に応答することだと本気で信じ思い込んでいたから、 礼拝出席や奉仕献金、、など葛藤と罪責感が大きくなっていた。アリバイ作りで救われようとしていたから苦しかった。これは宗教だった。プロテスタント教会の決まり事は全て聖書的と思い込んでいたことは何より致命的だった。
自尊心も低かったため、神様の絶対的な教会(と思い込んでいた)に対しての承認欲求と特に目上の人から良く思われたい、クリスチャンらしく見られたいとの思いが強くあったため(執着)、疑問や違和感、嫌悪感などの感覚を持つこと自体が罪なんだとの不健全な思い(歪んだ認識)のため、自分の内側から発せられる健全な御霊からの感覚を否定し抑圧していたこと、心の思いと言動の不一致だった振る舞いはまさにヤコブの言う二心の罪だった。
本来の神の子としてのアイデンティティを持っていれば、隣人を愛する以前にまず主にあって自分を大切に出来ての前提があってだから、不健全な人間関係に苦しむことなどなかったのだと思った。
自分と他人の間には、物理的にも心理的にも境界線はどんなに近しい関係の人間であってもしっかり定めて互いに踏み越えないさせない必要があった。自律自立した者同志での対等な人間関係が大前提だった。そして初めから愛やゆるしの定義を誤認していた(マタイ18:15-17)ことが大きな原因だったことも明確にされたこと感謝。
2ヶ月前、聖書の真理について同じ思い考え価値観を持つリアルでのエクレシアの兄弟姉妹に出会えたこと主の大きなあわれみと恵みに感謝ハレルヤ!!
(強調はDr.Lukeによる)

是非フォローしてください
最新の情報をお伝えします