視聴者様の証-キリスト教は自己疎外、自罰の宗教だ-

この方は仏教や心理学などを探求しつつ、キリスト教の教えで苦しまれた方です。しかし、聖書にある御言葉に純粋に立ち返ったとき、ようやく自分を赦し、受け入れることができたのです(強調はDr.Lukeによる)。


罪責感に苦しみ落ち込む友に対してならば、 状況を客観的に見ることが出来て その人を責める事なく慰め励ますことができると思うのに、何故か自分に対しては病的なほどに自罰的になって責め続けてしまっていた。クリスチャンになってからは更に自分の思い願いは悪だからと抑圧して、御心を願わなければと脅迫的で自罰自虐的な不健全な精神状態に陥っていた過去を思った。

原因は、聖書の真理を正しく受け取ることが出来ていなかったこと、 自分の本音を隠して人から良く思われたい嫌われたくないとの利己的な執着が大きかったからと思う。

仏陀、空海の教えやカールユングも参考にしている。宗教でなく人間心理を扱う実践のための教えと受け取っている。「三密」は自分の心と言葉と行動が一致しているか?ヤコブの「二心」を思う。そして”他人への慈悲と同じくらい自分に慈悲を向けなさい”、の慈悲を愛に置き換えてみて腑に落ちた。私だけでなくキリスト教では何故か自分を否定して拒絶して、、そして人には愛を!となってることが多いのでは?と気付いた。


主はそんなこと望まないしそれでは病む他ないと思う。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」とあるのに何故か、まず最初に主にあって自分を愛することが出来て、の部分がすっかり抜け落ちていた。サタンに見えないようにされていた。

仏陀や空海、ユングの教えでも度々、自分を健全に愛せない人に他人を健全に愛することは出来ないと言っている。空海の教えを学んで自然に身に付いているノンクリの方々が主に立ち返った時に「後の者が先になり、先の者が後になる」のかなと思う。

自分を祝福せよ!」が響きました。

主の思いと私の思いが綾なされる。」 もし間違えたらすぐに主に立ち返ればよい、 主があみだくじの横線を入れて修正してくださる! この真理が受け取れたことは更に大きな解放となった。中島みゆきの♪糸を思った。主の糸と私の糸が織りなされていて更に他のエクレシアとの出会い交わりが複数与えられ感謝!

聖霊がたましいの要塞を取り扱ってくださり治療矯正してくださっていることを実感。更にバイブルカレッジを通して主にあって回復成長させられていきますようにと願っています✨


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