ローマ帝国の末期と現代ニッポン-フラット化の病理の行きつく処-

この記事は2008年1月4日に書いたものだが、その後17年、現代ニッポンはこの記事にある懸念の通りになってきていることは誰も否定できないであろう。加筆を加えて再掲する。

昨日のTBSの5時間に及ぶローマ帝国の特集は実に圧巻だった[1]これは当時の番組、最近のものではNHKの特集番組をお薦めする。。文化功労賞を受賞した塩野七生氏の著作に準拠した内容だったが、特に注目した点は、ローマが崩壊に至る契機を作ったのが、移民も続々受け入れ一律に市民権を与える放策だったこと。当時のローマは身分は別れていたが、固定的なものでなく、能力と機会に恵まれ、努力した者はより上の地位を獲得する事ができた。つまり蛮族出身であっても奴隷であっても、ローマ市民権を得ることができた。パウロも市民権を実に巧みに利用している。

が、カラカラ帝はその市民権を解放して、誰でもに与えてしまった。これによって市民権の価値が下がり(つまり市民権のインフレ)、その獲得を励みにして、上を目指す士気が衰えた。しかし奴隷は奴隷のまま固定化した。また初めからの市民と、この施策による市民との間に格差が生まれ、さらに固定化した。またそれまでは元老院と市民の認知の上にあった皇帝の地位をディオクティアヌスは神格化した。こうして社会の流動性が失われた。ローマは格差社会が固定し、社会の活力が削がれたのだ。

まさに今のニッポンの状況とそっくりである。経済格差が学歴格差となり、それがさらに経済格差を助長し、社会の階層が固定化する。生まれた家庭により人生が決定されるいわゆる親ガチャあるいは家庭ガチャ現象である。すると人々は最初から諦め無気力化する層と、自分の階層を守るために、たとえば現財務省の国家の利益を無視した省内力学ような、つまりタコツボの物差しに従って生きる一部の上流階層に分離する。それは結局国全体の活力と成長力を毀損することになる。

同様のメカニズムにより日本基督教団に代表されるニッポンキ業界もすでにタコツボ化してベクトルが内向し、幻想や妄想を追いかけてリバイバル音頭を踊りつつ、明らかな衰退の事態に陥っている。

私は前から指摘しているが、今のニッポン、道元の喝破するとおり、愚かな大衆が<自由・平等・博愛>と言うメーソンのスローガンを叫びつつ[2] … Continue reading低フラット化、つまり下へ下へと引き下げる力のベクトルの下で固定化し、ローマと同様に社会の活力が失われているのだ。世の健全な姿は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、さらにそのまた藁を集める人」なのだ。ただし、ここに流動性、言い換えると機会の平等が必要となる。誰でもチャンスはある。しかし能力と努力によって、その結果は大いに開くべきなのだ。聖書も「富んでいる者はますます富み・・・」と言っている。

現在のニッポンの病理、またその象徴であるニッポンキリスト教の病理は、まさにローマの末期症状の病理と同一である。フラット化階層固定化による社会のモラルと活力の喪失[3] … Continue reading。これは物理学的にも言える。プリゴジンの「熱力学的非平衡状態における秩序形成(散逸構造)」の理論のよれば、対流があるとき、つまりエネルギーの流れがあるとき、自律的な秩序(エントロピーが低い状態)が形成される。この流れが止まる事が熱力学的な死である(エントロピーが高い状態)。ローマ帝国はまさにこの状態に立ち入ったのだ。そして現代のニッポンも「移民を受け入れ、自由と平等、愛ある共生社会を目指す」といったPCにより、民族が混合されることによりエントロピーの増大(活力と秩序の崩壊)を引き起こす。

それにしても大衆とは実に愚かなもの。出張った者を引き下げ、頭をどんぐりの背比べ状態、すなわちフラット化された社会の中で真っ先に不利益を蒙るのは、実は、自分自身であることを知らないのだ。事実、都内の500万未満の世帯の比率は5割を超えた。次の記事は2007年時点の年収割り合いを示す。

現在は詐欺的消費税も10%まで上げられ、若者が特に貧困化し、正規雇用者でこのグラフの通りだ(2024年)。非正規だとさらに左にシフトする[4] … Continue reading

解剖学者養老猛司先生と道元禅師が、「まことの自由は不自由の中にある。個の確立していない日本では今の”自由”はむしろ個を失わせる。個がなければ公もあり得ない」と指摘するとおり。このような国を維持する道は、ずっと以前に書いてBBSにアラシが入ったが、あえて繰り返そう:

20%のエリートを作り、彼らを業績に応じて厚遇すること。

そしてそれを獲得するチャンスを残しておくこと。いわゆる選良意識を有する者たちが必要なのだ。昔の旧制高校のような存在である。しかし不幸なことには、80%が20%を引き下げてフラット化するのが現在の日本[5] … Continue reading

元々個のない国に、格好だけ”自由”と”個の教育”なる幻想を持ち込んでしまったことにより、真の自由と社会までも消え行こうとしている。これによって言葉からして共有し得なくなり、個のない”個”は自閉性を高め、その妄想を膨らませる。それをまたネット上で共有する。そのような中から今回(2008年)の事件のような頭部切断、さらに腕も切断していたようだが、こういった猟奇的事件が増える[6]その後も相模原の福祉施設での大量殺人事件や、精神科医の娘の猟奇的頭部切断事件などが頻発している。

昔、大宅荘一がいみじくも指摘した、『一億総白痴』化と。そして三島も予言した、「いずれ極東に中身の空疎な経済大国ができる」と[7] … Continue reading。Dr.Lukeとしてはこう言いたい―

一億低フラット妄想化社会

この記事で紹介したように、パイロットが荷物運搬するといった状態は、パイロットと言う一種のギルド社会での職人的プライドと品質を担保された時代から、単なるサラリーマン的なパイロットの大量生産時代に変わりつつあることの象徴。下手をすると粗製濫造もあり得るわけだ。かくしてこの業界もフラット化するわけで、多分にモラルの低下によって、事故や問題が今後増えてくることだろう。

そしてこれはキリスト教界でも同じ。先に紹介した佐藤優氏の著書によると、カール・バルトも西洋キリスト教の失敗はコンスタンチンによる世との結合にあると指摘しているらしいが、まさにそのとおり。黙示録にあるペルガモ(結合の意味)の教会は世との姦淫を犯した教会だ(→教会歴史について)。

かくして現代のニッポンキリスト教を見てみれば明らかなとおり、あなたは神のVIPだ、として人を喜ばせ、人を気持ち良くする、人に媚びる、動機においてかなり疑問を持たざるを得ないヒューマニズム的伝道がなされつつある。これはいわゆる「1%コンプレックス」の裏返しなのだが、これが実に大きな罠であり、商売をしたい牧師や自己栄光化の霊に酔っている人々にとっては実に魅力的なのだ。これをバベル憲章と呼ぶ。

前々から指摘しているとおり、キリスト教徒を増やしても何らの意味もない。しかし古のローマでおきたように、今後下手をすると”キリスト者”の粗製濫造が起きてくることであろう(塩野氏は「ローマが融解した」と表現している)。彼らが神の名によって社会を運営する光景などは考えただけでゾッとする。そしてこれはかの佐藤優氏も大いに懸念することなのだ。今リアルタイムで目撃している石破かゲルで証明される。

ちなみに佐藤優氏も現在のキリスト教のあり方には大いなる疑問を覚えているとのこと。同氏はキリスト者を自称する人の高いところからの発言と偽善性がたまらなく嫌なのだとか・・・。

ちなみに佐藤氏によると神学とは、ひとつは「護教論」であり、ひとつは「論争論」であり、その究極は、相手は異端、自分は正統と主張する先鋭化に至ると。けだし名言だ(笑)。が、今後これが起きてきますね、流れに従わない者はカルトであり、異端であると・・・。

本音を語ると、私はニッポンキリスト教の今後に対しては、ある種の恐れを覚えている。表が綺麗に見えるほどに、実に不気味にして怖い世界になり得ると感じているのだ。これは理屈ではなく、私の霊的生理的感覚である・・・[8] … Continue reading

かくして大衆は歴史、そして物理学からも学ぶことがない。その動機は己の欲に基づいた嫉妬妬みである。社会からこぼれた連中がルサンチマン化し、自分と同じレベルに引き下ろす動機である。かつて東京都立の高校が学区制によって均された時、いかなる状態が生じただろうか。今、麻布や開成が東大進学のメッカとなっているが、目の効く親は均された公立などにはやらなくなった[9]しかし、有能な教員によりたとえば翠嵐高校などは東大合格者数60名とかつての湘南天下を抜いている。一方で私立でも栄光などは凋落しつつある。。かくして親の収入レベルが子供の教育レベルを決定し、教育における格差が固定化した。これでさらに社会格差が固定化する。それでも東大が年収400万未満の家庭の子息には学費をタダにするらしいから、チャンスは開かれているから頑張ってみて欲しい。

アメリカが今も一応「パックス・アメリカーナ」を保持できるのは、「アメリカンドリーム」のチャンスがあるからだ。その後、オバマ、トランプ、バイデン、トランプと変遷を経てアメリカは現在はMAGAの気流が流れていることは大変よろしいことだ。対してニッポンは安倍氏が打たれ、岸田、石破という無能な者が増税の挙句、ねばねば・べたべたと理屈をこねくり、この国を平らに均し、立身立国の気概をさらに削いでいるのだ。

タコツボ化し、社会の流動性が失われつつあるニッポン。私は日本は深く愛しているが、ニッポンには嫌悪感を覚えている。同様に、日本のエクレシアは深く愛しているが、ニッポンキリスト教の会には嫌悪感を覚えている。私は大衆のご機嫌取りをする牧師たちの跋扈するニッポンキリスト教はすでにご遠慮であるが(ビョウキの者に粘着はされることはあるのだが・・・)、ニッポンが腐り果てることが分かった時点で、ニッポンからも脱出することもマジで考えている昨今である。いやいや、温泉がないのは寂しいので、人里離れた深い山に篭るべきか・・・な。少なくともニッポンキリスト教からのセコンド・エクソダスは20年以上唱えてきたが、最近、同意を得る人々が増えているのはまことに喜ばしいことである。

追記:1997年以降、いわゆる緊縮財政が始まって以来、平成時代はまさに平らに成る時代だった。GDPも500兆あたりをフラフラ、成長率の世界順位はほぼビリ。フラット化そのものである。

しかし今回の参院選において、一縷の希望の光も見出していることはことわっておこう。

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References

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1 これは当時の番組、最近のものではNHKの特集番組をお薦めする。
2 フランス革命の際に提示されたこれら三つが同時に成立することはあり得ない。つまりトリレンマの関係にあることは少し考えればすぐにわかるであろう。フランス革命は階層固定化を部壊し、マリーアントワネットを斬首したが、結果は単なる暴力による社会の破壊だった。この混乱の中からナポレオンが台頭したが、その支配も短命であった。これは左系リベラル国家では繰り返されている。
3 この場合の階層固定化は20%のエリートとはなり得ない。なぜなら内にこもり自分の権益を守るだけの官僚機構のようなものだからだ。新しい価値を生み出すことは彼らにはできない。つまり外見の階層が固定化するだけで、エネルギーの流れは止まっているのだ。
4 非正規雇用者が50%近くまで増加したのは消費税の仕組みと関係があるが、稿を改める。簡単に言えば、非正規雇用者を雇う方が会社にとって負担が少なくて済むのだ。
5 この2対8に分かれる法則をパレートの法則と言う。たとえば、会社の重要な仕事の8割は2割の社員が処理しており、コロナワクチンを受けた者は80%、20%はそれを忌避している。
6 その後も相模原の福祉施設での大量殺人事件や、精神科医の娘の猟奇的頭部切断事件などが頻発している。
7 残念ながらこの予言は一部的中、一部外れている。現代ニッポンはすでに経済大国ではなくなっている。2012年に中国に抜かれて、現在ドイツにも抜かれ、GDPは世界4位、まもなくインドに抜かれて5位に転落するだろう。現在、中国はニッポンの3倍である。
8 その後、この懸念は的中していることはこの間のニッポンキ業界で起きた数々の事件や現状見れば明らかであろう。すでにアパシ―状態落ちて、エントロピーの発散状態にある。
9 しかし、有能な教員によりたとえば翠嵐高校などは東大合格者数60名とかつての湘南天下を抜いている。一方で私立でも栄光などは凋落しつつある。

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