YHWHの御業の効力は時間を遡る-ニュークリーチャーは最初から義人である!

ニッポンキリスト教で牧師を通して頻繁に言われるセリフ、
「あなたがたは罪赦された罪人に過ぎないから、日々、瞬間瞬間へりくだって、罪を告白し悔い改めて生きなさい」
はすでに耳タコであろう。「告白」とか「悔い改め」とかいった単語自体が原語からずれていることはすでに指摘している。
このような牧師の脳内回路は時空間の制限内において作動するだけで、天地の創造主であるYHWHの思考回路とはズレまくっている。結論を先に言うと
命題A:YHWHの目においては、われわれニュークリーチャーは最初から罪を犯したことがない者である
これは宗教マインドに閉じ込められたむきにはかなりの認知的不協和を生むことであろう[1]自分の価値観や思考パターンを逸脱する事実や考えに対して抵抗感や拒否感を覚える心理。。実はニッポンキ業界において精神を病む者が多い理由は、罪(人)意識である。彼らは罪責感、自責感で潰されている。
命題A’:われわれは義人である、しかも最初から義人である
この意識に覚醒すること事こそ、主イエスのフェイスがわれわれのうちに作用し、彼と同じわざをなし得るための条件である。
命題A’においては、前半部はなんとか受け入れることができても、後半はかなり難しいであろう。理由は、時空間の束縛を受けているからである。文系のオツムの回路(マトリックス)は言葉を遊びによって空理空論を展開する傾向が強いために、特に神学者や思想家たちには理解が困難になる。
しかしながら、現代物理学の量子論の世界を知っている者であれば、時空間を超えることは量子の世界ですら生じている厳然たる事実なのだ。例えば、この記事を読まれたい。
有名な二重スリット実験の最新版である。量子(光子や電子など)は波動性と粒子性の両方を有するが、それらが同時に観測されることはない。これはアインシュタインが提示した思考実験(同時に観測される)が実際の精密な実験によって否定された。
さて、上の記事にある実験により導かれた結果を述べると、
この実験が示すのは、光子の振る舞いが初期状態だけでなく、「最終的にどうやって検出されるか」に依存するという点だ。つまり、未来の測定状況によって過去の物理現象が決まるという、量子力学特有の不思議な現象が実際に起こり得ていることが示された。
お分かりだろうか。未来の測定状況が過去の物理現象(波動性か粒子性)を決めるのだ。つまり量子論の世界では<過去→現在→未来>という因果律が崩れ、<過去←現在←未来>の因果の流れが生じるというわけ!
私はフェイスすることにより、神の霊的領域の波動を五感の(物理的)領域に実体化すると言っている。ちょうど量子論で観測することにより量子の状態が粒子として確定するのとパラレルである。
ここで重要なのは、創造主YHWHエロヒムにおいては時空間の存在は何らの問題とならないことだ。つまり霊的領域の波動は物理的世界を超えた領域に存在するのであり、それが物理領域において実体化されるとき、時空間を超えた霊的サブスタンスが<今・ここで>経験されるのである。つまり、キリストにある私という存在はキリストとエンタグルメントされることにより、すでに時空間を超えた次元において、初めから(=時空間を超えての意味)罪を犯したことのない義人とされているのだ!
アインシュタインも言っている、過去、現在、未来の区別は幻想である、しかもしつこい幻想であると。創世記1章1節の「初めに神は」とある「初めに」は時空の初めであるが[2]これに対して、ヨハネ1章1節の「はじめに」は時空を超えたり永遠の世界を言う。創世記1章1節には円周率 π が、ヨハネ1章1節にはネイピア数 e … Continue reading、ヘブル語では”בראשׁית”、読みは「ベレシート」。実はこの単語の中にすでにイエスご自身がコード化されている。私はジェネシス・コードと呼んでいるが、聖書のすべてがそこにあるのだ!
キリストの十字架についても、二千年前にあったあの歴史的十字架はあくまでも永遠の十字架がこの物理的時空に介入した事件に過ぎない。すなわち、
地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。-Rev 13:8
と訳されている邦語訳は誤訳であり(訳者が理解できるように曲解している)、正確には
地に住む者で、世の初めからほふられた小羊のいのちの書にその名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
And all those dwelling in the earth will worship him, those of whom the names had not been written in the Book of Life of the Lamb having been slain from the foundation of the world.(HRB)
である。子羊は世の初めあるいは世界の基が置かれる際に既に屠られていたのだ! この霊的リアリティ(サブスタンス)が時空間に実体化されたのがあの十字架である。つまり、十字架の効力はすでに世の基が置かれる前に働いていた! つまり、われわれも世の基が置かれる前にすでに義とされていたのだ! さらに言えば、イエスの属性が最初からすべて私たちのものである。
クリスチャンにとって、時空間に束縛された思考回路がどれほどに有害であるか、冒頭にあるニッポンキ業界の牧師たちの説教の結果を見れば明らかである。ある日本基督教団の牧師は、「二千年前に中東にいたあの男と21世紀に生きる自分といったいなんの関係があるのかとしばしば考える」と、その教会のサイトに書いている。ちなみにこの牧師自身が鬱病で、精神科医の言葉を頼りとして生きているのだとも。

ニッポンキ業界はすでに絶滅危惧種であるとキリスト新聞が自分で告白しているが、今のままであれば廃墟となることは必然の末路である。時空間に束縛される脳内マトリックスをエクソダスしない限り先は見えていると改めて言っておく。私がセコンド・エクソダスを勧める所以である(残りたいむきはご自由にどうぞ)。
それはとりもなおさず、時空間を超えてフェイスの世界に生きることである!

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