幻想なる時間の呪縛から解かれよ-前後ありと言へども前後裁断せり-

この記事はFBの2016年12月14日のポストの再録、ちょうど本日のメッセと関連しますー
これ、なかなか面白い。道元は、「今でしょ!」の世界をこう言っている―
たき木は火となる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。-『正法眼蔵』-現成公案
焚き木が先で灰が後というわけではないと。これは時間感覚のトリック。時間自体が大脳によるイリュージョン、マトリックスなのだ。
前後際断と申す事の候、前の心をすてず、また今の心を跡へ残すが悪敷候なり。前と今との間をば、きってのけよと云ふ心なり、是を前後の際を切て放せと云ふ義なり、心をとどめぬ義なり。 『不動智神妙録』第十二節 前後際断
仏教ってね、実は現代物理の最先端を行くのだ。クオリアなども。色はない。それは大脳が創り出したイリュージョン。ゆえに「色即是空」。元々仏教は礼拝対象などはない。認識論のひとつなのだ。今の葬式仏教や偶像を拝むことは釈迦牟尼が禁じていたこと。彼は法による生き方を説いている。で、聖書はその法のルーツ、つまり法源は何かを啓示しているのだ。
ちなみにフェイスはNOW!シックスセンスであり、スーパーナチュラル。永遠が今に切り込む経験なのだ。あるいは今に展開するか。
追記:
再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」とダビデを通して語られたのです。-Heb 4:7
つまり神との関係とは常に「今日」なのである。昨日と明日とは前後裁断された生き方である。

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