iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
タグ: ロゴス

御霊はまず第一に、いのちを与えるのを原則として働かれます。御霊が信徒のうちになされる、しるし、きよめ、光を与え、力づけるみわざなどは、みなこれに根ざしているのです。・・・魂の内なるいのちとして御霊を待ち望んでこそ、彼のそれ以外の恵みのみわざを経験することができるのです。これはただそのいのちの成長発展したものにほかならないのです。これらを味わうことができるのは、内なるいのちの力によってです。
この御霊に対照して、主は肉をおいてます。肉が罪の源泉だと言っているのではありません。そうではなく、宗教的な面では、肉とは生まれつきのままの人、あるいは完全に神にゆだねていない信徒が、みずから神に仕え、神のことを知り、自分のものにしようとして用いる力を言っております。
二つのことを教えたいのです。その一つは、そのことばが真に生きた種であって、根ざし、発芽する力を持っており、これを受け入れてその心にとどめる者に、その活力をあらわし、その意義を啓示し、その神的な力を実証するということです。
彼のみことばは霊であり、またいのちです。そのみことばは理解するためのものではなく、いのちを得るためのものです。みことばは見えない御霊の力によって来て、すべての思いよりも高く深く、いのちの根源に侵入します。みことばはその中に神のいのちを持っており、神の力によって、その真理を受け入れる者の経験の中に、有効に成長するのです。
種はそれが適する土壌を必要とします。種の中ばかりでなく、土壌にもいのちが必要です。みことばは頭の中に入るだけでなく、感情の中だけでもなく、また意志の中に入るだけでもありません。それらすべてを通して、その奥にあるいのちに撒かれなくてなりません。そのいのちの中心は人間の霊的性質であり、良心はその声です。
御霊に満たされたいならば、みことばに満たされなさい。また御霊のいのちがあなたのうちに育って強くなり、あなたの性質のすべての部分に力を得ることを願うならば、キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせなさい。
人生のさまざまの場面に遭遇し、一見矛盾したような命令とか主義の間にあって、そのなすべきことを誤りなく選択し、必要な示唆を受けるために聖霊によって神の御心を啓示されることを願うならば、みことばを豊かにうちに住まわせ、聖霊が用いてくださるように備えなさい、・・・聖霊が活力を現わされるのはみことばによってなのです。
霊であり、いのちであるみことばは、内住の御霊といのちによって私たちのうちに生きて働かれ、これによってのみその意味を啓示し、その実質を賦与し、その神による力と満たしをうちなる御霊といのちに与えるのです。

- 引用聖句:Rom 4:11;Esther 8:8;Heb 1:3;11:3;2Cor 4:17 etc.
- 次回:2023年1月15日(日)
- 場所:NATULACK石川町元町店3F
- 時間:13:00-16:30
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

Anyone who becomes seriously involved in the pursuit of science becomes convinced that there is s spirit manifested in the laws of the universe, a spirit vastly supelior to that of man. -Albert Einsten
「科学を真剣に追求する者たちはみな、宇宙の法則の中にはある霊が存在することを確信させられる。それは人間の霊をはるかに越える霊である。」-アルバート・アインシュタイン
All matter originates and exists only by virtue of a force. We must assume behaind this force is the existence of a couscious and intelligent Mind. This Mind is the matrix of all matter. -Max Planck
「あらゆる物質はある力によって生み出され、存在するに至った。われわれはこの力の背後に意識的かつ知的なマインドの存在を認めなくてはならない。このマインドはあらゆる物質のマトリクスである。」-マックス・プランク
聖書にはこうある:
・初めに(=時間)神は天(=空間)と地(=物質)を創造された。-創世記1章1節[1]創世記の「初め」は時空間の開始点としての初めであり、ヨハネ福音書の「はじめに」は時空間を超えた永遠の領域におけるはじめである。
・神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。-ローマ書1章20節
・神は霊である。-ヨハネ福音書4章24節
・託宣/イスラエルについての主の言葉。すなわち天をのべ、地の基をすえ、人の霊をその中に造られた主は、こう仰せられる。-ゼカリヤ書12章1節
・信によって、わたしたちは、この世界が神の言葉(=レーマ)で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。 -ヘブル書11章3節
最近の『超弦理論』では11次元時空間における膜構造をなすスーパーストリングの振動、バイブレーションが宇宙を構成していると言う[2]アイキャッチ画像は11次元のうち、丸まっている6次元空間。カラビー・ヤウ空間と呼ぶ。その性質はまだほとんどわかっていない。。聖書はすでに紀元前千年頃にこう言っている:
・その響き(=弦)は全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。-詩篇19篇4節
現代物理学の最前線では神の存在を認めざるを得ないのだ。この神とはYHWHエロヒム、エロヒムの中の最も高き存在Elyon、日本のアニミズム的「八百万の神」ではない[3]これらの神々も世界に配置されたエロヒムとも言える。。宇宙のクリエイター、創造主そのもの。最近は「サムシング・グレイト」によるID理論(インテリジェント・デザイン説)が欧米のサイエンティストに流行しているが、この存在は誰か。私の著書『神の新創造』ではこれらのアインシュタインやプランクの発言に応答する内容となっている。

すでに何度も指摘しているが、<カルバン(決定論=神の意志)VSアルミニウス(偶然論=人の意志)>の神学ギロンはナンセンスである。われわれの認識能力として、決定論か偶然論を識別することはできないのだ。詳細は次の記事にある再建主義者との議論のログを参照のこと。
そもそも人の自由意志なるものが幻想であることは脳科学でも証明されつつあるし、聖書の言うところでもある。
同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。・・・しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。-Gal 4:3-9
つまり諸霊は人間のマインドに干渉するのだ。世の人はほぼ無意識的にその影響を受けているが、自分の決断や好みなどがその働きの結果であるとはまったく考えていないでしょう。

さて、今回、FBで紹介しておいたこのクリップ、実に面白い。人間の意識作用は無意識レベルでの反応の後付け講釈であると。
つまり意識は、諸霊や自分の無意識の反応を受信して、それを解釈したものであるのだ。自由意志なるものも、実は無意識が生み出した何らかの決定がやや遅れて意識化されたものにすぎない(受動的意識仮説)。
かくして大脳なるものは、一種の受動的受信機であるとする説が浮上する。何かを生み出すと言うよりは、何かを受信し、それを意識の中で構成するのだ。事実、聖書ではこう言われている:
夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが・・・-John 13:2
どうように福音もロゴスがわれわれの心に撒かれることである。
それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが・・・-Mark 4:31
つまり私たちのマインドに撒かれたロゴスは私たちの心の中で成長、増殖する。これがサブコンシャスのレベルで行われるのだ。もちろん聖霊の働きによる。そしてその聖霊は私たちの腹から川川となって流れ出る(John 7:39)。
The spirit of man is the lamp of YAHWEH, searching all the inward parts of the heart.-Prov 20:27
私たちの霊は聖霊と共に働き、サブコンシャスのレベルに浸透し、探索する。こうして無意識の領域において私たちの魂の再構成がなされる。
かくして、われわれの好みや意志決定などはほぼサブコンシャスのなせる業であり、いかにあてにならぬものかは、大恋愛の末に結婚した芸能人があっという間に離婚することで分かるであろう。ではわれわれはどこに意識の根拠を置くのか。もちろん御言葉=ロゴスである。
だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉(ロゴス)は、あなたがたの魂を救うことができます。-James 1:21
そこでこう奨励されている:
キリストの言葉(ロゴス)があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。-Col 3:16

ここの「内に」とは単なる意識の表象としてではない。サブコンシャスの領域に至るまで御言葉が浸透することを意味する。これはもちろんキリストの体性メモリを再現する聖霊による。御霊と御言葉は共に働き、私たちの魂のサブコンシャス(無意識)の領域をも作り変えるのである。もちろんキリストの形へと!

我々が五感の領域で経験するあれこれ、それは何によって生み出されているのだろう。「あれこれ」とはアイオン(αἰών)、Strongによればこうある:
From the same as G104; properly an age; by extension perpetuity (also past); by implication the world; specifically (Jewish) a Messianic period (present or future): – age, course, eternal, (for) ever (-more), [n-]ever, (beginning of the, while the) world (began, without end). Compare G5550.
Vincentはこう解説している:
Lit. the ages. The world or worlds as the product of successive aeons.
つまりわれわれの時系列的経験、五感によって感知される諸事象を意味する。そしてヘブル書はアイオンは目に見えるものから生じるのではなく、見えないものから生じると証言する:
信仰によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。-Heb 11:3(岩波訳)
Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear. (KJV)
「言葉」はレーマ、「造られ」はフレーム化あるいはレンダー、すなわち五感の領域にあらしめるの意味(田川訳では「整える」)、「理解している」の原意はヌース(思い)により把握する、である。信仰という単語は不適切であるとすでに繰り返しているが、フェイスとは五感を超えたシックスセンスであり、スーパーナチュラルなスピリチュアル・パワーである。
現代量子論によると、量子は波動でもあり粒子でもある。ド・ブロイは物質は波であるとして、λ=h/mv=h/p (p=mv)とした。λは波長である。これを波動方程式に組み込むことによりシュレディンガー方程式が構成され、それは実験結果ときれいにフィットした。ところがその意味が問題となった。波動関数φとは何か。ボーアやアインシュタインとの論争の中で、それは粒子の発見確率を意味するとされた[1]φの絶対値の二乗|φ|2が確率密度関数を表すとするもの。。つまり波動は局所的実在としての波ではなく、確率分布という情報であるとするのだ。
これは局所的実在を否定するペル不等式の破れと言う形で証明されることになった。詳細は省略するが、二つの波動関数を共有する量子は距離に関係なく一方のスピンが決まると他方のスピンが決定してしまう。すなわち光速を超えて情報が伝達するという、相対性理論と合致しない現象の存在が証明されてしまったのだ。これをエンタグルメントと呼び、アインシュタインはspooky(不気味)な現象と呼んだ。
つまりこの量子は「五感で感知される時空間を超えて存在する何か」とするしかなくなるわけだ。このことを「局所的実在性が否定された」と言う。なんとも不思議ではないか。この世界を造る物質を分解していくと、分子→原子→電子・中性子・陽子→クオーク→弦となるのだが[2] … Continue reading、その電子などの量子は局所的実在ではない何かなのだ。では私たちの体はいったい何なのだ? 確かに五感によって知覚されているではないか、しかしその究極的構成要素は五感の領域を超える何かであるとは???
まさに「見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解」せざるを得ないのだ。それはレーマすなわち言葉すなわち情報がフレーム化したもの、あらしめられた(レンダーされた)ものなのだ。パワーポイントで投影された映像は、もとをただせば0と1の集合体、あるプロトコル(規則)に従って構成されたマトリックス、すわなち情報である。それがPCとプロジェクターによりフレーム化(レンダー)されたものである。0と1の集合体はわれわれはその意味をすぐには理解できないが、フレーム化(レンダー)されるとき、五感で感知し得る意味が生じるのだ。これと同じことをヘブル書は説いてる。
さらに、もっと原意に正確に訳すと
By faith we are apprehending the eons to adjust to a declaration of God, so that what is being observed has not come out of what is appearing.(CLV)
アイオンは神の宣言に適合するようにあらしめられるのだ。神の宣言とは語り出されたロゴス、ヘブル語ではダバー(dabar)、それは実質・実体そのものである。われわれが五感の領域で感覚/知覚して経験する事象はYHWHエロヒムの発出したロゴスそのものに適合するあり方とされたアイオンである。
そしてヘブル書は宣言する:
神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって(の中で)、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって(を通して)、もろもろの世界を造られた。 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質(ヒュポスタシス)の真の姿であって、その力ある言葉(レーマ)をもって万物を保っておられる。-Heb 1:1-3
御子とはYHWHエロヒムのロゴス(John 1:1)、すなわちダバー(dabar)、実質・実体である。ここで大切な点は、YHWHエロヒムは御子にあって語られた(アオリスト)ことである。すでに語られた(過去形)。つまりYHWHエロヒムは御子にあってすでに宣言されたのである。何を?
しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。-1Cor 2:9
五感では知覚できない、思いにも浮かばないことである。そしてそれは
なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって(あって)「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである。あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ(確立し)、油をそそいで下さったのは、神である。-2Cor 1:20-21
For as many promises as are of YAHWEH, in Him they are yes, and in Him are Amen, for glory to YAHWEH through us. But He confirming us and anointing us with you in Messiah is YAHWEH, even He having sealed us, and having given the earnest of the Spirit in our hearts.(HRB)
旧約において提示された神の約束はことごとくキリストにあって「アーメン」とされた。これは単に「アーメン」というセリフを唱えることではなく、その原意「アマン(אָמַן)」、すなわち「現わしむる・レンダーする」ことである。キリストこそはYHWHエロヒムの約束の成就された実体そのものなのだ。その方は死と復活を経ていのちを与える霊となられ(1Cor 15:45)、われわれのうちに聖霊により内住され、われわれもその方にあって確立される。
キリストの内に〔こそ〕神性の全き充満が形態化して宿っており、あなたがたはキリスト-すなわちあらゆる支配と権威の頭-にあって満々と満たされているのだから。-Col 2:9-10(岩波訳)
For in Him the whole fullness of Deity (the Godhead) continues to dwell in bodily form [giving complete expression of the divine nature]. And you[f] are in Him, made full and having come to fullness of life [in Christ you too are filled with the Godhead—Father, Son and Holy Spirit—and reach full spiritual stature]. And He is the Head of all rule and authority [of every angelic principality and power]. (Amplified)
ここの[f]の注としてVincentはこう説いている:
Rev., made full…. Not, ye are made full in Him, but ye are in Him, made full. In Him dwells the fullness; being in Him, ye are filled.
YHWHエロヒムの充満であるキリストが内住されるゆえに、われわれもその方の充満とされているのだ。詳訳ではこう訳されている:
というのは、彼のうちにこそ神性の全充満<神という方>が肉体の形をもっていつまでも宿られる<神性の完全な表現がなされている>からです。そしてあなたがたは彼のうちにあり、満ち満ちた者とされる<満ち満ちたいのちになる>のです<<キリストにあってあなたがたもまた、神、すなわち父、子、聖霊に満たされ、霊的に完全な身たけに達するのです>>。また、彼は、すべての支配と権威<あらゆる天使的主権と力>のかしらです。
かくしてわれわれを通してその神のすべての約束が「アーメン」とされる、つまり実体化されるのだ。キリストがなされたことをわれわれも再現、あるいは追体験するのである。ゆえに主は言われた:
わたしを信じる者はわたしのわざをなし、さらに大いなる業をなす。わたしが父のもとに行くからである。-John 14:12
ジーザスは父の元に行かれ聖霊をわれわれに注がれた。そしてその内住の聖霊はキリストの御霊としてわたしたちのいのちとして充満する。キリストの御霊はわたしたちの霊から魂へと浸透し(ペネトレーション)、わたしたちの魂をキリストの魂の形へと再構成し、死ぬべき体にすらいのちを与え、われわれはキリストの再現となる。われわれのうちにキリストが構成(モルフォー)されるのだ(Gal 4:19)。ゆえに―
この教会(エクレシア)はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているもの(Gk.充満)に、ほかならない。-Eph 1:23(口語訳)
新改訳などにあるように満ちておられる「場所」とか「ところ」ではない(口語訳はまだ良心的に訳している)。充満そのものがエクレシアである(岩波訳では正確に訳されている)。すなわちキリストである。われわれの体と魂はいわばガンダムスーツ、それは本質ではなく、キリストの充満そのものがエクレシアなのだ。白いキリスト教の神学などは捨てよ!
お分かりだろうか? YHWHエロヒムはご自身のいのちをまずキリストにあって実体化し、この五感の領域にあって現わされた。キリストは死と復活をとおしていのちを与える霊となられ、物理的存在に拘束されない霊としてわたしたちのうちに時空間を超えて内在される。そのキリストの成就されたすべてが五感の領域にある私たちの体と魂をとおして再現されるのだ。これがエロヒムをエミュレートすることであり(Eph 5:1)、その増殖である(Col 2:19)。
エロヒムの成長(増殖)を成長(増殖)する。-Col 2:19(原意、田川訳と岩波訳は正確)
かくして地上においても天になるとおり御旨(=五感で知覚できない意志のサブスタンス)が現出するのだ(=実体化されて知覚されるリアリティーとなる)。天には罪も病も貧困もトラブルもない! われわれはそのリアリティーを<今・ここで>享受する。フェイスはそのサブスタンスであり、エビデンスである(Heb 11:1)。それは永遠のNOW体験。PTL✨

TODAY’S CELEBRATION Nov 21, 2021:GPS-ゴッド・プレデスティン・システム-YaHaWeHエロヒムのスーパーナチュラルらせん
引用聖句:Heb 4:3;Rev 13:8;Gen 1:2;P …
- 引用聖句:Heb 4:3;Rev 13:8;Gen 1:2;Ps 104:30;Prov 4:20;23;Isa 55:11;Ps 56:8;139:16;Eph 1:3-14;2:5-6; etc.
- 2021年11月28日(日)
- 場所:鶴見駅前ホール第一&ニ会議室
- 時間:13:00-16:00
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

Biblical writers used words loaded with symbolic, abstract meanings that were well known in their culture. We miss all that when we insist words must mean what pops into our heads in our time and culture. pic.twitter.com/CftpeND5TP
— Michael S. Heiser (@DRMSHPhD) April 22, 2021
いつものDr.Heiserのツイート。御言葉は現代人の感覚で理解してはならないのだ。ましてや日本語マトリックスでの理解は致命的。
たとえば「良心」と訳される単語”suneidēsis”。”sun”(with)+”eido”(percept)の合成語。その意味は”co-perception”(Strong)、聖霊とパーセプションを共有することである。岩波訳では「内奥の意識」と訳している。
原語を変える必要があることはすでに指摘している。
われわれは残念ながらヘブル語やギリシャ語は母国語としていないゆえの限界はある(外なる言語)。が、内なる言語(ロゴス)を有している。それは聖霊によって臨在されるYHWHエロヒムのロゴス、いのちを与える霊となられたキリストである(1Cor 15:45)。このキリストのマインドをすでに持っているが(1Cor 2:16)、まだ古い魂(特にマインド)が障害となり、十分にその機能が発揮されていない。ゆえにマインドのトランスフォーム(メタモルフォーシス)が重要となる。
そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって、形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであり、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-Rom 12:2

マインド(思い)はブレインと同期して働くが、ちょうどカメラのシャッターのようなもの。これが開いていないと、ここで霊的サブスタンスがブロックされて、霊にまで届かない。このような人は思いの中で延々と空理空論を振り回すことになる。霊はちょうど感光フィルム(今は感光素子)のようものである。霊的サブスタンスを霊に得たら、思いを用いて語り出す。これが写真の焼き付けと同様に、五感の領域に霊のサブスタンスを現出させることである(実体化、substantiation)。
かくして霊の人はYHWHエロヒムの意識を共有し、それを五感の領域に現出させるのだ。これが御心が天になるとおり、地にもなるようにの具体的内容である。主の祈りは式文ではない。

命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉(レーマ)は霊であり、命(ゾーエ)である。-John 6:63
肉とは五感の領域の存在。聖書も白黒の文字として捉えるとき、いわゆる”Dos&Don’ts”のマトリックスに過ぎなくなる。あたかも六法全書のように。
神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。-2Cor 3:6
ジーザスは律法によらず、いのち(ゾーエ)の力によりメルキゼデク系大祭司として立てられ、われわれのためにとりなしをして下さっている(Heb 7:16)。律法に基づくレビ系とは一切関係がないのだ。ここで再建主義は根本的に考え違いをしていることが分かる。
主はアダムとエバが摂り損なったゾーエを分与するために、われわれの肉と同じ様で来られ、罪を知らなかったにもかかわらず、罪とされ、ご自分の体を裂いて、その肉において罪を処罰された(Rom 8:3;2Cor 5:21)。
そして死と復活を経て、いのちを与える霊となられ(1Cor 15:45)、聖霊により私たちのうちに住まわれる。このとき、父も子も内住される。
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。・・・わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。-John 14:21-23
かつて旧約では単なる神の霊と言われていた聖霊は、今やキリストの霊(Rom 8:9)、イエスの霊(Acts 16:7)と呼ばれる。なぜか? ジーザスご自身をわれわれに現わされるからだ。このゆえに、ジーザスが栄光を受けられるまで、その霊はまだなかったのである(John 7:39、原文)[1]田川訳ではさらに徹底して、「存在していなかった」とする。。
聖書の表向きの言葉はロゴス、何かを記述する言語。その聞いたロゴスにフェイスを混ぜるとき、それは生きる(Heb 4:2)。単なる日本語あるいは英語としてその言語の意味を理解するだけでは、それはいのちにならない。フェイスを混ぜることが必要なのだ。
そしてフェイスも霊(スピリット)である(2Cor 4:13)。それはうちなる聖霊が息吹かれる。その霊と共に御言葉を受けるとき、それはレーマとして、またゾーエとして私たちを生かす。私はこれを表題のとおり定式化している:
ロゴス×フェイス=レーマ=スピリット=ゾーエ
かくして霊のことは霊によって知り、霊の言葉を語り出すとき(1Cor 2:13)、それはゾーエを解き放つ(John 6:63)。そのとき、人間の言語の裏に存在する霊のサブスタンス、主の意志にタッチするのだ。それは霊のバイブレーションを共有すること。そのためにはマインドのトランスフォームが求められる。
あなたがたはこの世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであれ、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-Rom 12:2(岩波訳)
すると魂の一機能であるマインドの中にスピリットが浸透する。
And be renewed in the spirit of your mind; –Eph 4:23 (KJV)
ここは邦誤訳では「心の底から新たにされて」などとされるが、誤訳である。「思いの霊において新たにされる」が正解だ。思いは霊から単独で機能することなく、霊が沁み込み、霊の働きに服するのだ。このとき、YHWHエロヒムのマインドが伝達される。なぜなら、すでにわれわれはキリストの思い(マインド)を有しているからだ(1Cor 2:16)。サブコンシャスのレベルまでキリストのマインドで再構成されるのだ。

- MSGタイトル:ロゴスは解き放たれた
- 引用聖句:Matt 4:4;8:7;Heb 1:1-3;Rom 10:17;1Tim 4:7 etc.
- 2020年2月9日(日)のセレブ
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(第二、四水曜日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

NEW DVD発売:『FAITH CAMP 2019 SEMINAR』の二回のレクチャーを編集した映像。YouTube公開のものに手を入れてます。定価3,000円。注文はオンラインショップにて。

- MSGタイトル:フェイスはロゴスの鏡像
- 引用聖句:John 1:1-2;Heb 11:1-3;4:3;Ps 19:2-5;1Cor 13:3-5;Eph 1:19-21;3:7;Col 2:19;Heb 11:6;John 8:58;2Cor 3:17-18;1Tim 3:16 etc.
- 2020年2月2日(日)のセレブ
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー(ハロー会議室石川町元町より変更になりました)
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(第二、四水曜日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

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あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちはエロヒムである』と書いてあるではないか。Yahawehの言葉(ロゴス)を内在された人たちが、『エロヒム』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-ヨハネ10:34-35(Dr.Luke改)
御父は、御心のままに、真理の言葉(ロゴス)によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-ヤコブ1:18
Dr.Heiserの言葉にある”like”を日本語的に理解してはならない。AとBは本質的に異なるものであるが両者は似ているとするのが日本語のマトリックス。しかしLongmanではこう解き明かす:
like – with the same or similar qualities; of the same type
質が同じ(似ているも含むが)あるいは同一のタイプを意味する。つまりわれわれはジーザスと同じ質を有するのである。それはエロヒムであることだ[1] … Continue reading。エロヒムを「神」と訳すことが罠であるとすでに何度も指摘している。エロヒムとは霊的生命体の総称であり、その最も高き方がYahaweh=父・子・聖霊=である。
私たちはその方のロゴス(DNA)を継承しているエロヒムであり、Yahaweh家の子供なのだ。もちろんパースンとしてはYahawehとは異なる。これは同じ家庭に生まれても両親とはパースンを異にするのと同様。しかし同質のDNAを内在化され同じ生命をシェアしているのである[2]2016年2月の時点では私自身エロヒムの理解が十分ではなかったため、「神属人類の誕生@YouTube」という表現をしている。。繰り返すが、ニッポンキリスト教の「罪赦された哀れな罪人」のセルフイメージを捨てよ[3]クリスチャンなる呼称もそろそろ適さないかもしれない。ニュー・クリーチャーである。もちろんキリスト教徒などは論外である。。
References[+]
↑1 | われわれは体・魂・霊からなる。体‐魂コンプレックス(=肉;flesh)は地上のものであるが、霊はジーザスとまったく同じに世のものではない。それはエロヒムである。 |
---|---|
↑2 | 2016年2月の時点では私自身エロヒムの理解が十分ではなかったため、「神属人類の誕生@YouTube」という表現をしている。 |
↑3 | クリスチャンなる呼称もそろそろ適さないかもしれない。ニュー・クリーチャーである。もちろんキリスト教徒などは論外である。 |

あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。-マタイ22:29

私は聖書の真理は日本語で考えてはならないと繰り返し語ってきている。日本語マトリックスによるバイアスが生じるからだ。これでニッポンキリスト教なるタコツボができることは繰り返さない。使う言葉をシフトせよ!
このクリップは実に面白い。まさにはじめに言葉(ロゴス)があった(John 1:1)。言葉は私たちの経験を作り出すのだ。どの言葉を使うか、これがあなたの、そして私の人生を決定する。サンドラ・ブロック似の彼女は認知科学の研究者だ。日本語のトランスクリプトもあるので、ぜひご一覧を。
ちなみにこちらはDr.Lukeによるクリップ。ご一緒にどうぞ。

YHWHエロヒムは言葉=情報=によりすべてを創造された。すなわち生命は情報つまり言語である。その言語は4つの塩基配列。3つづつがコドンとして原則的に1つのアミノ酸に対応する。そしてアミノ酸の配列がタンパク質。
DNAの塩基はA-T(U)、C-Gとペアを作る。さらに相同染色体がペアを作る。必ず“連れ(Mate)”がいるのだ。まことにイザヤ書にあるとおり。聖書はキリスト教の経典でもないし、倫理や道徳の書でもない。【生命現象の書】である。すなわちスピリチュアル・サイエンスだ。聖書をキリスト教なるマトリックスから解放せよ!
主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつも欠けるものはない。雌も雄も、それぞれ対を見いださぬことはない。それは、主の口が命じ、主の霊が集めたものだからである。-イザヤ34:16
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-e^{i\pi }=1
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円周率とネイピア数と虚数単位は自然界を記述する数学の基本定数である。次のように1は分解できる。まさに三位一体を象徴する(☞iPAIの覚醒@YouTube)。これがわずかでも狂うと宇宙は崩壊するのだ。

マラキ書は旧約の最後の書であり、これ以降、ジーザスが来られるまでの約300年間、YHWHエロヒムの言葉は聞かれることがなくなった。その中の一節:
一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。-マラキ2:15(口語訳)
この意味が理解できるであろうか? あたかも不倫をするなと言ったニュアンスである。新共同訳は
主は、霊と肉を持つひとつのものを造られたではないか。そのひとつのものが求めるのは、神の民の子孫ではないか。あなたたちは、自分の霊に気をつけるがよい。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。
これも似たり寄ったりである。Hebrews Root Bibleにはこうある:
And has He not made you one (echad)? Yet the remainder of the Spirit is in him. And what of the one? He was seeking a seed of Elohim. Then guard your spirit, and do not deal treacherously with the wife of your youth.-Mal 2:15 (HRB)
この英文を訳すと、
”そして、彼はあなたがたをひとつに造ったではないか?彼の内にはその霊の残滓がある[1]アダムの罪の後、霊は死んだが、その機能である良心・直覚・交わりのうち、良心はかろうじて残滓として人のうちに残っている。。そしてそのひとつ[2] … Continue readingとは何のことか?彼はひとつのエロヒムの種を探し求めていた。ゆえにあなたの霊を守り、そしてあなたの若い時の妻をないがしろにしてはならない。”
マラキ2章は祭司たちに対する叱責である。そもそも彼らは唯一の父を持っているが、彼らは道を踏み外した(Mal 2:8)。人はYHWHエロヒムの形(phantom)と様(likeness)に創造された、神の一族であった(Acts 17:28-29 田川訳)。他の生物はみな「種に従って」造られたが、アダムはYHWHに型どって造られた(Gen 1:26-27)。加えてYHWHの息(neshamach)、つまり霊を吹き込まれた。この段階で他の生物とは異なる神的な存在であったのだ[3]Dr.Heiserは人は”Yahawehのimager”であると言っている。。
この上にさらにいのちの木の実を摂れば、YHWHエロヒムの意図は実現した。つまりご自身のいのちの増殖である。が、最初の人アダムは失敗した。これを回復したのが最後のアダム(=旧創造の終り)であり、第二の人(=新創造の初穂)であるジーザスだ。アダムはキリストの型である(Rom 5:14)。すなわちキリストはいのち(Zoe)の充満そのものであり、そのいのちをご自身がいのちを与える霊として(1Cor 15:45)、われわれに分かち与えたのだ(☞神のエコノミー-いのちのディスペンセイション)。このいのちとはまさにマラキ書の a seed of Elohimである。キリストこそがアブラハムに約束された単数形の種だった。
ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」とは、キリストのことです。-Gal 3:16
子孫の原文は単数形の”sperm”、すなわち精子、すなわちDNAである。YHWHエロヒムのDNAであり、これをもってご自身のいのちを地上に増殖することこそがYHWHエロヒムの当初の意図であった。ゆえに
すべての身体はこの頭から発して、筋と筋によって支えられ、組み上げられて、神の成長を成長するのである。-Col 2:19(田川訳;岩波訳の注)
何が成長あるいは増殖するのか? ここを他の訳はみな誤訳している! 成長するのはキリストの体、それはエロヒムの成長である! これは”a seed of Elohim”がわれわれの霊の内にインヒュージョンされたゆえである。まさにYHWHの遺伝子工学である。われわれの霊はYHWHエロヒムの霊を分かち与えられたもの。
神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。-1John 4:13
われわれ(の霊)は神のロゴスにより生み出された。
御父は、御心のままに、真理の言葉(ロゴス)によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-James 1:18
ロゴスが内に植え込まれた者はエロヒムであると主ご自身も証しされる:
そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちはエロヒムである』と書いてあるではないか。神の言葉(ロゴス)を受けたうちに存在せしめれた(ginomai)人たちが、『エロヒム』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-John 10:34-35
それはわれわれの霊である。ゆえにマラキ書ではあなたの霊を守れと言われるのだ。このヨハネの節に対してHRBは次のような栄光のコメントを与えている。
This psalm is talking about mankind’s great potential to become a literal child in the family of Yahweh (Rom 8:11-17) Psa_82:6
”この詩編はYahaweh家の文字通りの子とされるという偉大なる人類の可能性について語っているのである。”
中村家に生まれれば、ホモサピエンスとして中村族のDNAを継ぐ実の子である。ただし、両親とpersonは異なる。同様にYahaweh家に生まれるならば、エロヒム族としてYahaweh家のDNAを継ぐ実の子である。ただし、YahawehのPersons(=父・子・聖霊)とは異なる。何度も繰り返すが、エロヒムを「神」と訳し、Yahawehを「主」と訳すのが誤りである。これで日本語マトリックスに絡めとられて、ニッポンキリスト教なるタコツボが構築されることは繰り返さない。
われわれはエロヒムのシードをインヒュージョンされた新生命体である。エクレシアとはキリストの体であり、キリストの肉の肉、骨の骨(エペソの邦訳には落ちている)、この方の充満である(Eph 1:23)。すなわちキリストのいのちそのものであり、その増殖だ。エロヒムはキリストの体にあって増殖するのだ!(☞エロヒムの誕生と増殖@YouTube)

TODAY’S CELEBRATION Nov 24, 2019:ロゴス・スピリット・コンプレックス
MSGタイトル:ロゴス・スピリット・コンプレックス 引用聖句: …
- MSGタイトル:ロゴス・スピリット・コンプレックス
- 引用聖句:Isa 42:5;Job 32:8;Mal 2:15;Heb 4:2 etc.
- 2019年12月8日(日)のセレブ(1日は懇親会のためありませんでした)
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(第二、四水曜日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

NEW DVD発売:『FAITH CAMP 2019 SEMINAR』の二回のレクチャーを編集した映像。YouTube公開のものに手を入れてます。定価3,000円。注文はオンラインショップにて。

聞いた御言葉(ロゴス)はブレインからハートにおり、ガット(腹)に落ちる(腑に落ちる)。いっぽう、聖霊はZOEとなり、われわれの霊から魂、そして体へとペネトレーションし、腹から川々となってフローする。この死ぬべき体にもいのちを与えるのだ。それは正統キリスト教神学などの問題ではない。

わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川々(原文)となって流れ出るようになる。-John 7:38
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。-Rom 8:11