iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
タグ: 終末論

これは聖書の終末論でも啓示されているとおりであるが、最近では、かつて陰謀論とされてきたテーマが表で議論されるようになってきた。すでに紹介している馬淵大使や林千勝氏などの著作が秀でている。
今回のふたつビデオは視聴マストと思えるので、貼っておく。
まさにマトリックスの世界であり、表向き観ている現象はフェイク、ヤラセなのだ。かつて私は現代は壮大なフェイクを見せられていると問題提起したが、まさにそれが実証されつつある次第。
私のダニエル書と啓示録の解き明かしシリーズもぜひご覧ください。最初だけ貼っておきます。

Derek Prince : “Spiritual Warfare for the End Times.”
At this point, God’s answer to …
At this point, God’s answer to this situation was a new type of ministry: the ministry of Elijah. Elijah’s ministry represented God’s response to the alliance of political power and satanic supernatural power represented by Ahab and Jezebel. The following verses help us understand what God had in mind.
And Elijah the Tishbite, of the inhabitants of Gilead, said to Ahab, “As the Lord God of Israel lives, before whom I stand, there shall not be dew nor rain these years, except at my word.” . . . And it came to pass after many days that the word of the Lord came to Elijah, in the third year, saying, “Go, present yourself to Ahab, and I will send rain on the earth.” (1 Kings 17:1; 18:1)
Elijah was God’s answer to the situation. By God’s command, He brought judgment against the forces of Satan working to dominate Israel through the political, demonic alliance of Ahab and Jezebel.
Let us not be deceived. The final battle is not going to be fought on the plane of human reasoning and argument. It is going to be fought on a supernatural plane. When the power of Jezebel’s prophets had almost taken over the land, God sent Elijah, a prophet who would call down fire from heaven.
終わりの時代はフェイクの時代。イゼベルの霊が活発化している。イスラエルもこの霊に覆われている。この戦いは理性とか論理によるものではなく、エリヤの霊こそがYHWHエロヒムの解決の道である、と。まことに米国を見てもアハブとイゼベルの構造が再現されており(1Kings 19:1)、わが国でも小池百合子を代表として、天の女王の霊が仕切りつつある(Jer 7:18)。そしてサタンは光の天使にすら化けるのだ。KEEP WATCHING !!!
だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。-2Cor 11:14
Derek Princeはわが愛読書。英国人であり、きわめてnoble。私のメンターであるColin Urquhartとも一時関係があった。


最近の富井氏の主張はどんどんトンデモ系になりつつあるような・・・・。CLIPしておきます。
新約世界は富士山から出発したのかもしれない
5.
ユダヤ民族の役割が終了した紀元70年に、神殿の役割も終わった。
世界は新しいシステムに移行した。
ある特定の山がエデン山ではなく、ある特定の場所がエデンの園ではない。
クリスチャン一人一人が、エデンの園となった。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底[原語では「腹」]から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7・38)
信仰に入ったばかりのある日、自分の腹から水が流れ出るように感じ、驚いたことがある。
神ご自身が「エデン山」となり、クリスチャンが「エデンの園」として神の祝福を仲介し、世界が祝福される構造となった。
5.
1で述べたように、再建を約束された真のイスラエル民族(つまり、ユダヤ系クリスチャン)は、日本に移動し、そこに土地を与えられた。
アララテ山そっくりの富士山は「再建されたイスラエルにとってエデン山」となっただろう。(*) (*)
1.徐福が筆録したといわれる、麓にあった「富士王朝」は、古代の人々によってエデンの園として作られたのではないだろうか。
2.ちなみに、昔、仕事でアルメニアの首都エレバンに行った。
朝、ホテルの窓を開けると、そこに、富士山と同じコニーデ型の巨大な白いアララテ山がそびえ立っていた。
3.ラッシュドゥーニーはアルメニア人であり、アルメニアに紀元前8世紀から続くウラルトゥ王国の王の末裔である。
紀元70年以降の、新約世界は、富士山から出発したのかもしれない。

いよいよコロナワクチンを打つか否か、それぞれの決断の時が迫っている。RNAワクチンは遺伝子を細胞内に入れて、コロナのスパイクたんぱくを合成し、それに応じた抗体を作らせて、実際のコロナウイルスが侵入したときに免疫反応を起こさせる。この「遺伝子を入れる」ことに反応する向きも多いと思う。
さらにはワクチンパスポートも検討されているとか。まさに獣の印の時代であると、一部のクリたちは騒ぐわけだが、いつも再建主義の富井はこう説いている。いつもながら、メーソンやイルミナティをメタ言語(説明言語)として登場させているのだが、イルミナティについてはこの映画を観てください。その存在はすでに歴史的に終焉しているとのことだ。
ワクチンパスポートなるものが出始めた。
われわれは、ワクチン接種している者と接種していない者を区別して扱うようになると警告していたが、そのとおりになりそうだ。
彼らイルミナティが狙う管理社会がいよいよ到来する。
マスク着用の有無によって施設への立ち入りを制限することも普遍的に行われそうである。
彼らは、これを単なる健康上の理由だけではなく、思想信条においても区別できるように持って行く予定だろう。
つまり、一定の思想を持たないと公共設備や商業施設の利用ができない、という体制にしたいのだろう。
そして、究極的な目的は「キリスト教の禁止」である。
彼らは悪霊に取り憑かれているので、神の国を消したいのである。
あるクリスチャンたちは、これを見て「黙示録13章の時代が来た」と言うだろう。
「666の印がない者は売ることも買うこともできないようにした」という黙示録の反キリスト(獣)的な政策が、電子マネーやワクチンパスポートによって実現するのだと。
それは、完全な騙しである。
なぜならば、黙示録は19章まで、すでに紀元70年以前に起きているからである。
黙示録の記事は一回限りの現象であり、それを現代に適用できない。
現代に適用しようとしているのは、イルミナティ側である。
彼らは、黙示録を自ら成就しようとしている。なぜならば、そうすればクリスチャンに「ああ、聖書のとおりに事が起きているから、止めることはできない」と諦めさせることができるからだ。
われわれは、獣の支配及び大患難時代は、紀元70年以前にすでに終わっていると確認しなければならない。
サタンによる全世界支配の野望は、紀元70年の再臨において粉砕された。
カギは、AD70年前に黙示録19章までは成就しているとする点。そして今は千年期、しかし現状について、彼はこう説明している:
「では、なぜこのような黙示録的な出来事が現在起きているのか」と尋ねる人がいるかもしれない。
黙示録20章に、千年後にサタンは復活すると記されている。
復活したサタンは、1000年間準備をして今日に至り、その計画をはっきりと実行し始めたのであろう。
そして20章のゴグ・マゴグを扇動する最後の戦いの後に-
私は、その後、1996年頃にすでに始まっている至福千年期が本格化すると考える。
うーん、千年期が終わってからサタンが束縛を解かれて、ゴグ・マゴグを先導するのではなかったか? 「再臨(The Second Coming)」が二回あるとか(それは再々臨(The Third Coming)であろうと言っているが)、現在の携挙とは肉体の死であるとか、かなり苦しい主張になりつつあると感じるのは私だけであろうか?
そして黙示録がAD70年前に成立しているか、後に成立しているか。これが彼らにとっての命運を分ける論点であることはすでに何度も指摘しているところである。まあ、富井氏においては、ここまで人生を賭けてしまうと、「後の成立」は絶対に認めることはできないであろうが。

いつもの再建主義者富井氏の論。AD70年にイエスが(一度目の)再臨をし、千年期に入った。旧約聖書のすべての預言も成就した以上、イスラエルも日本において再興した。そして-
江上波夫東大名誉教授によると、日本には初代教会の人々が2世紀に入っている。
当時、初代教会の人々はイエスの孫弟子世代であり、彼らはイエスによる「イスラエルの再興」の約束を信じて日本にやってきた。
つまり、日本は、旧約の預言者が預言した「栄光のイスラエル」なのである。
裏神道の元締めである八咫烏は、十二使徒の末裔を自称してきた。
皇室の儀式は、キリスト教の知識がないと解けない。
これまで二千年間、奥義として八咫烏の間に秘められてきた真理が、ようやく解き明かされる時代になった。
アメリカと日本の政治状況を見ると、悪魔がなりふり構わず暴れている。
なぜか。
新しい時代において、自分に居場所がないと知っているから。
ミレニアムを購読されている方は理解されていると思うが、
黙示録において、神は「紀元70年の再臨において、世界は一新され、イエス・キリストが世界の王として君臨されている」と啓示された。
そして、それ以降、もはや「天から追い出された」サタンには地上支配権がない、と。
というわけだ。しかし―
わたしはこの宮と、わたしがイスラエルのすべての部族のうちから選んだエルサレムとに、わたしの名を永遠に置く。-2Ki 21:7
また主が「わが名は永遠にエルサレムにある」と言われた・・・2Ch 33:4
とある以上、今の日本が真のエルサレムであるとするしかないわけだ。いわゆるこれから千年期が訪れるとするわれわれはサタンの欺きにあり、永遠のいのちを失う運命にあるらしい。再建主義者のみがその欺きから守られるとのことだ。
聖書信仰に立つミレニアムの購読者は、様々な騙しから守られている。
至福千年期において、日本の真の姿が明らかにされ、イエス・キリストの国・日本を中心に世界が回るだろう。
ミレニアムは、その土台作りをしている。
いつもながら、同じ書物を読んでいてこれだけの相違が生じることもまことに不思議なことではある。

先に極私的にはトランプだが、バイデンの場合は・・・と書いた。これにはわけがある。バイデンが立つ場合、世界は中国のやりたい放題となり、欺瞞と混乱に陥ることは明らか。そして世界統一政府への動きが加速するであろうとメッセでも語ったが、ある姉妹が主の再臨を早めるにはその方がいいのではないかと言われた。極私的には「うーん、そんな視点もありだな」とジレンマを感じた次第。
さて、郵便投票の不正があるやなしやは我々には判断できないが、表向きはバイデンが勝つ様相である。すると上のシナリオが現実味を帯びてくるわけで、終末へのカウントダウンが早まるとも言えるのだが。ここで、いつの再建主義の富井氏が同様の見解を述べているのでCLIPしておこう。
明らかに不正選挙。 ミシガン州開票状況 投票率90.9%→93.8%
ト:2,200,902→ 2,200,902 トランプ:0票増
バ:1,992,356→2,130,695 バイデン:138,339票増
https://twitter.com/…
さっそく中国が尖閣を取りにきた。 中国、尖閣周辺の海上警備に武器使用へ
日本漁船を対象か~ネットの反応「日本の漁船がやられても遺憾で済ますんだろうなあ…」「バイデンが大統領になったら、一気に尖閣を取りに来るな」「バイデン勝利とみたか?」
https://anonymous-post.mobi/archives/4658
当のバイデンは、大統領としての執務をこなす能力がない。
応援にかけつけたオバマがバイデンを紹介しようと振り返ると、そこにバイデンはおらず、遠くに一人応援者を背にして、ぼーっとたたずんでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=Nd0jCqzW6GI
ディープステート側の計画は、おそらく早々にバイデンを退陣させ、副大統領のカマラ・ハリスを大統領に昇格させることと思われる。
オバマは、「バイデンはハリスへの中継ぎ」と述べた。『ザ・フェデラリスト』紙もそう述べたという。 「この計画はバイデン大統領ではなく、ハリス大統領を樹立するためのものである事はもはや疑うまでもない。」(ザ・フェデラリスト紙)
https://www.youtube.com/watch?v=hjRalHxjyzU
上ビデオによると、ハリスは、メディアによって穏健派と紹介と紹介されているが、実は極左であるという。
GovTrackは彼女を「2019年もっともリベラルな上院議員」と述べた。
ハリス曰く「米国の安全保障に対する最大脅威はドナルド・トランプだ」と。
米国の脅威であるイランに核武装を許すだろう。
「グリーンニューディール政策」を支持している。これは、環境保護政策に見せかけて、アメリカの経済や政府の機能・構造を変えてしまう政策である。
ハリスが大統領になれば、米国の経済は衰退し、中国が世界第一の覇権国として台頭するだろう。
これは、台湾と日本の滅亡を意味する。
アメリカは、中国の東アジア覇権を容認するからである。
トランプは、昨日「投票日以降の票をカウントするな」と言ったが、昨日から今日にかけて、案の定、大量の疑惑の票がバイデンに入り、バイデンのリードは守られた。
これは、革命である。左翼による革命。
そして、この背後にはディープステートがいる。
馬渕氏によると、ズビグニュー・ブレジンスキーは「オバマで、民主的な方法で世界政府ができなければ、暴力を使うしかない」という主旨のことを述べたという。 ”好むと好まざるとに関わらず、世界政府は誕生するだろう。問題は、それが強制によるのか、それとも同意によるのかの違いだけだ。”
―ジェームズ・ポール・ウォーバーグ(1950年2月7日アメリカ合衆国上院における発言)
いよいよディープステートは、暴力を使った世界政府樹立という最終手段に出たようだ。
この邪悪な計画が頓挫するように祈ろう! 罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。(1ヨハネ3・8)
いずれにしろ、わが国も中国の脅威にさらされることになるだろう。コロナ災が収まらない中で、世界のダイナミクスが一挙に変わる可能性がある。一部には中間選挙を意識して当面は変わらないとする立場もあるようだが、中国は渡りに船であろう。世界はDSにより、一挙に左寄りへと舵を切ることになる。PCなどもさらに喧伝され、建前が前面に出されて、モノが率直かつ自由に言えない世界となろう。オバマ時代においてその予兆を経験したが、真綿で首を絞められるような感覚を覚える時代を迎える。

米大統領選の投票が日本時間午後8時から開始された。極私的にはトランプと思っているが、バイデンだった場合は、馬淵大使が指摘する通り、世界レベルの戦争が起きる可能性がある。それは世界統一政府への第一歩、まずは混乱を起こし、それをショックドクトリンとして新しい秩序の構築を強調するためだ。
さて、前回、ダニエル書9章の聖なる都とその民に対する70週の預言を解説したが、再建主義やSDAの解釈は一応念頭に置きつつ、通常は69週までと70週目の間にギャップを置く。いわゆるエクレシアの時代、異邦人の時代、恵みの時代であり、ユダヤ人は脇に置かれているのだ。よってカウントダウンがストップしていると解釈される。
問題はカウントダウンの開始がいつか。すでにユダヤの秋の祭りとメトニックサイクル1)月歴は太陽暦より11日短いため、19年に7回閏月を入れて調整する。これをメトニックサイクルと呼ぶ。19年間のうち3,6,8,11,14,17,19年を13か月とする。 の関係から、2019年、2020年、2025年などが候補になり得ることを紹介している。


ダニエル書によれば、あの者は聖なる民と7年間の条約を結び、イスラエルはユダヤ教の儀式を行うことになる。3.5年で荒らす憎むべき者が聖なる場所に立ち、自らを神として礼拝を要求し、儀式を破棄させるのだ。今年、イスラエルとUAEとバーレン、さらにスーダンが続いて国交を結び、イスラエルを国家として認知した。これがその契約?
問題は、まだ神殿が建っていないこと。従来は現在の黄金のドームの場所が神殿の場所とされていたが、最近ではもっと南のダビデの町であるとする説が有力となっている。理由は、イエスの予言では石積みは完全に崩壊すること、神殿には泉があるべきこと。ダビデの町はこの条件を満たす。
すると、第三神殿の建設のためにあのドームを破壊する必要はないことになる。現在の技術ならば1,2年で再建できるであろう。なんとワクワクする時代ではないだろうか?

- 引用聖句:Rev 13:1- etc.
- 2020年10月25日(日)のセレブ
・場所:ハロー会議室石川町元町
・時間:13:00-15:30(8月より時短とします) - プレイヤーMTG:
ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み) - セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

いつもの再建主義の富井氏の論。マタイ24章の「この時代(genea)」を30-40年の時間のスパンとして、AD70年の弟子たちの時代に携挙・再臨があるとし、旧約時代が終焉して千年期に入り、全世界が福音化された後、二度目の再臨があるとする。これについては何度もその無意味さを指摘しているが、彼はこれを「二重再臨説」と呼んでいる。
ここで、フーケマが、紀元70年の再臨を軽視しているのが分かる。
初臨(降誕から復活・昇天まで)の重要性を説き、「それゆえ、歴史上最も重要な日は、今なお未来に起きるキリストの再臨ではなく、過去に起きた最初の来臨である」と述べている。
紀元70年の再臨についての言及がない。
これが、従来のカルヴァン派の伝統―歴史主義(historicism)―である。
神殿崩壊に象徴される「旧約時代の終焉」という大イベントが脳裏から消えている。
カルヴァン派は、他の教派同様、聖書において「キリストの再臨は弟子たちが生きている間に起きる」と繰り返し述べている箇所を無視してきた。
カギは”genea”の解釈である。そもそもこの単語は”genos”を語源として、種族とか民族とも訳される。というより、それが原義に近いのだ。つまり現在の「古いアダム系の種族の時代」という意味である。それは必ずしも時間的な期間を意味しない。質の問題である。
かくして、通常、マタイ24章の預言は、AD70年のエルサレム陥落のことであると同時に、来るべき終末の状況が二重写しに予言されていると解する。
二重写しの予言を排除すると、AD70年に限局された予言となり、従って携挙・再臨もAD70年の事件とせざるを得ない。これは千年期の前の再臨であり、実質的にはプレ・ミレとなるのだが。そして、さらに千年期後に再臨があるとすることになるわけだが、それでは再再臨だと指摘している。セコンドの次はサードだ。
かくして極私的には「二重写しの予言」とする方が自然であり、論理的にも無理がない。清めには二度の再臨が必要であるする再建主義に対して、AD70年のエルサレム陥落は、これから起きるであろう世界の終末の警鐘的予告編であると考える方が理にかなっているであろう。

最近の富井氏の一連の記事は、彼の終末論を提示している。ちょっと分かりにくいが、AD70年に携挙も再臨もあったとし、現在は千年期、そして全世界が福音化されて後、二度目の再臨があるとする点は一貫している。また現在のわれわれの携挙とは肉体の死のことであり、死後ただちに霊の体を得ると言う。
歴史が終わるときに、再臨がもう一度あります。一度目の再臨が「旧約世界」を裁くためであったのに対して、もう一度の再臨は「新約世界」を裁くためです。
すでに述べたように、歴史の終焉の際に再臨はもう一度あります。なぜならば、旧約の聖めの儀式は2度行わなければならなかったからです。この世界が完全に聖められるには、二度の聖めが必要です。
私は、イエスが「わたしは三日目によみがえる」と言われた「三日目」は、3日半を意味すると思います。
「ひと時とふた時と半時」で3.5を意味します。これは、完全数7の半分で「まだこれで終了ではない」との意味が込められています。
ということは、イエスの復活は「中間的復活」であり、紀元70年の再臨も「中間的再臨」であり、それは歴史の半ばに起きたということを暗示しているのではないでしょうか。
ここの「中間的復活」と「中間的再臨」とは初見であるが、はたして何を意味するのであろうか? そもそも「再臨が二度ある」とはナンセンスであると指摘しているが。再臨はThe Second Coming、次の来臨は再々臨すなわちThe Third Comingである。「再臨」を、たとえば、「義認」とか「再生」と同様のターミノロジーとしてしまっているのだ。

- Podcast Blogの方は更新を中止します(内容がダブルため)
- 引用聖句:Dan 9:24-27;Col 1:26-27;1Tim 6:3;Titus 1:14;Heb 5:14 etc.
- 2020年9月27日(日)のセレブ
・場所:ハロー会議室石川町元町
・時間:13:00-15:30(8月より時短とします) - プレイヤーMTG:
ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み) - セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

前から指摘しているとおり、「再臨」はThe Scond Coming、定冠詞がつくのだ。再臨の次は再々臨、The Third Comingである。と、二度の「再臨」がナンセンスであると言っているが、今度は「狭義の再臨」と「広義の再臨」と言い出した模様。「広義の再臨」は霊的なものであると・・・。今回の記事からは「再臨」がAD70のものを含めて何度もあるような印象である。
また七つの教会が当時の断面的教会であると主張している。私は今回のメッセでも少し触れたが、二千年にわたる時系列的教会のあり方を啓示している解している。
現代の教会が再臨として提示しているものは、完全な聖書の誤読であり、間違った神学に基づくものです。
それは、「広義の再臨」とも呼べません。
狭義の再臨は一度限り、紀元70年に起きたのです。
・・・
それゆえ、それを文脈を離れてわれわれの時代もしくは未来の時代に適用することはできません。
繰り返しますが、マタイ24章で「再臨の前兆はこの時代に起きる」とイエスは明言されています。
それゆえ、再臨もこの時代、すなわち、紀元1世紀に起きたはずです。
黙示録も、紀元1世紀の小アジアの7つの教会に向けて記された手紙であり、これらの教会のクリスチャンたちにヨハネは「すぐに起きるべきこと」と言っているので、それは紀元1世紀に起きると解釈しなければなりません。
では「広義の再臨」とはどのようなものでしょうか。
それは、「紀元1世紀におきた状況と類似した状況のもとで起きる世界の堕落とそれに対する裁き」です。
・・・
当時と同じサタンが当時と同じ悪霊を使って行うのですから、似てくるのは当然です。
偽メシアに、偽預言者、偽神の国、民の背教、戦争、洪水、飢饉・・・
紀元1世紀に起きたことが繰り返される。
宗教改革直前にも起きたことです。
このような堕落の中で「主は再臨される」。
しかし、それは、紀元1世紀の時のような「物理的再臨」ではなく「霊的な再臨」すなわち、御霊を通じたキリストによる裁きです。
このような「広義の再臨」は、神の国の拡大に伴って、世界中でどの時代においても起きます。
御国の拡大は、麦と毒麦の成長と刈り取りもしくは焼却という過程の繰り返しだからです。
世界の終末(歴史の終焉)におきる再臨は「新約世界を裁くための来臨」です。
再臨は2度必要であり、一つは旧約世界を、もう一つは新約世界を裁くために起きます。
これは旧約律法における清めの原則が「2度の聖めで完了する」であることから来ています。
世界は紀元70年に、イエス・キリストによって父なる神に献上されました。
しかし、これでは「完全に聖められた状態で献上されたことにはなりません。」
なぜならば、キリストのニュー・ワールド・オーダーはあくまでも「法的なもの」でしかないからです。
新約時代における大宣教命令の漸進的成就により、徐々に世界の民族が弟子化されていくことなしに「完全な聖め」はあり得ません。
宣教が進み、世界の諸民族が弟子化されていき、ついに完成するときに「第二の再臨」があり、イエス・キリストは、「実際的」にも聖められた世界を父なる神に献上されます。
http://www.millnm.net/cgi-bin/wwwboard.cgi

中東の反イスラエル国がイスラエルを認知する方向に一挙に進む可能性が高い。これまでどんなに努力してもできなかったことが、いとも簡単に成就した感があり、ちょっと拍子抜けでもある。
ダニエル書の聖なる都に対する70週の予言については、再建主義者などは、エゼキエル書なども含めて、すでに成就しているとする。SDAでは69週と1週のギャップを認めない。われわれは69週-エクレシアの時代/恵みの時代-最後の1週とのフレームで理解し、この七年間の有様が啓示録(黙示録)に詳説されていると解釈している。
そして、こちらのメッセでも語ったが、2020年はメトニックサイクルから計算して、ユダヤの祭りのスケジュールと照合するとき、最後の7年の開始年の候補のひとつでもあるのだ。
YHWHエロヒムの業が進むときは実にスムーズ。人がどんなに努力してもならなかったことが、あれっ!?という間に成し遂げられる。最後の7年の開始か否かは現在はまだ評価できないが、ストップウォッチの目盛りが確実にひとつ進んだことは間違いない。
ちなみに再建主義の富井氏は次のように述べている-
「黙示録の状況が現れ始めた。再臨が近い!」と「クリスチャン」がつぶやき始めている。
彼らに尋ねて欲しい。
「なぜ悪を止めようとしないのですか」と。
「これは聖書に予言された状態なので、止めても無駄です」との答えが返ってくるだろう。
ここですでに「地を従えよ」や「地の塩・世の光となれ」と矛盾している。
また「神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです」(1ヨハネ3・8)を否定している。
これだけ多くの聖句と矛盾する教えを信じている以上、彼らをクリスチャンとして認めることはできない。
彼らは偽クリスチャンであり、こういった教えを教える教会は「偽教会」である。
彼らを支援する献金は、献金ではなく「偽献金」である。
というより、悪魔のしわざを放置するので「悪魔の支援者」である。・・・・
これらは、今のクリスチャンからすると「世界の終末の出来事」である。
しかし、イエスはこの次の節ではっきりと まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
と言われた。
「この時代」とは「イエスの時代」である。
イエスの時代が過ぎ去らないうちに再臨の前兆は起きる。
再臨の前兆がイエスの時代のうちに起きるなら再臨もイエスの時代に起きる。
当然である。
イエスご自身が3つの福音書において明言しておられるのだ。
それに逆らう教えが「悪魔的」でないとどうして言えるだろうか。
「世界の終末が近い」的な教えを唱えている教会は、ことごとく「偽預言者」であり、そこに献金する人も偽預言者である。
自分で正しいことをしているつもりでも、実際は地獄につながる道を走っている。
聖書を誤解し、間違った教えを伝えることは、軽い罪ではない。
これによれば、ヒューチャリスト(未来派)の黙示録理解に立つ者は悪魔的だとなるようではある。

いつもの再建主義の富井氏によると、黙示録の冒頭の「すぐにでも起きること」(Rev 1:1)について、このように解しているようだ―
「すぐに起こる」というところから私が言おうとしたのは、「黙示録のすべての記事が紀元70年に起こる」ということではありません。いくらなんでも「千年王国」まで1年のうちに起こるなんて言うつもりはさらさらありません。
そもそも彼らの言う千年期とは-
千年王国は、キリストが「天地の一切の権威を受け」(マタイ28・19-21)てから、始まりました。黙示録20章の千年王国はキリスト以後の歴史をあらわしています。
つまり、AD70年までには黙示録の19章までが成就し、現在は20章に入っているわけだ。その20章4-5節にはこうある-
また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
現在、その生き返った人々はどこにいるのであろうか?
また富井氏はこうも言う-
直接の読者は、紀元1世紀の小アジアの7つの教会のクリスチャンたちである。
ヨハネは彼らに「警告」を与えた。
2000年後の人々にではない。
紀元1世紀の人々に警告した。
もし紀元1世紀にその警告が適用される事件が起こらなかったら、ヨハネ黙示録は「偽預言」であり、ヨハネは「偽預言者」である。
それゆえ、黙示録の大患難は紀元1世紀に過ぎ去ったのである。
つまり、この七つの教会を当時の断面的教会とのみ見ているわけだ。私はこれを十字架以降の二千年にわたる時系列の中で展開する教会の有様の病理と診断と処方であると見ている。
現経綸がすでAD70年にイエスが一度目の「再臨」をしており、千年期に入り、その後二度目の「再臨」があるのか、それともエクレシアの時代を経て、再臨があって千年期に入るのか。そもそも再臨とはThe Second Comingであり、定冠詞があるのだ! 言語の専門家である富井氏に対しては釈迦に説法であろうが。
結局、彼らのシェーマは教会時代を削除して、千年期を前倒ししている。このことによる二回の「再臨」といったつじつまを合わせることになるわけだ。
そもそも黙示録の成立時期はいつか。AD70年前ならばポスト・ミレの勝ち、定説どおりAD90年代であればプレ・ミレの勝ち。そして、彼らが言う通り、AD65年辺りとしても、たかだか5年程度で黙示録の19章までが成就することになる。その5年間においてそのような証言は教父たちの間に見られていないことはすでに指摘したとおりである。
いくらなんでも5年間で黙示録19章まで成就したとは・・・・・。
追記:再建主義の中でもフルプレテリストとパーシャルプレテリストに分かれている。前者は黙示録の新天新地まで成就しているとする立場、後者は千年期までとする立場。富井氏は前者については次のように異端宣告をしている。
1.
フルプレテリズムは、大宣教命令はすでに紀元70年以前に成就し、現代に住むわれわれにとって意味はないと考えるので、ある意味においてディスペンセーション主義と似ている。
なぜならば、時代区分によって聖書を無効化するからである。
大宣教命令が成就し、やることがなくなったクリスチャンにとって重要なのは、天国に行くことだけだと結論せざるを得なくなる。
「今は律法の時代ではないから、クリスチャンを縛る倫理規定はない」と唱えるジョン・ダービーと類似している。
2.
フルプレテリズムは、「黙示録のすべては成就した。それゆえ、サタンが滅ぼされて刑罰の中に入り、活動できなくなる永遠の世界は到来しない」と唱える。
サタンが永遠に暴れ回わり、神とサタンの戦いが永遠に続くと。
これは、実質「虚無主義」である。
善の最終勝利を唱えないので、アナキズムでもある。
地上における悪との戦いを否定し、その完全終了を目標にしないので、悪を放置し、地上における「地の塩」の役割を拒絶することになる。
御国の拡大も否定するので、次のイエスの命令を無視する。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6・33)
イエスが「神の国を・・・第一に求めなさい」というのに、「その必要はない。大宣教命令が紀元70年に成就した以上、それ以降、いくら求めても、諸民族の弟子化と、御国は実現しないのだから努力は無駄だ。クリスチャンに与えられた使命は、一人でも多くの人に天国行きの切符を手渡すことだけだ」と言う。
この点でもディスペンセーション主義に似ている。
どう転んでも、フルプレテリズムは異端以外の何物でもないし、フルプレテリストは呪われるべきである。

本書、一挙に読了。夏に読むべき本だ。クールビズを唱えただけあって、実に冷える。一言でこの女の正体を言えば、虚構、フェイクである。彼女の脳内マトリックスに絡めとられてオジサン政治屋たちが次々に落される。松本清張の『黒革の手帳』並みの面白さ。

彼女の得意技はマウンティング。猫なで声の甘言をもって相手を篭絡するか、巧みな言葉の綾をもって常に上流を執る。相手は訳の分からないまま翻弄される。これが築地移転問題であり、オリンピック問題であった。それらはもちろん彼女の前に決定していたが、それらを自身のイメージコントロールに利用した。その手法は実に巧みだ。まさに緑のタヌキ。
マウンティングはまた緊縮財政論者の得意技でもある。ツケを子供たちに残すのか~と、水戸黄門の印籠を振りかざす。ニッポンキ業界ならば、愛がない~、かみっさまのために~、とか・・・。これを言われると二の句が付けなくなる台詞。よって先に言った者勝ちだ。
こうして客観的なデータ(エビデンス)とロジックではなく、藤井先生の指摘するレトリックを操れる者が場を支配する。こうして平成時代、その名の通り、平らに成ったのだ。その中心的価値観がグローバリズム。これを唱えると反論が封じられた。これが究極の善とされた結果、この国は売られている。
グローバリズムは主の主権を犯す。経済も含めてあらゆることにおいて。かくしてこの国は泥船状態なのだが、国民様は手越君やアンジャッシュとかを追っかけるわけで・・・。
神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。-使徒17:25-26
コロナはグローバリズムの根本的問題を露にした。世の人はこの聖書の意味で理解することはないが、グローバリズムはリスクがあることは知った。三橋氏によれば、緊縮財政、規制緩和、自由貿易をグローバリズムのトリニティとする。まさにこれが国境を壊し、民族性を否定し、時代の区分(歴史)を失わしめるのだ。それはアイデンティティーの崩壊を意味する。日本人って何?
キャッチーなワンフレーズ・コピーを巧みに使う名人が小池百合子。その内実は空虚。自分の空虚さに対峙することを避けるために、絶えず外界に働きかけて動かすことにより、自己存在を確認しているのであろう。その外界は振り回されるだけ振り回されて消耗する。事実、都庁職員も出馬を求めない者が8割だ。

今のニッポンも、ひいてはニッポンキ業界もこのような状況であろう。
私はかつて20年前に外的自己と内的自己に分裂した国家ニッポンは分裂病のような右左に揺れる陽性症状を呈しつつ、いずれ消耗して陰性症状を呈して、無感動・無気力な状態に陥ると予言した。
まさに今、出生数も86万(2019年)と脅威の数値を示し、経済成長率も世界のビリ。このまま「ツケを子孫に残すのは無責任」とかのマウンティング・フレーズに押されて緊縮財政を続ければ、いずれドイツや、韓国に抜かれる。
安倍氏も小池氏もまさに空虚な時代の兆児、象徴である。
そしてそもそもの問題は、主権者である国民が空虚なのだ。
日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであらう。
有名な三島由紀夫の予言だが、これとても外れている。すでに貧困化し、経済小国化した。それはこの列島の上にある「何か」。クラゲのように世界の中で漂うだけの「何か」。その「何か」が手から砂がこぼれるごとくに消失していく現在・・・。
果たして古事記や日本書紀にその「何か」を担保し得るのか? あるいは日ユ同祖論で? 令和の時代は終末的兆候があらゆる領域で煮詰まりつつあるが、果たしてどんな時代区分となるのだろう。

・・・と、何となく死と復活のイメージがあるのだが、アニオタの皆さんの解説をヨロシク。

この武田先生の説はもっともであると同意する。今回のコロナはある種の社会実験であったと思う。いかに大衆はマニュピレートされ易いかがよく分かった。カギは恐れを撒くこと。人は大脳辺縁系を刺激されて恐れを抱くと理性が吹っ飛ぶのだ。だから冷静にかつ客観的にデータに基づくエビデンスとロジックによる判断ができなくなる。要するに恐れでマヒするのだ。
このビデオで指摘されている流れは多分不可避であろう。これは聖書預言から見ても終末の兆候そのものだからだ。これを見てわれわれは次の御言葉を思う:
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。-ルカ21:28
「このようなこと」とは、①贋キリストの出現(Luke 21:8)、②戦争・暴動・民族や国家間紛争(Luke 21:9-10)、③大地震・飢饉・疫病(Luke 21:11)、④天の恐るべき徴(Luke 21:11)、⑤迫害(Luke 21:12)、⑥エルサレムの蹂躙(Luke 21:20)、そして⑦イチジク(イスラエル)の回復(Luke 21:30)などである。
われわれは現在、「このようなこと」をリアルタイムで見ていることは誰も否定できないであろう。しかしながら再建主義の富井氏によれば「これらのこと」はAD70年にすでに起きていることなのだ。ゆえに上の武田氏の予言する世界の在り方は千年期にふさわしくない、「あってはならないこと」なのだ。つまり、メーソンやイルミナティによるヤラセとなる。そこで、彼はこう主張する―
今回の自粛によって政府による管理に慣らされた人々は、さらなる管理に導かれ、体内に入ったチップのデジタルデータに基づいて商業活動が規制される黙示録13章の世界が現出するかもしれない。
何度も述べているように、黙示録は19章まで紀元70年頃に終わっている。
ナザレのイエスをメシアと信じるわれわれは、この考えに同意しなければならない。
ナザレのイエスをメシアと信じないユダヤ教徒、とくに、その頂点に君臨するシャバド・ルバビッチ派は、黙示録を利用して、偽メシアによる世界統一を目論んでいる。
今、われわれが祈らなければ、世界は邪悪な人々によって支配されてしまう。行く末には、大量虐殺が待っている。
福音派のクリスチャンたちは、ディスペンセーション主義によって騙され「黙示録に預言されたとおり反キリストが登場するが、その前にわれわれは携挙される」と信じている。
そのため、彼らは世界政府に反対して祈らない。世界政府が今できないと、携挙も遅れるからである。
自分たちが救われるためには、世界が悪者に支配されなければならない。
彼らは、このような邪悪な考えによって頭を占領されている。
われわれしか祈る人々はいないのである。
マーカーを引いた部分はほとんど中傷であると言えるが、これが彼の脳内マトリックスなのだ。AD70年に一度目の再臨も最初の合同の携挙も終わっており、現在は千年期。サタンは深い穴に閉じ込められているはずであり、したがって千年期に反する事象はあってはならないことなのだ。それらはすべて陰謀である言わざるを得ない。
かくしてメーソンやイルミナティによる終末世界の演出をすべて祈りにより駆逐する必要があるとする。ただ面白いのは、邪悪な人々による支配の先にあるのは大虐殺であると。これは聖書のどこに根拠を置くのであろうか?
もし啓示録9章15,18節(Rev 9:15;18)の人類が三分の一殺されることを示すのであれば、それはまだ成就していないことになる。彼においてはソレはすでにAD70年に起きていることではなかったか?
つまり彼の頭の中のマトリックスは、AD70年にすでに起きてしまっている諸事象を、メーソンやイルミナティが再度終末の事象として再現させると言うことになるのだ。そこではてなマークだ。
再建主義は厳格なカルバン神学、つまり二重予定説を採る。すべてはすでに神のシナリオが書かれており、いかに人が努力しようともそれを覆すことはできないはずなのだ。究極の確定論である。しかるにモグラ叩きのように陰謀を潰していかなくてはならない。果たしてどこまでやり続けるのであろうか。それはフェイクなのに、だ。
かくしてこのタイトル画像にあるような逆さ富士を思う次第。同じ事象を見ても、まったくひっくり返った判断となるのだ。ちなみにこの千円札の逆さ富士は、厳密には上下対称ではない。微妙にズレがある。再建主義に関してもこのズレが違和感として感じられてしまうのは果たして私だけであろうか?

これも面白いのでクリップしておこう。
4.
携挙がない、という人々がいるが、もし携挙がなければ、紀元70年に復活した旧約のクリスチャンはいったいどこに行ったのだろうか。
パウロははっきりと「まず死者が復活する」と述べている。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。(1コリント15・50-53)主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・16-17)旧約時代のクリスチャンたちは、紀元70年頃の再臨と携挙によって、復活し、パラダイスに上ったのである。
もし彼らがそのときに復活していなければ、まだ「シェオル(黄泉の「慰めの場所」)」にいることになる。
テサロニケのクリスチャンに対してパウロは「私たちは、いつまでも主とともにいることになる」と約束しているのだから、パウロもテサロニケのクリスチャンたちも、今主イエスと同じ場所(つまり、パラダイス)にいるはずである。
となると「旧約のクリスチャンは復活せずにシェオルにいて、パウロとテサロニケのクリスチャンは復活してパラダイスにいる」ということになる。
これは「クリスチャンの一体性」から考えてありえない。
文字通り解釈すべきである。
「キリストにある死者が、まず初めによみがえ」らなければならない。
つまり、旧約のクリスチャンが最初である。
そして、パウロの時代のクリスチャンが続く。
旧約のクリスチャンは復活してパラダイスに昇り、イエスとともにやってきて、パウロの時代に地上にいたクリスチャンを迎えたのである。
では、今のクリスチャンは携挙されないのか。
される。
どういう形で?
この血肉の体から離れるときに。
紀元70年以後、クリスチャンは個人的死に続いて携挙され、パラダイスに上る。
ディスペンセーション主義のプレ・ミレのように「大患難時代が始まる前に世界中のクリスチャンが一斉に携挙される」などということはない。
もしこのテサロニケの手紙がいわゆる「終末時代」のクリスチャンにのみ適用されるならなぜパウロはテサロニケのクリスチャンにこの教理を示し、「慰め」を送ったのか、という疑問が残る。
これで明らかなとおり、今生きているわれわれが経験する携挙とは、「肉体の死」のことである。これは以前に疑問を呈した際に彼がそう答えた経緯がある。
というわけで、再建主義者富井氏においては、空中へ引き上げられて主とお会いする形での携挙は、現在のわれわれにおいてはないということになるのだ。
さて、携挙のギリシャ語は”harpazō”、その意味は-
to seize (in various applications): – catch (away, up), pluck, pull, take (by force). -Strong
しかもVincentはこの取り去る力を
By a swift, resistless, divine energy.
とする。富井氏においては再臨(Second Coming)も二回あり(それはThird Comingでしょう)、携挙も二回あるわけで、しかも二度目の携挙とは個々のクリスチャンの肉体の死のことであるとする。どうみてもこれはharpazōではあるまい。事実、パウロが第三の天に引き上げられた経験も同じ単語なのだ。彼は旧約の聖徒でもないし、死んでいない。
このような論をせざるを得ないのは”genea”を30-40年と時間のスパンとしてしまうためであることはすでに指摘している。聖書は生命現象の書として読む必要があるのだが。とんでもなくラビリンスに入り込んでいる感は否めない。まさに素直に御言葉を読む必要があるのはどちらであろうか?

続きが出ているのでCLIPしておく。
「日本人がクリスチャンになることを願っている」というと、「私の周りを見ると、難しいと思います」という人が多いですが、全能の神様は、私たちの想像を遙かに超えることを行ってくださるでしょう。
とくに、これまでキリスト教がはるか西洋の宗教としてしかとらえることができなかった時代において、クリスチャンになることは、日本人としてのアイデンティティを捨てることを意味すると考えられてきましたが、東方キリスト教の影響、もしかすると、日本という国そのものが聖書の成就に関して、中心的な存在であるかもしれないということがわかれば、日本人の意識も大きく変わるでしょう。
今私たちは、日本だけではなく、世界の歴史の大きな転換点を迎え、もっとも重要な局面を目撃しているかもしれません。
いや、私たちそのものが、神の御心の成就において極めて重要な役割を負っていると考えることができるのではないかと思います。
なぜならば「イスラエルの完成・再興は聖書の主要なテーマだから」です。
ディスペンセーション主義の考え方では、これからパレスチナの土地に再興されるイスラエル国こそが「イスラエルの完成」です。
しかし、このイスラエル国の建国を主導しているのは、ルシファー崇拝者であるロスチャイルドです。
彼らは、イエズス会にディスペンセーション主義を作らせて、クリスチャンを騙して「これから登場するメシアこそ、クリスチャンが待ち望んでいる再臨のキリストである」と信じ込ませてきました。
しかし、彼らはけっしてイエスをメシアと信じていません。
彼らがメシアとして期待しているのは「タルムードのメシア」です。
タルムードは、反キリストです。
もしこのようなメシアが来臨すれば、クリスチャンに対する迫害が起きます。
なぜならば、タルムードにおいて、イエスは邪魔者だからです。
今の福音派のクリスチャンが信じている「まもなく再臨があり、メシアが地上に来られ、御国を作られる」は、ディスペンセーション主義―つまりタルムード信者が作り上げた偽の教え―です。
私たちは、この欺瞞を見抜いて人々に警告を発する必要があります。
その際に、人々は、このように尋ねるでしょう。
「再臨も世の終わりも来ないとすれば、では、イスラエルの再興の約束はどうなったのか」と。
私たちは、このように答えます。
「初代教会の人々は、日本に渡り、そこで国を作った」と。
聖書には「民族としてのイスラエル全部が裁かれて、消滅し、教会に変わる」などとどこにも書かれていません。
「民族としてイスラエルのうち、イエスを救い主として信じた人々は救われ、信じない人々は滅びる」とは書いてあります。
「じゃあ、救われた人々はどこに行ったのか」という疑問が生じます。
「民と土地を失った国は、もはや国ではない」ので、救われたイスラエル民族は地球上のどこかに国を作っていなければなりません。
私はそれが日本ではないか、と考えるのです。
もしこれが事実であれば、大変なことです。
聖書の中心的なテーマは日本を中心に成立するということになるからです。
私は、このことが日本人及び世界の人々に明らかにされる時期が近づいているように思えます。
ポイントは現イスラエルはルシファー崇拝者ロスチャイルドによるものであって、Yahawehエロヒムの業ではない。いわゆるディスペンセイション主義は騙されていると。
それにしても「聖書の中心的なテーマは日本を中心に成立するということになるからです。」とはスゴイ主張である。Yahawehエロヒムにとってあの地こそが選びの地であり、それは永遠に変わることはない。
シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。あなたの目はエルサレムを見る。それは安らかな住まい/移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく/一本の綱も断たれることはない。-イザヤ33:20
Yahawehエロヒムは再建主義者の神学に基づいてそのみ旨を変えたとでも言うのであろうか? それとも「エルサレム」と称しても、実際はこの島国日本を指しているとでも言うのであろうか?

聖書の中心的なテーマは「メシアによるイスラエルの完成」。
弟子たちはイエス・キリストを、旧約聖書において預言されていたメシアと信じ、「いつイスラエルを完成してくださるのか」と期待していた。
そして、イエスもそれを否定されなかった。 「そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。』
イエスは言われた。
『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。・・・」(使徒の働き1・6-9)新約時代において、異邦人を含む「教会(エクレシア)」は、もちろん、イスラエルである(ガラテヤ6・16)。
しかし、民族としてのユダヤ人にとってイスラエルとは「民族と土地」を持つ国でもあったはず。
もし紀元70年の神殿崩壊後、クリスチャンのユダヤ人が、ノンクリスチャンのユダヤ人と同じように異邦人の間に散ったのであれば、それは「同じように滅びた」ということになってしまう。
ユダヤ「民族」は救われなければならなかった!!
クリスチャン・ユダヤ人たちは、日本にやってきた。
大和王朝は「完成したイスラエル王国」である。
弟子たちが期待した「イスラエルの再興」は日本において成就した。
ここで新しい発見があった:民族としてのユダヤ人は「民族と土地」を持っていたのだから、AD70年以降もディアスポラされたとすれば、「同じように滅びた」ことになる。これはおかしい。よって彼らは日本にやってきて、日本は「完成されたイスラエル王国」となった。
不思議だ。ディアスポラがなぜ滅びなのだろうか?Yahawehエロヒムは彼らを全地に散らす、そして再び集めると語っているのだから。
富井氏の論は結局のところ、千年期の前倒しであるわけだ。つまり恵みの時代、異邦人の時代、エクレシアの時代をすっ飛ばしているわけ。だからユダヤ人も土地をもって救われているはずだとなる。われわれは、今の経綸の次の時代において千年期が来るとしているわけ。
何度も言うが、同じ書物を読んでこれだけ理解が相違することは実に面白い現象である。マトリックスの相違。そして一度あるマトリックスにハマると時間を経るほどにそこから抜け出ることが困難になるのだ。これは牧師教職制度なども同じこと。ジーザスが憎みかつ戦うとまで言われるのだが・・・。

「これらの事が起きてきたら頭を上げよ。あなたがたの救いの完成の日が近いからだ。」-ジーザス
ちなみに再建主義にハマるとなぜ必死でディスペンセイションをディスるのだろう。とにかく頭ごなしに否定したがる傾向が強い。ぼくは再建主義者の主張を冷静に理解する努力をしているのだが。そもそも啓示録がAD70年前に成立していないと彼らのすべてが崩壊するのだが(教父たちの証言☞https://bit.ly/3eQXLe4)。
再建主義者によると一度目の「再臨」と二度目の「再臨」があると?!野球でもセコンドベースの次はサードベースでしょうに。あるドグマにハマると論理破綻しても進むしかなくなるの典型。メタノイアしない限りはね。ザイセイハタンと叫ぶ今のニッポンもだが。