認識論
シニフィアンとシニフェ-量子論・時間論の本質
量子情報理論のHotta先生のツイに僭越ながら一言。量子論では量子の本質を把握することができない。かといってその存在がないとは言えないと先生は言われるわけです。理論は現象(シニフェ)のモデルの構築(シニフィアン)であり、言語化できないことが即不存在だとは言えないわけです。 逆に存在していてもサイエン…
われわれは制御された幻想を見ているだけだ-色即是空-
これ、なかなか面白い。ハードコア・サイエンスのトピックだが、すでに仏教では「色即是空」、道元も「前後ありと言えども、前後裁断す」と言っているとおりである。 認識論を極めると、意識とは何か、意識はリアリティーの正確な反映か、と問われるが、実はそうではないことが分かる。人類は、この概念のマトリックスに幽…
仏教や神道といかにお付き合いするか
この写真を見て、またぞろ、ニッポンキ業界聖霊派の人たちが、主のわざがなされた、これから大リバイバルの波がクル~とかオメデタくもヒステリックな歓声を上げているようだ。ああ、なんとも幼稚園児的。この延長線上に例の油まき事件があるわけ。 仏教はそもそも礼拝対象はないし、釈迦も自分は人間であって、礼拝される…
意識の扱い方―キリスト者と禅者の類似性と相違性
昨今、ニッポンキ業界でも仏教は聖書の影響があるとか、空海はクリスチャンだったとか言われている。確かに似ている部分もあるが、そもそも仏教は礼拝対象もないし、ブッダ自身が自分を礼拝するなと厳命しているし、葬儀などに関わってはならないとしている。仏教は元々、徹底した認識論なのだ。 たとえば、「色即是空」な…
仏教は認識論-道元の「有時」と華厳経,そしてI AMへ
現在、私たちが見ている仏教は本来のそれではない。先祖を拝み、仏を礼拝し、線香とお経を・・・といったことは単なる葬式仏教。本来の仏教には礼拝対象もないし、ブッダを拝むこともないし、葬式や先祖礼拝なども禁じられている。まあ、現在見ているキリスト教も単なる宗教に堕しているわけだが・・・。 さて面白いサイト…