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サタンの目論見と手法

この世の"神"であるサタンには目論見(noema;2コリント2:11)と手法(methodeia;エペソ4:14)がある。新改訳では共に「策略」と訳しているが、明確に異なる。つまり前者は意図・動機、後者はそれを実施する方法だ。2000年代に入り、私は常々、「現代は壮大なフェイクを見せられている」と言い続けている。"911テロ"はじめ、昨年の金融破たんなど、目に見える事柄はフェイクである。

そしてここへきてアメリカにオバマが出現し、ニッポンには鳩山が出現した。共にやや霊的な"何か"を醸している。彼らに欺かれてはならない。サタンの究極の目論見は、御子のアイデンティティと御業を否定すること。すなわち十字架における血の贖いを否定すること。一方、人類は自分が神無しでもやれることを証明したいのだ。ここで両者の間で霊的共鳴が起きる。大衆はブッシュやアメリカを見て、キリスト教(特に福音原理主義)に疑問を抱いた。クリスチャンですらも欺かれている。サタンは見事に、その目論見を、その手法を通して達成している。しかし、ここでもキリスト教とキリストご自身の区別、さらにはキリスト教会とエクレシアの切り分けができる人は守られる。

私は、ニッポンキリスト教は、エキセントリックに告発する者たちと告発される者たちの間で、御言葉にあるとおり、叩き合いにより共に自滅の道を歩むものと予想している。業界の悪を暴いても無意味なのだ。敵意と憎悪を拡散・増幅するのみ。今後、共にその本性を露骨に現すことであろう。否、すでにそうなっている。しかしこれはある意味大いに歓迎すべきことなのだ。キリスト教は廃れよ、しかしキリストは栄える。究極的に主の十字架を見定め、自分の十字架を負うこと、そこから逸脱しない者は幸いである。今の世と教界の霊的状態に違和感を覚える人々は幸いだ。今後のアイオーンの動きをよくよく見定める必要があろう。

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