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JAZZ LIVEの魅力

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六本木サテンドール。最近しばしば出没している(ひとりでとか、誰と、とか野暮なことは聞かないこと^^)。ヴォーカルもいいが、セッションも全身が反応する。このリズムと不協和音ギリギリのコード展開に身を任せるとき、なんとも言えず心地よい。LIVEの迫力。雰囲気もなかなかDr.Luke好みだ。

昨日の『沈まぬ太陽』でも、ラストシーンでアフリカの広大な自然の光景が感動的だったが、そのナレーションで恩地が告白する、「この自然の躍動感に触れるとき、自分はなんと言う小さなことで傷つき、自分の不条理を嘆き、人を呪っていただろうか」と。アフリカの大自然は彼が自己から解かれる契機を与えた。ある意味、ヨブ記のモチーフと同じだ。

自然も、JAZZも、温泉も、ドライブも、ジョッギングも、そして祈り、賛美も、すべては脱自己へともたらしてくれるのだ。私たちが最終的にエクソダスすべきは自己(SELF)。私の言う「人生を楽しむ」ための鍵はここにある。

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  • 2009/10/25 16:24
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エシュコル

今日のメッセージでの映画の話を聴きながら私は、宮廷女官チャングム(ジャングム)の誓いを思い描いていました(BS-TBS月〜木18時〜)。
8月から見始めた天地人も今日は、直江兼続の打算妥協(?)と実弟大国実頼(さねより)の義を貫く姿勢と、果たしてどちらが良いのか…と。

  • 2009/10/26 00:01
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エシュコル

言い忘れてました。
日曜洋画劇場の『明日の記憶』も、ある意味アイデンティティとかセルフが壊されてしまう訳ですから、ものすごく怖いですね。
でもイエスにそれでも頼り続けるしかないんです。

  • 2009/10/26 00:07
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Luke

ADやVaDはハードウェアである脳が損傷するわけです。わたしの意識そのものが消失します。しかし神が求める脱自己は、むしろそれによって真の自己、アイデンティティを得ることができるのです:

>わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命(魂)を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命(魂)を失う者は、それを【救う】のである。

>わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。【わたしが今、肉において生きている】のは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子の信仰によるものです。

これは安楽で快適な生き方です。ニーのような立場におかれる人は特別な恵みによるのです。

  • 2009/10/26 08:31
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