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律法と祭司制度

再建主義の富井氏がこう書かれています:

繰り返しになるが、そのまま適用するのではなく、原理を適用せよ、と言っているのだ。
具体的内容は、時代と地理の文脈にあわせて変化させよと。
モーセ律法は、現代においてそのまま適用できない。
なぜならば、祭司制度が変化したからだ。
旧約時代において、祭司とは、レビ族に限定されていた。他の部族は祭司になれなかった。
しかし、新約時代において、祭司とは、キリストであり、キリストの体である教会である。
ペテロは、「あなたがたは王なる祭司」(1ペテロ2・9)であると述べた。
祭司制度が変われば律法も変わる。
祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりませんが、(ヘブル7・12)
旧約時代において律法は「民族的律法」であったが、新約時代になって、「普遍的律法」に変わった。
なぜならば、祭司がレビ族に限定されなくなったから。
つまり、「超民族的経綸」になったということだ。
律法は、世界のあらゆる民族、あらゆる時代、あらゆる場所で適用可能なものとして存在するようになった。

だから、モーセ律法を「そのまま」適用させることはナンセンスである。
そして、安息日の律法については、これは、キリストにおいて成就し、「安息の本質であるキリスト」において我々は安息を得られることを示した律法であると考える。

うーん、もう一歩なのですが。「モーセ律法」は超民俗化されたのではなく、その上位互換ヴァージョンの「いのちの御霊の法則」に置き換えられたのです。

祭司制と律法について

●富井氏の理解とDr.Lukeの理解の対比図

ファイル 1151-1.jpg

Comment

閲覧者

富井さんのことはそっとしてあげてはいかがでしょうか。
キリストのされることは上品なのですから。。
彼はやがて調整されてゆくでしょう。

  • 2009/11/28 19:23
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