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私たちの従う法則とは

再建主義の富井氏が、現在の閉塞状況を打開するのはキリスト教再建主義しかないと言われる。

カルヴァン―カイパー―ヴァン・ティル―ラッシュドゥーニー―ゲイリー・ノースのラインだ。

今近代国家のシステムに代わるものを提供できる思想は一つしかない。

それがキリスト教再建主義だ。

超民俗化されて異邦人にも適用されるようになったモーセ律法を、そのままではないにしても、適用する社会の構築。これしか道はないと言われるわけだ。

世を統治する司法はともかくとして、私たちエクレシアを統治する法則は、いのちの御霊の法則である。十字架は罪と死の法則から、死と復活の原則により、いのちの御霊の法則へと私たちをもたらす。よって十字架を離れたエクシレアはありえず、もしそれを試みるならば、単なる形式的なもの、人間的制度・組織に過ぎない。これが十字架を離れたキリスト教(会)という一連の教義と実行の宗教体系。ニーチェはこれにつまづいた。私たちは物理的世界においても法則に従っている。と言うか、法則を離れるとか、無にすることは狂人の主張である。

ところがこれが現在のニッポンキリスト教では起きているわけ。MSGでも述べたが、あたかも物理の世界において、ある人は万有引力は距離の3乗に反比例すると主張し、ある人は4乗に反比例すると言うようなもの。これで互いに喧々諤々。これらがそれぞれの神学を構成し、それぞれの教派なりを作るわけだが、自然科学系の私から見ると、ナンセンスと言うか、アホらしいというところがホンネ。法則はただひとつ。神の原則は十字架における死と復活の原則による、いのちの御霊の法則による統治しかない。再建主義ではここを超民俗化されたモーセ律法とする。

まあ、万有引力が距離の3乗に反比例するとするのもいいだろう。何をどう信じるもの個人の自由。どんな神学を構成するのも自由。しかし問題はその思想・ロジックでロケットを飛ばせるかどうか。まあ、やってみればよいのだ。これが現在のニッポンキリスト教の有様。<カヤマーvsカツマー>のレベルなのだ。よって先は見えているでしょう?目が覚めた人は幸い。そのような狂気からエクソダスできれば幸いである。

追記:でも、世でもこういった事態が当たり前に起きているわけです。WTCビルの崩壊が、物理法則を無視した政府公式報告書どおりだと思っている人々が大勢。疑義を呈する人が妄想論的陰謀論者とされているわけ。この10年のキーワードは「倒錯現象」とも言えるだろうか。

追記の追記:こちらも参照しておいてください(→精神疾患と福音

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実に興味深い英語文献を紹介します(→こちら)。日付を具体的に提示している点はやや?ですが、旧約聖書におけるユダヤ教の祭りの日程と、ダニエル書や新約聖書に提示されている終末の預言をリンクさせて、その解釈を与えています。私もひとつの終末の預言解釈を提示しているが(→こちら)、本書はさらに詳細に論じている。数字には神の意図が隠されていることは、たとえば素数におけるζ関数のリーマン予想でも明らかですが、聖書の数字にもさらに主の息遣いが感じられるほどの意味があります。

著者によると、ヤコブがヨセフを頼って良き地を捨て、エジプトに下った時のように、神はすでにいわゆるキリスト教会をご自身の証として用いられていないと言う。要するに私がこれまでに言ってきたこととほぼ同じことを言っているわけ。良き地には親の資産を食い潰す愚かな兄たちだけ、神はヨセフをエジプトに備えていたのだ。つまり逆エクソダス。しかも数字の裏づけを与えており、今後の主の動きについても興味深いサジェスチョンを与えている。

本書も含めた諸情報をつき合わせてみると、本年と来年2010年は霊的に大きな転換点となるようだ。もちろんそれは世の政治経済などともシンクロする。今年はそうだった。それは何か?世では「友愛」など言う欺瞞がはびこり、教界では私がこれまでしつこく語ってきたこと、すなわちキリスト教(会)の荒廃とクリスチャンの真理からの逸脱である。つまり篩い分けの時代であることだ。代価を払いつつも真に主につく人々と、自己欺瞞により偽りに流される人々がきれいに分けられる。そして本書でも指摘するが、神はつねに大勢側ではなく、少数側におられる。レムナントの時代であることをひしひしと感じている。

追記:私の考えも同じだが、主の再臨時は仮庵の祭りと関係していることを、この文書の著者も指摘しています。

追記の追記:山谷さんによりますと、この文献の著者は異端であるとのことです。確かに日時指定はややエホバ的かも知れません。でも、かなり面白いですよ。

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