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霊=神を燃料とするエンジン

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emiさんのブログから転載させていただきます。C.S.ルイスの言葉だそうです。霊は神を燃料とするエンジン。この燃料を魂のエネルギーから神ご自身の霊のエネルギーに切り替える場が十字架であることは、何度も語っているとおりです。私もエンジンと言う喩えを使っておりますが(→律法とクリスチャンについて)、分かり易い表現だと思います。そしてエンジンもいろいろなタイプがありますし、個性も豊かです。私たちも同じ。人生いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ、しかしクリスチャンは同じ神の霊のエネルギーで生かされている。これが今週のMSGの内容でした。

神はわれわれをお造りになった。ちょうど人がエンジンを発明するように、神はわれわれを発明なさった。ところで、車はガソリンで走るようにできている。ほかのものではうまく走らない。さて、神は人間という機械を、神ご自身を燃料として走るように設計なさったのである。われわれの霊は、神ご自身を燃料とし、これを燃料とさせて動くようにできている。あるいはこう言ってもいい、われわれの霊は神を食べて生きるように造られている、と。それ以外の燃料や食べ物ではダメなのである。だから、「宗教なんていう面倒なものは抜きにして、われわれが自分の好きなやり方で幸福になれるようにして下さい。」と神に願っても、それは無駄というものである。神には、ご自身と結びついていないような幸福や平和を与えることができないのだ。もともとそんなものはないからである。神から離れた幸福や平和などというものは、そもそも存在しないのである。-C.S.ルイス著 「キリスト教の精髄」より

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