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キリストの容姿

顔の話からイエスが禿で、ちびで、不細工で、みたいな話になっておりますが(一部の方々はお怒りかもしれません)、今の私たちにとって大切なのは、実はイエスがハンサムか否かではありません。キリストは死と復活を通して、いわゆる物理的時空に束縛されない存在とされました。もちろん血肉はお持ちのままで、昇天された方ですが、今キリストはいのちを与える霊として、信じる者の霊のうちに御霊によって内住される存在なのです。つまり私たちは神殿であり、神は霊の中からご自身の御業をなして下さっています。キリストははるか遠くにおられる方ではなく、今ここに、私の内にいます方。神の実質の充満たる方が、私たち有限の人間の中に臨在されるのです。

かつては神は幕屋にあってシェキナグローリーとして臨在されました。そしてソロモンの神殿となり、新約では私たちの霊の内です。いずれ信徒の集合体としての新エルサレムです。かつての至聖所も新エルサレムも完全なる立方体です。それは神の臨在そのものです。どこに行く必要もありません、今ここで単純に主に心を向けて「ジーザス」とお呼びするだけで、内なるキリストは甘い愛をもって触れて下さるでしょう。しかしいつの日か、主は昇天されたままの姿と同じ姿で再び地上に戻られます。花嫁を迎えるために。その時、肉体の主イエスを見過ごすことがなければ幸いです。

すでに私たちは主によって完全に知られています。が、その日、私たちにも主イエスが禿で、ちびで、不細工なお方なのかどうか、はっきりと分かることでしょう。間違いないことは、主は麗しいお方であること。ジュゴンの皮で覆われた幕屋も外見的にはきわめて野性的で、粗野かもしれません。しかし内側は純金で輝いていたのです。その日、私たちも外見に躓くことがなければ幸いです。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

Comment

zion

私の投稿に不適切な表現がありましたのでお詫びします。

  • 2009/12/13 23:17
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Luke

いえいえ、別に。むしろいわゆる西洋キリスト教のイエス像を崩す必要があるでしょう。

  • 2009/12/14 08:03
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エシュコル

アフリカ系のキリスト像あるいはイコンを欧米人に見せると、嫌悪感を抱く人々が多いでしょう。従って、今回私の中で「フ〜ン、かもね」といった感じでしたよ。
見た目はどうでも良いジャン、ネ。 d(^-^)d

  • 2009/12/14 12:21
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Luke

そうでしょうね、それがキリスト教です。しかるにパウロは

今後、キリストを肉によって知ることはすまい(2コリント5:16)

と言っているのですけどね。

  • 2009/12/14 19:34
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