開かれた人生-主は見ておられる-
- 2009/12/25 21:57
- Category: 信仰
S兄弟の顔は輝いていた。50歳を目前にして180名から2名正規雇用された彼。年収は1.5倍になるとか。彼は某大手飲料メーカーの現場エンジニアとして9年間契約社員として過ごした。その間、人が嫌がる仕事を一手に引き受け、生産ラインなども創意工夫で立ち上げたそうだ。元々物を作るのが好きな彼は、仕事を苦痛と思ったことはない、と。物ができてくるのを見ることに限りない喜びを覚えるのだ。かくして今回の刈り取りを得た。小さな事に忠実な者は大きな事を任される、とあるとおりだ。
別に収入が増えること自体はどうでもよい、ただ安定感を得て、将来設計ができるようになったことがうれしい、とその顔は輝いていた。10年前に会ったときには、行き詰って、思いつめていた彼だった。その時の表情を思い出すと深い感慨を覚える。よくここまで来たよな、兄弟。当時彼が放っていたオーラは抑うつと閉塞感だった。今はあらゆる事で人生を楽しむことができるようになったとのことで、解放感のオーラだ。その彼は強調した、ニッポンは物を作ることを疎かにしたので、現在の状況に立ち至ったんだ。原点に帰る必要がある、物作りの喜びを若者が知る必要がある、と。
面白いことは、実は彼もニッポンキリスト教からのエクソダス組だ。そしてつかんだ自分の人生。これからだよ、兄弟。共に楽しもうではないか。実に旨いビールと料理を楽しめた宵のひと時だった。
Nina
初めてコメントさせて頂きます。
ブログを拝見して、「ニッポンキリスト教エクソドス組」、「そしてつかんだ自分の人生」というくだりがとてもおもしろかったので。
私も一応(?)クリスチャンですが、健全な心と精神で、健康的な生活を送りたくてあまり教会には行っていません^^;
Dr. Lukeがおっしゃっる教会とそこに集う人々の病理、みたいなのはよく理解できるのですが、では、それに気づいて出ていく人(=「エクソドス組」)と、いつまでも悶々としながらもそこから出られない人たちの違いって何なんでしょう。
あまりに長い間教会の世界にいたから、外の世界に出ることへの恐れ、みたいなものがあるのでしょうか。
また、内側から変わっていこう、みたいな意識は芽生えないものなのでしょうか。。。
広い世界に出て、一度深呼吸でもしたら、狭い教会の世界で苦しむ必要ないのに~と余計なお世話ながらもクリスチャンの方々を見て思うことがありますが、それも個人の選択ですから他人がアレコレ言ってもね、、と思いちょっと距離を置いて眺めている自分がいたりします。
私も昨日の日経新聞の矢沢さんの記事を読みましたが、ああいう「自分を信じて行動を起こす」みたいな言葉に感動できると、エクソドスしてよかった~と思ってしまいます(笑)