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心と言葉

人の口は心にあるものを語り出す。私は不義なる非難や偽りの告発をされても基本的に反論はしない(刑事事案は別だが)。主もそうなされた。なぜなら彼らが語るほどにその言葉によって自分自身を露わにしてしまうからだ。「人の心ははなはだしく病んでいて癒し難い」とあるとおり、その心は妄想を生む。それが言葉となって表現される時、彼らは自分自身の病理性を明らかにしてしまう。偽りを信じる側もそれなりの人間に過ぎないからだ。偽りを識別できる人には弁明する必要は無い。

そして私たちが厳粛に意識すべきは、必ず各自がその自分自身の言葉の刈り取りをすることだ。偽証をする者は時間が経つほどにそれが明らかとなり、自分自身に刈り取りをする。これは霊的法則であって、逃れることはできない。それゆえ主は言われた、すべてを実によって判断せよ、と。もっともらしい正論だの正統神学だのによってニッポンキリスト教は容易に騙される。しかし各自が刈り取る実は偽装することができない。

現代の闇と病みにあるニッポンキリスト教のキーワードは倒錯である。精神科病棟では患者が医師を"診断"するが、偽りが真理を「偽りである」と"診断"する倒錯が起きている。彼らが刈り取る実は今後ますます明らかになるだろう。そして真理に歩む者と欺瞞に落ちる者の差はさらに開く。富む者はますます豊かに、持っていない者は持っているものまでも取り上げられる。神は生きておられる、主の憐れみがあるように。

Comment

イスチナ

ハレルヤ。病人を癒すために主は地上に来られました。けれども、自分の病を認めない人には、治療もありません。日々、自分の真の状態を上から照らされ、信仰によって、主から赦しと癒しとを受け取り、健やかな人生を歩んで行ける人は幸いです。

  • 2010/01/17 22:48
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Luke

はじめまして。おっしゃるとおりですね。病識の欠如した人を助けることはできないのです。

  • 2010/01/18 17:29
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