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今年の回顧&今後の展望

まだちょっと早いのですが、つらつらと1年を振り返って見ますと、ここ数年私が語ってきたことが、社会でも教界でもだいたいそのとおりになっていると思いますが、いかがでしょうか?いや、予想以上のことが起きてしまっています。ここ数年が私が語っていることは、

  • ニッポンキリスト教については今後、表向きは煌びやかな働きがなされると同時に、実質はますます貧しくなっていくことでしょう。
  • 同時に、それぞれの心の中のものが露わになって、クリスチャンのふるいわけが行われます。何を求めているか、これが明確に現れるでしょう。
  • 偽り(フェイク)が巧妙に入り込んできます。それを見分ける霊的識別力を持つ人はあまり多くはありません。

聖書によれば、大きな流れとして、2テサロニケ2:3に

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

とあるとおり、教会が背教(apostacia)の道に入ります。ローマ時代とは異なり、今回は迫害されて主を否む形ではなく、表向きは主を告白し、伝道や牧会に熱心であるが、その霊的実質を失っている状態と私は思っていますが、まさにニッポンキリスト教はこれに入りつつある感じがしております。「僕もあなたも神のVIP」とか、「何でも愛して許して、あるがままのあなたを大切にしよう」とか、「ベイビー、神は君を愛してるいるんだぜ。風に乗って走ろうぜ」とか・・・。人間に媚びる"福音"が大いに喧伝される事でありましょう。皆、自分の十字架を負うことを拒否し、魂による、魂のための、魂を喜ばせる奉仕がなされることでしょう。かくして○○学会とか●●の科学と何ら変わりのなき宗教へと堕して行くのです。

敵の仕業は今日きわめて狡猾です。この中で低きにつき、大衆から拒絶され、人々の目を惹かない歩みをする少数の人々は幸いです。実は真の信仰はこういった歴史の表に出ない普通の人々によって脈々と継承されてきているのですから。

さて、どんな新しい年が開かれることでしょうか?私的にはあまり変わらない生活を送ることでしょう。春は桜、夏はレジャー、秋は紅葉、そして冬は富士山と温泉と・・・。淡々と生を楽しむこと。もちろん主イエスと共にでありますが。その主を今年よりさらに深く経験し、知ることができればと、これが毎年の祈りでしょうか?

Comment

チンミ(珍味)

人に媚びる偽の教えが蔓延り、十字架を負って、孤独に歩む狭い道を歩くクリスチャンは、少なからずいるのですね。霊的な識別ができない方が多いのだと思います。今後の展望に同感です。

  • 2007/12/19 21:02
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