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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 1275-1.jpgクリント・イーストウッド監督の『インビクタス-負けざる者たち』。南アフリカの反アパルトヘイト活動家ネルソン・マンデラの実話の映画化。

30年の幽閉を経て、1994年、南アフリカ共和国初の黒人大統領に就任したネルソン・マンデラだが、新生国家の船出には多くの問題があった。ある日、ラグビー南ア代表の試合を観戦したマンデラの頭の中で何かが閃いた。南アではラグビーは白人が愛好するスポーツで、黒人にとってはアパルトヘイトの象徴。しかし、1年後に南アで開催されるラグビーのワールドカップで南アのチームが勝てば、それが人種間の和解につながるかもしれない。マンデラは代表チームの主将フランソワをお茶に招待する。そして…。

要するにマンデラはラグビーを用いて白人と黒人の間の敵意を解かし、国家がひとつになると言う物語。私的にはこの手の作品は、実はあまり好まない。なぜなら神抜き、もっと言えば、十字架抜きで人類がひとつになると言う欺瞞的美談だからだ。事実、マンデラの言葉かどうか分からないが、作品の中の次の言葉がヒューマニズム、あるいはニューエイジ的であることを証明している:

・どの神かは分からないが、負けざる魂を授けて下さったことを感謝しよう。

・わが運命を決めるのは我なり。

・わが魂を制するのは我なり。

単なる社会派作品として観るならば、人間的にはきわめてアピールする。が、霊的に言えば、その背後に唯一の神、主イエスの十字架を排除したいアイオーンを感知する。しかし人類は神を排したまま、ひとつになりたい、つまりはバベルの塔建造を願っているのだ。この延長線上に、いずれ世界統一政府といった形ができてくるのかもしれない。

映画としては、よくできている。モーガン・フリーマンもマット・デイモンも私の好きな俳優。フリーマンは実にシブイ味を醸し、デイモンは見事にラガー体型に変身した。実にふたりとも役者だ。

Comment

エシュコル

南アの白人にもクリスチャンは多くいたはずである。がしかし、そのほとんどがアパルトヘイトを支持していたのは、沖縄などの欧米人特有の(彼らはそうは思っていないのだが)優位性を保とうとする思想に基づいているからである。
私はこの手の映画は大好きであるが同時に投げかれられるのは、キリスト者としていかにその被欧米人の考えに溶け込み彼らと共に生きていけるかを、考え行動する事であると思う。
自分というキリスト者として主なる神キリストを第一とし、周りが被キリスト者や反キリスト者であろうとも、常に下から目線で生きたいものです。
従って「主無し、十字架無し」のこの様な映画でも、常にキリスト者としての目線でいたいものです。

  • 2010/03/09 10:46
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