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新改訳聖書の裏事情

実に気持ちのイイ走りでありました。また池の外来種の駆除とかで、おじさんたちが集結しておりました。外来種は在来種を容易に駆逐してしますのです。これはニッポンキリスト教も同じ。素朴な在来種が威勢の良い外来種に食われているのが現状。

で、最近再建主義の富井氏が新改訳聖書とロックマン財団、さらにメーソンやイルミナティとの関係を追及しています。新改訳聖書の翻訳と出版を巡ってはロックマン財団とかなりややこしい裏事情があったようですね(→新改訳聖書刊行会)。例のJ-Bibleをめぐっても大変だったと伺っておりますが、このニッポンキリスト教なる業界とうかつに関わると人生を大変になることは間違いありません。

さらに私もお世話になっている有名なScofieldについても問題提起がされております。トンデモな人物であったとか・・・。ロックマンにしろ、スコフィールドにしろ、メーソンやイルミナティの目論見に従って、富井氏の言う悪魔の教え「プレミレ」の刷り込みを意図しているというわけです。

いずれにしても、デューイ・ロックマンがフリーメイソンであることを公言するロックマン財団が隠し持っているフリーメイソンの計画によって、新改訳聖書は作られており、福音派のクリスチャンは、この聖書とプレ・ミレによって骨抜きにされ、彼らの計画を妨害しない「おとなしい羊」言い換えれば「塩気のない塩」になりさがったということなのだろう。

ちなみに聖書の翻訳の問題点については私の20年以上の友人であるエレミヤ氏が「改ざんされる聖書」として題して、カナリ前からすでに指摘しているところです。

ニッポンキリスト教のJ-Bibleが1万円以上もするのに対して、英語やギリシャ語、さらにはヘブル語の聖書はたとえば、e-Swordなどを使いますとタダで各種聖書やコメンタリー、レキシコンなどが手に入ります。・・・が、さてさて、みなさん、これらの手元の聖書テキストが信頼できないとなると、どうしたらイイと思いますか?誰もがヘブル語やギリシャ語ができるわけでもなし、その写本自体も信頼できないとかなりますとねぇ。フェイクの時代、混乱は深まるばかりでありまして・・・。

参考までに(Wikiより):

リベラル神学者田川建三の『書物としての新約聖書』(ISBN 978-4326101139)は聖書翻訳の歴史と問題点を懇切丁寧に解説した大著であるが、新改訳聖書についてはpp.694-695で簡単に触れられて、どこまで原典に忠実な訳であるかは「この新改訳聖書については、そういうことを論じる気も起こらない」と酷評し「その系統の信者さんたちがご利用になさればよろしい」としている。

追記:困惑してしまった人は、今週のニーの黙想をご参照ください。

Comment

インギー改

新改訳の気に入らない部分は、新共同訳を切り取ってそこに貼るw。新共同訳でもダメなら岩波訳を切り取って貼り付ける。それでもダメなら田川訳を貼り付ける。そして、お気に入りの訳が完成!
 
富井さんはそうしているそうです(嘘
 
とりあえず私のブログのランキングバナーをクリックしていただければ幸いかと。
     

zion

人がみ言に『付加価値』をつけて売ることはいかがなものかと。
ネット共同訳でタダで配布するのがいいです。

ところで中国語訳、ハングル訳の汚染度はどんなもんでしょうか?

  • 2010/05/16 19:04
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zion

今夜、月と金星が接近!
トルコ国旗が夜空に展開。
つぎは二重数年後に??
もう月は沈んでしまいました。。。

  • 2010/05/16 21:48
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インギー改

けど、新改訳が怪しいっていう情報をどこまで信用してよいものか・・・。
リベラルが正確に訳してるって言っても,
これもどこまで信用していいのかわかりませんよぉ。
リベラルもひとつの宗教だし、。
リベラルの連中も結局、自分の名前や金儲けのために
本出してるって聞いたよ。どうでしょう?

武州の鳩

ウェスレーの次はスコフィールド、次に「告発」されるのは誰でしょう。基本的に、さもありなん、ではありますが...。

翻訳の問題に警鐘を鳴らすのは、自己責任の信仰者を立て上げるのに有益と思います。しかしこれも一歩間違うと「本当に神はそういったのか?」というエデンの手法になりますね。そこでどうするのか、これもフルイワケでしょうか。

口語訳、新共同訳、新改訳という主要3邦訳が、「先生と呼ばれてならない」という意図で訳していても、その言葉を平然と踏みにじり、かつ「什一献金は聖書に書かれている」と強迫的に徴収する、その厚顔さ。その矛盾に気がつかないのか気にしないのか。「塩気のない塩」の原因は、聖書の翻訳以前の問題と思ってしまいます 。

在来種。私的にはやはり、内村鑑三、ですねぇ。
 

  • 2010/05/16 22:03
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細木

どうせ日本語の聖書なんて、元の文型を切り分けして、節の番号の割り当てに合うように訳していますから、その意味ではでたらめであります。どの訳もその意味ではだめだめです。

e-swordは、ストロングズの番号で元の言語をチェックできますから、有効な資料だと思います。

問題のひとつは、聖書の翻訳ではなく、聖書神学のステップを踏んで、与えられた聖書的課題を自分で判断できるように信徒達が教育されていないことです。十分の一献金、牧師の権威、万人祭司などについての判断や理解が、聖書神学のステップ抜きに教え込まれたために、間違った方向に向かっています。また、それに気づける信徒が少な過ぎます。

  • 2010/05/16 22:16
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Luke

本日のメッセでも語りましたが、日本語は霊的真理を説くのにもっとも不便な原語と言えるでしょうね。御言葉に啓示されたリアリティから離れて、日本語に立って思考することにより、「ニッポンキリスト教的神学」体系ができてしまうわけです。

田川氏の言葉などは、ニッポンキリスト教メインラインが福音派を見下し、福音派は聖霊派を見下し、の構図をもろ証明してしまっています。心にあることを口が語るとあるとおりです。

文献学的には、やはりStrongとKJVは最低限として、後はギリシャ語とヘブル語にどれだけ突っ込めるかですが・・・。ツールはいろいろありますから、後は内なる御霊に頼りつつ・・・。もっとも大切なのは、この方との関係でありましょう。初代にはまとまった聖書なるものすらなかったわけですから。

  • 2010/05/16 22:27
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