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心の清い者は・・・

最近のヴィオロンさんの一連の記事のテーマでもありましたが、Dr.Kさんがきわめて的確な解釈をされています。うれしくなりましたので、こちらでも引用させていただきます。

マタイ5:8-Blessed are the pure in heart, for they shall see God.

心が清い(純粋である)者は神に目が向くだろう(これを悔い改めといいます)と書いています。

心が清い(純粋である)とはどういうことか。

先の詩篇を参照にすると、

He who lifteth not up his soul unto vanity, nor sweareth deceitfully

言い換えると、己の魂を空しく持ち上げ、欺きの念を唱える者には救いはない(5節)。

己れの魂に目が向かないことが清いということ。

己れの魂に目が向かないので、神に目が向き、悔い改めることができる。

まことに同意であります。十字架による魂(Psyche)と霊(Pneuma)の切り分けもここにあります。今日のニッポンキリスト教の混乱はまさにこの混同から生まれるわけです。

* * *

本日はわが創価の友人より月刊誌『大百蓮華6月号』をいただいた。三代目池田氏の奮闘により一挙に教勢を伸ばした学会の歴史が面白い。さらにSGIとして世界192カ国に躍進するわけだが、この原動力がどこから来るのか・・・※。人間池田大作の魅力とパワーを伝えている。

※Twitterをご参照ください。

ちなみに私は禅にはまっていることはすでに書いているが、禅は小乗でして、「一個半個」と言って、きわめて個人的な経験を重んじるわけ。その目で見ると創価の教義は、世を行きぬくための人生訓的な色彩を覚える次第。聖典は日蓮の御書で、大乗的なんでしょう。今度、座談会に誘われているのですが、まあ、いわゆる地域ごとのスモールグループでして、ここで各自の体験を分かち合うのだそうだ。これが草の根的な創価の普及の力になっているようだ。

池田氏の教えの根幹は、いわゆる神秘体験や単なる教義の空理空論ではなく、実践あるのみ。社会のあらゆる分野に出て行き、「今、ここで、私が何をするか」。これが創価の力なのだ。その経験を互いに持ち寄り、分かち合う。そこには池田氏はいなくてもよいのだ。互いの交流にこそ力があるのだから・・・。その浸透ぶりは予想以上のものがあるようだ。

兄弟姉妹、いかがお感じになるでしょうか?

Comment

エシュコル

イメージ的にはクリスチャンはみことばを実践出来ていないのでしょう。教会(堂)内で「私が何をするか」に心が向いており、キリストが何をしたかの経験の分かち合いはほとんど無いでしょう。
交流と云えばただのお茶飲みみたいな所の多い事。

  • 2010/05/27 23:33
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飛鳥

個人的な感想ですが……。
結局「魂」の力ですよね。
自分が外でどれくらい業績をあげたか――それを分かち合うわけでしょう?
これがもしクリスチャン業界で通れば、メガチャーチとか、解釈の違った「御国の拡大」とか「教会の拡大」になるかと推測します。
しかし……。
残念ながら、おそらく、ほとんどの教会が、今その方向を向いているのではないかと思います。
私達が本来分かち合うのは、御言葉と、主が私達に何をしてくださったか、何よりもイエス様の分かち合いです。
そして私達が真に求めるのは何でしょう?
・「自分には何も無い」事を真に知る
・それ故にイエス様だけにただ希望を求める。
・イエス様を知る。
・そのイエス様のために、「イエス様が私にどこでいつ何をさせたいのか」を求める
ではないかと考えます。
その全ての中心に、「イエス様」が在るべきです。

Luke

しかし、学会のメンバーの池田氏への信頼と献身は純粋で、深いものがありますね。あれだけの組織を作り上げ、維持し、さらに拡大しつつある同氏の人間力は大したものだと思います。非常に興味の湧く人物です。

  • 2010/05/28 22:42
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飛鳥

>学会員
確かにそうですね。
私の知人に、学会員がいますが、彼の池田氏への信頼と献身と忠誠心には驚かされます。

インギー改

キリスト業界でも10年前くらいからセル教会ムーブメントが盛んですが・・。キリスト業会にしても、学会にしても、お上の管理下の下でやってるにすぎないですから。牧師にとっては自分の手中になく勝手に増殖するセルは不愉快ですから。それは学会も同じでしょう・・。学会のやってることはたいしたことないですよ・・。

学会員の一番怖い存在はクリスチャンなんですよ。

  

インギー改

牧師から聴いた話ですが、もともと 日キの神学生の論文だったものだったらしいですよ・・。それを日キの先生方がボツにして、お蔵入りになったそうで。でも、そういう論文ってのは他宗教業界に売れるそうで、それを学会の人がこれは使えるってんで買ったそうです。それが”座談会”へと発展したらしいですよ。
学会の座談会はもともとキリスト業界から出たものです。

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