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ご紹介:サンダーシングのことば

朝一の講義が終了。後はフリーです。いつもどおりiTunesから流れるストリームJazzでくつろいでおります。

さて、Candyさんがサンダーシングのブログを書いておられます。今回のエントリーは「自らの十字架を負う意義」とあります。一部紹介しますと

その人の働きと霊的状態に応じて、負う十字架もまちまちである。外側は釘だらけに見えても、十字架は甘美で平和な性質がある。それは、鋭い針をもつミツバチが甘い蜂蜜を造るにも似ている。外側の難しさを恐れるあまり、十字架の持つ大きな霊的祝福を失ってはならない。

油塗られたことばで、励ましと慰め、そして力を受けるでしょう。ぜひ訪れてみてください。

サンダーシング

Comment

Bluegale

昔サンダーシングの講和を読んだことがあります。その中の一つに、人間は己の色眼鏡を通して、他者を見る。例えば金銭欲にとらわれた者は、他者もそのような者であると見てしまうとのことでした。まるで黄疸を発症した患者にとって全ての世界が黄色に染まって見えるように。。。と言う様な内容でした。 しかし黄疸に染まっても、たしか世界は黄色く見えないはずなので、その表現は間違っています。ということは彼はすばらしいクリスチャンであることは確かだと思うのですが、彼の著した講和の内容すべてが、聖霊様の導きの下に書かれたのではないということですね。(サンダーシングを否定する意図はまったくありません。)

  • 2010/06/25 20:30
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candy

[黄疸病みには何物も黄色く見える]

これは、心のねじけた者はどんなことでも曲解するとの意で
これはスペインの体にまつわることわざにもあります。

ちなみに 物に色がついて見えるということを、黄疸によって、ものが黄色く見えると説明している人もいます。そして見えることはない、と説明している人もいます。
どちらが正しいかということはわかりません。、

しかし、サンダーシングが伝えたかったのは、スペインのことわざのとおり、心のねじけたものはどんなことでも曲解する、と理解することが大切なように思います。

  • 2010/06/26 00:13
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