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無限の愛の教えは人間を駄目にする

と題する記事を富井氏が書いています。まことに同意。砂糖まぶしの"福音"でベタベタ、自己愛性人格障害や妄想性人格障害が跋扈するニッポンキリスト教、彼らはよくよく自分を省みる必要があるでしょうね。自分が蒔いた物を刈り取っているのですから。

・・・
聖書は、あらかじめ決定した約束や契約を重視すべきだと教えている。
責任は双方にある。
一方が過大な責任を負うような関係は非聖書的で、腐敗した関係である。
人間関係は、一方が行った違反によって解消される。違反の程度には差はあるが、原則として、いかなる違反に対してもいずれの側も責任を問われるべきだ。
このような「責任」に対して、現代の異端は、「無限の愛」を唱える。
「制限なく要求に応えるのが愛だ」と。
多くの場合、このように唱える人々は、けっして自分の側にではなく、相手に責任を課す。
つまり、自分のことは棚にあげて「無限の愛」を相手に求める。
だから、今の無律法主義のキリスト教の教えを適用すると、社会はめちゃくちゃになるのだ。
彼らは「我々はいかなる掟にも縛られない」という。
「我々は、無限に人間を愛さなければならない」と。
実際は、その適用は相手にのみ向けられる。
だから、このような教えのもとで、クリスチャンは幼児化する。
わがままに教理的な裏づけが与えられるので、教会における教育は、人間を駄目にしている。
義務を果たさない人間を許してはならない。


Comment

zion

中国に買われる国債。

http://www.adpweb.com/eco/

  • 2010/07/30 21:20
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坂井能大

私は、それぞれの信仰者が「主にあって自由」であるべきだと考えていますが、
なるほど、興味深い視点ですねw

  • 2010/07/30 23:51
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細木

現代の異端という表現にはなるほどと思わされます。

人集めが至上の目的になってしまった偶像礼拝の態度であると思います。

  • 2010/07/31 17:58
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Luke

<キリスト教=愛の宗教>なるトンデモない偽りが跋扈している結果が現状でありましょう。「愛-オブセッション」と言えるでしょうか。しかしそれぞれの刈り取りで明白にされるのですが。

  • 2010/07/31 18:22
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