Entry

トップ > 映画 > Dr.Lukeの一言映画評

Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 1535-1.jpg

久しぶりの感動作、『十三人の刺客』。一言、リアリティがすごい。邦画でもここまでのリアリズムを出せるのかと。韓国の戦争映画『ブラザーフッド』を彷彿とする出来。

将軍の腹違いの弟という立場に甘んじ、悪行の限りを尽くす明石藩主・松平斉韶(なりつぐ)。幕府の老中は、この暴君が国の要職に就く前にひそかに闇に葬るよう、御目付役・島田新左衛門に密命を下す。斉韶の凶行の数々を知った新左衛門は、命がけで大義を果たすことを決意。信頼が置けて腕の立つ刺客を集め、斉韶が参勤交代で江戸から明石へ帰国する道中を狙うことに。わずかな手勢で300人を超える軍勢を迎え討つため、新左衛門たちは落合宿を買収。大掛かりな罠を仕掛け、斉韶ら明石藩の一行を待ち受けるが…!?

武士は何のために生きるのか、すべては死に際のため。今の時代、「何のため」を喪失しているわけで、いわゆるキリスト教徒も自分の心の問題の解決や人生安寧が第一となっているわけだ。すべての価値観の中心はセルフ。セルフを大事にし、セルフを甘やかし、セルフを改善し、ついにはセルフが神となる。したがってセルフに反するものはすべて敵。そこにはきわめて狡猾は欺瞞が潜んでいる。要するにキリスト標準ではなく、セルフ標準。

主人公最期の台詞、「武士はまことにややこしい」がすべてを語るとおり、残念ながら武士は主君標準で、しかもその主君が複数あって、互いにもつれ合うわけだが、それでも、なお、その死に様は美しい・・・と言いたい。

Access: /Yesterday: /Today: