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Dr.Lukeの一言映画評

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吉村昭原作の『桜田門外の変』。

安政7年(1860年)、尊王攘夷を唱えた水戸藩藩主・徳川斉昭は、開国派の幕府大老・井伊直弼より永蟄居を命じられていた。事態を憂慮した水戸藩士有志は、脱藩して井伊直弼を討つ盟約を結ぶ。そして安政7年3月3日、関鉄之介ら水戸脱藩士17名と、薩摩藩士1名が実行部隊となり、桜田門前にて井伊直弼を襲撃、首を討ち取った。その後、薩摩藩が京都にて挙兵し、朝廷を幕府軍から守る手はずになっていたため、関らは京都へ向かうが…。

最も記録を残した尊皇攘夷派の水戸浪士関鉄之介の視点から事件の背景、事件当日、そして事件後の彼らの運命と日本の動きを描く作品。歴史事件をひとりの人物の視点から描くと言う手法は斬新であり、関に対する感情移入によって、事件がきわめて身近に感じることができた。

井伊大老は勅許を得ることなく、アメリカと通商条約を結び、反対者たちを安政の大獄で粛清するわけだが、その背後には水戸藩と彦根藩の将軍跡目争いがあるわけで、尊皇攘夷の水戸斉昭は押しかけ登城の罪で謹慎処分される。かくして志士たちは井伊直弼に恨みをいだくわけだ。表向きの大義の裏にある真実。関たちは表の正義に生きるため事件を起こし、西郷の薩摩藩たちの3、000の挙兵の約束も受けてたが、いざ事件が成就するや、はしごを外されて、行き場を失ってしまう。かくして水戸藩からも犯罪者とされ、捕縛され、斬首されるという、武士にとって最も不名誉な最期を遂げる。しかしこの事件が契機となり江戸幕府の権威は失墜、明治維新へと時代は大きく動く。

考えるに、どんな大義のために生き、死ぬのか。志士たちの尊皇攘夷の大義は時代の流れに逆行していたのか。その不名誉な死の瞬間だけを見れば、彼らは惨めな敗者である。が、その最期に新たな彩を与えている作品と言える。それにしても、最近、つらつらと感じるが、ここまで生きてきて、地上でやるべきこともそろそろなくなりつつあると感じている昨今であるが、果たして私的にはどのような大義のために、その日を迎えることであろうか・・・。しかし彼らは若い・・・

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