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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 1664-1.jpgどうも昨晩、寒さに長時間晒されたためか、風邪を引いたようだ。熱が出るか出ないかの際どい状態でフワーッとした感じ。そんな中で観た作品がまた、フワーッとした存在の耐えられない軽さ的作品、村上春樹の『ノルウェイの森』。

 37歳になったワタナベは、ドイツ行きの機内で「ノルウェイの森」を耳にし、18年前に自分が恋に落ちた直子のことを思い出す。直子はワタナベの高校時代の親友・キズキの恋人だった。ワタナベにとってキズキは唯一の友であり、必然的にワタナベと直子も一緒によく遊んでいた。ところが、ある日突然キズキは誰にも何も言わずに自殺をしてしまう。
 親友を喪ったワタナベは、誰も知っている人間がいないところで新しい生活を始めるために東京の大学に行く。そして、あるとき中央線で直子と偶然再会する。それからワタナベと直子はお互いに大切なものを喪った者同士付き合いを深めていく。ところが、付き合いを深めれば深めるほど直子の方の喪失感はより深く大きなものになっていった。そして、20歳になった直子は結局京都の病院に入院することになる。そんな折にワタナベは大学で、春を迎えて世界に飛び出したばかりの小動物のように瑞々しい女の子・緑と出会う…。

自己同一性拡散の時代、自分と言う存在が限りなく薄められてしまっている現代において、やや心を病んだ人々の関わりと恋愛を描いた作品。自己を喪失した登場人物が次々に自殺する。60年代の学生運動とファッションが実に懐かしい。フワーッとした精神状態で、加えて風邪薬によるうつらうつらの半覚醒状態で「ノルウェイの森」をさ迷いつつ観るにはまさにぴったり。

私的にはこの世界はけっこう理解できるし、好きなのだ。人の心と関わる曖昧さと危うさ。ビートルズの切ない「ノルウェイの森」と、単調なギターのBGMがますます自分の存在を希釈させてくれる。映画とかJAZZライヴなども、自己を薄めて、ある種の非日常性を漂う経験をさせてくれるわけだ。直子が幻覚の世界へと埋没するのも、ある種の逃避的要素があるだろう。

ちなみに私はシュルツの自律訓練法を習得しているので、意識的に幻覚を見ることができる。入眠前の真っ暗な視野に、カレイドスコープのごとくに、赤や紫などの鮮やかな色が動的に見えるのだ。幻聴は聴こえないが、幻視はできる。同時に自律性徐反応と言う、筋肉系の不随意運動が生じる。全身がある種の痙攣を起こすのだが、これがかなり気持ちがイイ。

実は人は誰でも幻覚を体験できる。無光かつ無音の部屋に入れる(センソリーデプリベーション)と正常な人でも幻覚を経験する。座禅などでも同じ現象が起きる(魔禅)。・・・と言うわけで、私はジョッギングやスイミングにより、自家製麻薬β-エンドルフィンを楽しめるし、自律訓練法により、幻覚を楽しむこともできる次第。ドラッグなしでもけっこうトリップしているかもしれない^^

注意:ただし、自律訓練法などは専門的知識なしに勝手に行わないで下さい。自己催眠の一種ですから、ある種の偏性意識状態を作り出しますので、危険性が伴います。特に精神障害を持つ人は決して自己流では行わないこと。病的幻覚を強化してしまいます。

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