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Six Principles of Global Manipulation


私たちが当たり前としているいわゆる社会的常識、嗜好、価値観、人生観・・・などは、誰かによって誘導され、作られたものである。「自由意志」なる言葉もリッパな罠だ。果たしてそれは何に由来するのだろうか?テレビなどはそのためにメディアとしてもっとも有効であり、大衆はこのマニュピレーションを受け、知らぬ間に社会は一定のプロトコルに従ってマネージメントされているに過ぎないのだ。すなわちそれらはフェイク。これはディズニーランドでその理想的形態を観ることができる(分かる人には分かる・・・)。

リアリティは御言葉に啓示された霊的真理にある。要するに大衆は欺かれていることに気がついていないのだ。いわゆるキリスト教徒などはまさにその典型。思考停止した彼らはキリスト教のプロトコルによって絡め取られてしまっている。大人しくかつ従順にして哀れな羊さんたち。ニッポンキリスト教という枠から出ることができた者は幸いだ。イエスはキリスト教を組織したのでもなく、教祖さまでもない。究極のリアリティが肉体を取った方(私の著書では「受肉の奥義」と言っている)。見えないものを見ること、これは知恵と啓示の霊による。私たちの霊と御霊が御言葉と相互作用するとき、それは光を放ち、無学な者に知恵を与え、私たちの内において実体化される。これのみが永遠の真理なのだ。

  • どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。-Eph 1:17
  • 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。-2Cor 4:18
  • 信仰は望んでいる事がらを保証し(実体化)、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。-Heb 11:1-3
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