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CLIP:自我の移植が可能!?

スウェーデンの神経科学者によると、自我(セルフ)を他のボディに移植することが可能であると。

下に紹介した「In Deep」にて紹介されている。

以前に何冊か、神経科学的には「私」の本体は何かを扱った本を紹介した。例えば、

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もう一冊は、<自我=ダイナミック・コア>仮説を提唱した

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脳を解剖してもそこに見えるのはニューロンとその結合部の神経伝達物質、そしてネットワークだけ。「私」の実体は何も見えない。すると「私」は「ニューロン・ネットワークにおける電流と電位の分布と神経伝達物質の分布のあり方」と言えるわけだ。これが完全なる物質還元主義の立場(一元論)。例えば養老孟司先生の『唯脳論』など。これに対して、物質的装置は霊と魂と相互作用して*1、いわゆる精神現象となるとする立場、すなわち精神現象は物質現象に還元し得ないとする立場もある(二元論)。

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この図は末梢神経が大脳皮質に届いて、そこに投射される神経結合を描いた模式図であるが、この皮質にまでとどいた神経の末端で何が起きているのだろうか。つまりそこで身体の感覚を感じているのだが*2、神経の働きは電流と化学変化だけである。するとその物理化学的変化を感じている「私」はどこにいるのか?・・・というわけで、いわゆるホムンクルスという考え方が生まれたのだ。ちょうどガンダムの中に乗って、ガンダムというボディをコントロールする「誰か」みたいなものだ。ところがこれは、そのホムンクルスとは一体何のか、その中にまたホムンクルスがいて、その中にまた・・・という無限後退論に陥るわけ。

かくして「私」の正体、これは現代の神経科学の最後の秘境と言える。聖書では霊が身体から離れるとき、それは死である。人は身体を土のチリから創られ、霊が吹き込まれるとき、魂が生まれたとある(Gen 2:7)。かくして霊は、残念ながら今のサイエンスの守備範囲には入っていないのだ。これから先は「信仰」の領域だ。しかし、もし「私」が物理化学的状態と現象だったら、希望はまったくない。究極の虚無だ・・・。

参考:人間の聖書的啓示と現代精神科学

*1この場合、物理化学的大脳と霊/魂の接点では何が起きているのだろうか。もっと言えば、私が手を動かそうと意志したとき、物理的神経に電流が流れ、筋肉の収縮が起きる。「私」なる霊/魂的存在が物理的世界に何かの力を与えるわけだ。かくして物質界と霊的世界との接点はどうなっているのか、実に興味深い論点ではあるのだ。
*2事実その皮質が損傷すると感覚を失う。この感覚、あるいは質感を"クオリア"と呼ぶこともすでに何度か書いた。要するにそもそも感覚とは何ぞやと言うわけだ。

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